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『奔馬』三島由紀夫 著

店主おすすめの一冊と、個人的に気に入っているツボをご紹介いたします。
今回は、『豊饒の海』の第2巻『奔馬』です。
以前、第1巻の『春の雪』をご紹介しました。

その後、magobee66さんの衝撃的なタイトルとともに素晴らしい『春の雪』についての記事が上がり、

つい先日、さらに『奔馬』についても、これまた大変鋭いユニークな記事を上げていらっしゃいました。

タイトルの斬新さに意表を突かれますが、「まあでも、たしかにそういう内容ですよね」と思ってしまう的確さがあります。
本文ではとても深い考察をされていて、なおかつユーモアのある楽しい記事で、そんな記事の後に投稿するのは気が引けるのですが、『奔馬』についてもわたしの個人的なツボを書いてみたいと思います。

舞台は、『春の雪』の主人公清顕の死から19年後。
清顕の友人で、『豊饒の海』全4巻を通じて転生の目撃者となる本多は38歳の判事となり、清顕の生まれ変わりである19歳の飯沼勲と出会います。
剣道三段で神風連の精神に心酔し、腐敗した政治家たちを倒して潔く散ろうと思想に燃える勲は、ただ美しく無意志で何ら目的を帯びなかった清顕とは似ても似つかない「質実剛健」を絵にかいたような青年です。
けれども勲も、清顕と同じく20歳で命を落とします。
ただし、清顕とはまったく別の形で。


さて、この小説のわたしのツボは、勲が恋心を抱く年上の女性、「槇子」です。
槇子の、情が、とにかく、スゴイ。
『春の雪』のヒロイン聡子は、それはそれは美しく気高く描かれていましたが、槇子もたしかに美しく、上品で教養ある女性として描かれており、一見聡子を彷彿とさせます。
ところが槇子は、聡子とはまったく別のタイプだと徐々に気づかされるのです。

槇子は、美しい食べ方をして世話焼きで、その「やさしさは無類」で、「明るく、やさしく、冷たくて」、愛する者のためならどんなことでも成し遂げる献身を備えた女性。
そしてその献身には、綿密な計画性と狡猾とも思える工作を含みます。
彼女はシックな藤紫や紺の着物に身を包みながら、その内側に燃えるような赤い情念を秘めており、百合やキンモクセイにたとえられ、香りや気配だけでその存在を知らしめるほどの圧倒的な影響力を持っています。

強烈な母性を思わせるようなその槇子の情に、オキシトシン薄めのわたしとしては恐ろしさすら感じますが、勲が唯一「甘え」を感じる相手として慕うのも無理もありません。

尤も、槇子に対してだけ、ことさらそういう大事を忘れるということに、何かを委ねた甘えがひそんでいることを、勲は自ら認めざるを得なかった。青年たちの前とはちがって、槇子の前では、わざわざ粗忽な男でありたいと願う微妙な欲求。……

三島由紀夫『奔馬』より

槇子のような女性は魅力的なのでしょう。
そして多くの男性は、そんな支配と紙一重の包容力のある女性に惹かれるものなのでしょう。
実際、この『奔馬』では槇子は取り立てて非難を受けるような登場人物として描かれているわけではありませんし、十分魅力的な女性です。
ただわたしが個人的に槇子のような人が怖いので、邪念が入ってしまうのです。
こういう女性は嫉妬深くて戦略家で嘘つきが多い気がするなあ(嘘は誰でもつきますけれど)、なーんて。
そのせいなのか、どうにも「槇子」の存在が本書のわたしのツボです。

そして、槇子の「愛する者のためになされた献身」は、本当はいったい誰のための行為なのか?
何を一番守るための行動なのか?
槇子以外にも、勲を巡る様々な登場人物がそれぞれの愛と正義と思惑で行動し、勲の真っすぐ過ぎる純粋性を阻み、裏切り、絶望させます。

第1巻『春の雪』が禁じられた恋の物語であるとするならば、第2巻『奔馬』は、様々な形の「裏切り」を描いた物語なのかも。
「禁忌」を犯したくなる人間の欲を見つめる三島由紀夫ならではの、裏切りという背徳への欲を描いた物語。

夏の朝日の中で美しく散ることを望んだ20歳の勲の行動は、現代ではとくに理解しがたいものかもしれませんが、「裏切り」は今もあちこちに変わらず渦巻いていそうです。
同じく槇子の欲深き「情」も。
時代を超えて通じる人間の欲に思いを馳せて、大型連休にじっくり読んでみるのはいかがでしょうか。

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