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笑顔と言葉

ご来店されたお客様が店のドアを開ける際に、こちらに向かって笑顔を浮かべていらっしゃると、もうそれだけでホッと安心します。
けれども、ごく稀にしかめっ面でなんだか険悪なムードでご来店されるお二人様などをお迎えすると、「何か当店に問題が……?」「それとも直前に揉め事でも……?」と不安になります。

さて、この夏は本当に海外からのお客様が多く、毎日のように複数の外国人のお客様がいらっしゃいました。
外国の方はまず100%、入店する際にこちらの目を見てそれはそれは素敵な笑顔をされます。
ほぼ日本語と笑顔でお迎えしているわたしですが、さすがに毎日海外のお客様を前にして必要に迫られ、「Thank you」以外の英単語を記憶の彼方からひねり出して、文法無視で単語を羅列して説明する機会が増えました。

そんなある日、英語メニューをご覧になって「ホットサンド」をご注文された外国人のお客様に、中身を説明しようとしたわたしは、「ハム アンド タマ~ゴ」と言ってしまいました。
「タマゴ」ではなく「タマ~ゴ」と英語風に言い、そして自分ではちゃんと「egg」と英語で言っているつもりだったのです。
するとお客様は、「Oh, tomato, no」というようなことを言って、手でバツマークを作りながらわたしのために単純な言い方で伝えてくださいました。
「タマ~ゴ」が「tomato(トマト)」に聞こえたのですね。
ところがここに至ってもわたしは、(え? なんでトマト? ハムと卵なのですよ)と自らのミスに気付きません。
繰り返し、「えーと、ハム アンド タマ~ゴ。タマ~ゴ OK?」と3回も得意げに「タマ~ゴ」と繰り返すマジ滑稽なわたし。
するとお客様はこの日本人に何を言っても無駄だと諦めたようで、「OK, OK, ham and tomato, OK」とのこと。
それを聞いた直後、自分の恐ろしく恥ずかしい言い間違いにやっと気づいたわたしは、「あ!! ソーリーソーリー! ハム アンド エッグね! エッグ、OK?」と勢い込んで伝え、ようやく意思疎通ができました。

このようにお恥ずかしい英語力で日々外国の方とやり取りをしていたのですが、わたしの乏しい語彙力にもかかわらず、それでも英会話(といえるものではないのですが)って、なんだかラクだな、と思ったのです。
もちろん意思疎通に難儀はしますが、数少ない知っている単語しか使えないので選択の余地がないし、正しく丁寧な英文を話そうなどという気も、もはやありません。
そして、相手もこちらのためにシンプルな単語だけで、ゆっくりと丁寧に話してくれます。
間違っていようともポンポン、ポツリと思い浮かんだ単語をただ並べながら、身振り手振りでひたすら相互理解を目指すのみ。
オーダーを受けることだけに集中するので、「なんだかラク」と思うのです(相手は大変かもしれません。すみません)。

これが日本人同士だったらどうでしょう。
お迎えしたお客様に対して失礼が無いように、わたしはおそらく畏まって、自分が相手に与える印象を大いに意識しながら、敬語や丁寧語を使って言葉を選び、オーダー以外の会話にも注意深く耳を傾け受け答えをして、さらには次の言葉の先読みまでしています。
時にはお天気や季節の話や冗談なんかも交えて。
持っている言葉が多ければ多いほど、その中から一瞬で最適な言葉を選ぶ作業は労力を使います。
同じ言語を使う者同士の場合、わたしたちの脳は恐ろしく複雑な処理を会話時にしているのだなあ、と改めて感じます。
同じ国で、同じ言葉を使って、同じ文化の中で生きてきた人間同士のやり取りは、実はものすごく気を遣うことなのですね。

さらに相手との関係性が深くなればなるほど、ちょっとした言葉の選び方で相手の気持ちを推し量ったり、忖度したり、腹を立てたり、誤解をしたり。
「行間を読む」なんて高等手段を使うこともありますね。
言葉を尽くして伝えようとしてドツボにハマったり、きちんと伝えなくてはいけない時に黙り込んでしまったり。
言葉って、いったい何のためにあるんだろう、とぼんやりと考えて、「言葉なんておぼえるんじゃなかった」(『帰途』)という田村隆一の詩まで浮かべてしまいます。

笑顔でいらした外国人のお客様と片言のやり取りをして、そしてまたお帰りになる時のとびっきりの笑顔に、ギュッと心を掴まれるわたし。
笑顔は、どこの国の方であっても本当にみなさん素敵です。
いらした時に険悪ムードだったお二人様が、お帰りの際には笑顔だったりすると、この上なく嬉しい気持ちにもなります。

少しの言葉と笑顔だけで過ごしたほうが、世の中は平穏なのでは……などと思ってしまうわたしはちょっと疲れているのかな。
久しぶりに田村隆一の詩集を引っ張り出した夏の終わりです。


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