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過去にしがみつくことも人生をやり直すきっかけの1つになるかもしれない-映画「ラスト・ムービースター」を見て勇気をもらった話。

はっきり言って、セカンドチャンスがない人生なんて、自分にとっては恐ろしくて仕方がない。
いつ、身体を壊してしまうかもわからないし、何かしらの社会的な事象で、経済的に困窮してしまうかもしれない。

TwitterなどのSNSを見ると、「ある程度の成功者」の皆さんのビジネス日常報告が休日でも溢れている。
ビジネス書を切り取って投稿されているかのように。
(もちろん役立つのでありがたく拝見させていただいております。ご成功何よりです!)

そして反面、何かしらの成功を手にした人たちに対しての嫉妬心もかなりの量が渦巻いている。

もし、SNS投稿に「感情の比率を読み取れるアルゴリズム」が存在したりしたら、一体どんな割合になるのだろう。
想像もつかないけれど、半々ではない気がする。

SNSで成功、ビジネスの正論を見ると、若干の脅迫概念に苛まれる。「できないことってそんな罪?」と悩んでしまうこともある。
だから、少しでも「やり直す機会のある世界」ができたらいいなーなんて思っている。

映画「ラストムービースター」は、「脱出」や「ブギーナイツ」など数多くの作品に出演し、2018年に82歳で亡くなったバート・レイノルズの最後の主演作だ。そこで彼が演じるのは、「かって。映画界を席捲、一斉を風靡したスターであるヴィック・エドワーズ」というベテラン俳優だ。

残念なことに、今では ほとんど忘れ去られてしまっている。

そんな中、1通の映画祭の招待状が彼のもとに届く。しかし、実際に行ってみると、ホスピタリティ最悪、名ばかりの映画祭であることに、彼は憤慨する。そして、主催者たちの若者、街の人々、映画祭に対して悪態をつくようになる。

だが、偶然にも、その映画祭が行われた街は、彼が生まれ育った街の近くだった。

映画祭を投げ出してしまうかれは、生まれ故郷をみて回ることになる。そこには、栄光の時代を過ごしたアメリカンフットボールで活躍したスタジアムや、初めての妻が暮らす施設があった。

1つ1つの過去の思い出を振り返りながら、彼はこれまでの自分の人生を思い出していく。端的に言えば、「過去にしがみついた頑固な老人」の回顧録に見える。

だが、彼は大切な事を言う。「映画には第一幕、第二幕、第三幕がある」と。それは、俳優としての彼の言葉というよりも、
故郷を見つめ直す事で、彼自身の人生に置き換えた「やり直すチャンス」を振り返り、その時々に後悔の念を持ちつつも、
残された少ない時間の中で、自分のキャリア、人生に純粋に向かい直していく姿なのかもしれない。

仮に、映画のシナリオであれば、幕が切り替わるに連れて、脚本家次第ではあるが、主人公はやり直していけるのかもしれない。
だけど、人生はそのまま過去の積み重ねや因果関係で進んでしまう事もあるかもしれない。

この主人公ヴィッグ・エドワーズは、最後の最後に向かって少しずつ自分の人生に落とし前をつけて行っているかのようにも思える。
例え、幕の途中で成功する展開にシナリオが書き変わらなくても、「気がつく」ことが、やり直せた証なのかもしれないなと感じた。

冒頭に書いた、成功とは?その基準も人それぞれだと思う。だけど、こんな誰の目にもほとんど触れずに、自分の中で落とし前をつけていくことも、
セカンドチャンスを成功に導いたと言えるのではないか。と作品のエンドロールを見ながら、僕は思った。

気づきと、考え方だけで一概に言われている成功の意味合いは、長い人生を見渡してみたら、大分変わる。

はっきり言って、想像以上に誰かの、自分の人生はいかようにでもなってしまったりする。

影響を与えて、受けて、また与えて。

自分にとっては、とても勇気付けられる、大傑作に感じられた。


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。