しそジュースの復讐
当店の夏の限定ドリンク、手作りしそジュースの季節となりました。
単品としてメニューに加わりますが、夏の間は数量限定のカレーセットにも小さなグラスでお付けしています。
2リットル入りのボトルに濃い原液を入れてストックしており、これを氷と水で割って作ります。
昨年夏の営業中のこと。
お昼時で、カレーセットをご注文のお客様が相次ぎ、しそジュースの原液ボトルの中身が残り少なくなりました。
ちょうど最後のカレーセットに添える1杯でキッカリ終わるかと思いきや、その1杯分の途中であえなくボトルが空に。
まだ他のボトルはありますが、店の奥の住居スペースのベランダにある冷蔵庫に保管してあるため、慌ただしいこのタイミングでちょっとだけ足りない分のために奥に走らなくてはなりません。
わずかな手間によって効率が落ちるのを極度に嫌う傾向にあるわたし、内心「チッ」と舌打ちしながら、店内対応をこの日のバイト友人Mに託して奥へと走りました。
到着したベランダの冷蔵庫から2リットル容器のボトルを取り出しながら、手首の腱鞘炎を患っていたわたしは「重い、重い、重いんだよ!」と心の中で毒づきます。
さて、ボトルを持って店内に戻ったわたしは、すぐさま途中になっていたカレーセット用の小さなグラスに原液を注ぎます。
満杯の2リットル容器ということは2キロ以上の重量があり、さらに冷蔵庫から出したばかりのプラスチックボトルは表面が結露して大変に滑りやすい。
そんなボトルを慎重に傾け、ほんの少しの液体を腕をプルプルさせて小さなグラスに流し込みながら、またしても心の中で「手首が痛い! 重い! 重いんだよ! まったくもう!」と苛立つわたし。
繰り返しますが、わたくし、利き手の手首腱鞘炎だったんです。
そして無事に小さなしそジュースを作り終え、友人Mによってカレーセットはお客様の元へ。
それを見届けてやれやれとボトルにキッチリと蓋をして、店の冷蔵庫へ入れるため腰を屈めたたその時!
わたしの手からボトルがスルッと滑り落ち、「おっと!」と思った次の瞬間に目の前に広がったのは大量の液体が床一面にドクドクと広がっていく光景……。
落下の衝撃でボトルが割れて、中身の原液が流れ出ているのです。
冷蔵庫の前、カウンター内の床にみるみる広がっていく赤い液体……。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、お願いだから全部流れ出ないで!
ごめん、ごめんなさい、「重い重い」と毒づいて悪かったよ、申し訳ありません! と心で叫びながら流れ出る液体をかき集めてボトルに戻したい衝動に駆られるわたし。
もちろんその願いと謝罪が聞き入れられるわけはなく、しそジュースの原液はすべて床に広がりました。
個体であれば掃き集めることができましょうが、2リットルの甘く濃い液体となると、もうどうしたらいいのか頭が真っ白になって呆然と立ち尽くすのみ。
惨状に気づいたMも、なぜか「あ、あたしのせいかも……」と自分の責任と思い込む言葉を口走っていたけれど、100%わたくしの不始末です。
そしてまだ捌かなければならないオーダーもあり、新たなお客様もご来店……。焦る。
とりあえず床拭きモップで拭いてみたけれど、しそジュース原液はねっとりとモップに押されて移動して被害範囲を拡大させるだけでほとんど吸収できません。
「し、新聞紙かな、まず新聞紙かな……」と呟くと、Mも「……そ、そうだね……」と同意。
店内に居合わせた常連様Tさんが、異変に気づいて「大丈夫?」と声をかけてくださったので、わたしは、「薪ストーブ横にある焚き付け用新聞紙取ってくださあい!」と指示(お客様に対して。大変申し訳ありません、パニクっていたのです)。
その後はもう、わたしの頭の中は床のしそジュースに99%ほど持っていかれ、何組かお客様がいらしたけれど完全にMに任せっきりでした。
「甘い」液であるため宿敵アリを呼ぶ可能性があるのが、なんとも悩ましい。
大量の新聞紙で吸い、雑巾で何度も水拭きしては乾拭きし、細かなスキマに入り込んでしまった赤い液にスプレー水を吹きかけ、さらに新聞紙を詰め込んで毛細管現象を期待する……といった作業にわたしが這いつくばって没頭している間、バイトの友人Mはすべてのお客様対応に加えて、事件現場のようにそこら中に飛び散った赤い飛沫を拭きとり、追加の新聞紙を取りに隣家まで走ってくれました。
この日Mがいてくれて本当に助かりました。
常連様のTさんも、「何か手伝うことある?」と声をかけて心配してくださって、本当にありがたかったです。
どんなに忙しくて時間と手間が惜しくても、そして体の節々が痛くても、飲食物に当たってはいけない。
しそジュースの復讐から学んだわたしです。