【読書感想文】小説 クライマーズ・ハイ
※これから読む方にも影響しない程度に、そこそこネタバレ含みます。
小説『クライマーズ・ハイ』を読んだ。
読んだのは二度目。初めて読んだのは初版のハードカバーだった。刊行は2003年だから、もう約20年も前である。そりゃあ歳も取るわけだ。…と思ったが、さすがの名作。読み始めてすぐに、当時の私自身の事と共に、一気に記憶が蘇った。
主人公の悠木和雅は地方新聞社の記者である。ある事件をきっかけに管理職を担う自信を失い、それ以来、一人遊軍記者となった。記者の仕事をしながら、趣味で山登りを始めた。
山登りを教えてくれた販売部の安西耿一郎に誘われ、谷川岳の衝立岩を登攀することになるが、その前日、未曾有の航空機事故である日本航空123便墜落事故が発生する。そして悠木はその事故の全権デスクを任される…。
著者の横山秀夫氏は、この事故が発生した当時、作中の悠木と同じく地方新聞社の記者をされていたそうです。そして実際にこの事故の取材もしていた。だからこそのリアリティや臨場感が、作品全体の描写や表現に、深さ重さを与えています。
事故から17年後、53歳になった悠木は、当時登ることの出来なかった衝立岩に、新たなパートナーと共に挑む。そこには深い意味が有った。衝立岩の登攀と日航機墜落事故の全権デスクだった当時の回想が、交互に進行する形で物語は進む。
悠木の人生を端的に表すと、不幸、不運、不遇。あまりにもしんどい。
生い立ちから不幸で、それは新聞記者になってからも尾を引くことになる。その生い立ちを考えると、新聞記者になれただけでも快挙のようにも思えるが、人生って不公平なもの。不幸の後に、不運が追い討ちをかける。
部下の望月が事故で死んでしまうのだ。ある交通事故被害者の面取り(被害者の写真入手)に行く途中の事だった。行くよう指示をしたのは悠木。望月は、新聞記者(本文中では、その部署から事件屋と通称を使用する)としては繊細というか、異端児。交通事故被害者の顔写真を載せることに疑問を持ち、悠木とぶつかる。素人の私でも、記者が一般論や正論言い出したらキリが無いというか、正直記者になるべきじゃないと思う。チームの輪を乱されてしまって仕事にならない。必然性の検証は都度すべきだろうが、唐突に若手から拒否を突きつけられた悠木の心中は、同じ社会人として察するに余りある。
悠木に同情する声は多かったが、結果、悠木は管理職を拒み、一人遊軍となった。自分を責めるのは悪いことではないが、私はやはり、不運だったと思う。
家庭の方も上手くいっていない。特に長男との心の隔たりは大きく、二人の関係性は物語の中でも一つの軸となる。隔たりの要因の一つは、仕事一辺倒で家庭を顧みなかったという、率直に言ってベタなもの。
しかしながら、今でこそ週休二日制が定着しているが、事故発生当時、社会人の週の休みは日曜日のみなのが一般的だった。その上新聞記者の活動時間は普通とは全く異なる。日が回る前に帰れないこともザラだっただろう。それだけ働いて家に帰っても、労を労うどころか疎まれる。それが当時の標準的な夫の姿。…それは言い過ぎかも知れないけど、でも、本当にそういう時代だった。
それだけガムシャラに働いていたからこそ、ちっぽけな島国である日本の経済力は、世界一になることが出来たんじゃないかって、私は思っている。男はひたすら仕事に人生を費やす。バブル崩壊までと今じゃ、労働量が全く違う。そんなに単純に比較出来る話じゃないのはわかってるけどさ。
もう一つ、悠木自身の不幸な生い立ちも、家庭という環境に対して、また、子供との関わり方に対して、及び腰になってしまう観念を形成したように思う。それは作中では具体的に描かれていない、私の憶測です。現実社会でも、生い立ちは人格や価値観に大きな影響を及ぼす。自身が親に恵まれなかった悠木が、我が子との距離感を掴めないことは容易に想像出来る。
一人遊軍だった悠木に突然与えられた、未曾有の航空機事故の全権デスクというポジション。社内でも部下という部下を持たない悠木に、味方はほとんどおらず、敵は多い。信念を貫こうとしても、身内に足を引っ張られる。そこに蠢くのは、妬み嫉み、そして保身。何処にでもある話なのかも知れないが、歴史的な事故の全権デスクとは思えない、あまりにも不遇な状況。何度も心が折れそうになるが、悠木はその山を乗り越えて行く。
共に衝立岩に登るはずだった安西耿一郎は、過酷なな仕事が祟り、くも膜下出血に倒れ、植物人間状態になってしまった。安西の息子、燐太郎は悠木になついていて、安西が倒れた後に燐太郎と関わる中で、悠木は自身の長男、淳との関係を顧みるのだった。
「下りるために登るんさ」
安西が悠木に言った言葉。
この作品のキーワードだ。
事故から17年後の、衝立岩登攀のパートナーは安西燐太郎である。燐太郎にリードしてもらう形で登りながら、悠木は当時を振り返る。全権デスクを任されながらも、社内の政治や上に立つ者のクソくだらないプライドに翻弄される。男臭い空間で行われる、陰湿な闘い。そこにはそれぞれに思惑があり、プライドがある。実際にその空気を味わった経験のある横山氏だからこそ描ける、ピリピリとした空気感。悠木の苛立ちや心の揺れが、読む者の真に迫る。
物語のクライマックスは、安西の言葉の意味に辿り着き、あの日登ることの出来なかった衝立岩を、息子の燐太郎と登りきるシーンになるのだろう。その場にはいないが、悠木と淳の物語も描かれている。
個人的に一番心を打たれたのは、悠木の事故と真剣に向き合う姿に、だんだんと同期や部下が悠木に信頼を寄せるようになっていく過程。そこには事件屋としての、譲る事の出来ない、絶対的な矜持がある。信頼する部下、佐山の「どこへ行ったって、俺たちの日航デスクは悠さんですから」という台詞には、この上ないカタルシスを感じ、涙してしまった。
同じ感動でも、20年前、初めて読んだ時とは違った感動だった。それはきっと、社会人として経験を積み、結婚し、子供が出来た、私自身の成長によるものなのだと思う。
ダラダラと書いたけど、それでも本作の魅力の半分も伝えられていないと思います。
序盤で事故死した記者、望月の娘である彩子も、とても重要な役割を果たすし、そもそもクライマーズ・ハイの意味とか…。
危うく見どころを全部書きそうになってしまいましたが、全編全て、余す所無く見どころと言って過言ではないと思います。
未読の方は、是非読んでみて下さい。
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