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モスキートーンは街に消え
頬を切る寒さも穏やかになる春がもうすぐ来る。
そのおかげか、気分を落ち着かせるために来ていた川沿いで、もう蚊が飛び始めていた。
私はここ数年で蚊が苦手になっていた。一例を挙げるのもはばかれるぐらい、室内にやってくれば正気を失うくらいに。
彼らは人の顔にめがけて飛んでくるし、室内に居座るし、集団だし、こちらの気分お構いなくボディタッチしてくる。血を無許可で取るし。
視界に入れるだけで運気が下がる、思い出しただけで身もだえる。
もちろん、私の認知が不健全に歪んでいるからだとは思うのだが、今は自分の精神状態を保つ事で手一杯なので蚊にはつらく当たるしかないのだ。
そんな私にとって狂気を引き起こす蚊でも、ひとりひとり地球の為に生きている。社会的に孤立してるから彼らを見たくないのか?頭は回らない。
早いもので活動を始めてだいたいひと月経った。
一か月で大きな結果が出てほしかったなんて甘えがなかったと言えば嘘になるが、電子の海の上では無名の自分は蚊より小さい存在だ。
才能の有無も正直わからないが、元の動機が「希死念慮に向ける時間の軽減」だから、成果は出ていると言い換えても過言じゃない。自画自賛はこういった時にこそしておかなければ。
とはいえ、一番見られているのが負の感情をひたすらぶつける本アカウントなのはどうしたものか。
いや、Xが悪い。ハッシュタグつけたのに人目に見られないXが。うん。
私の悪感情が誰かの心の支えになるか疑問だが、できる範囲でやれることに専念するだけ。苦痛の感じる毎日の中で、がむしゃらかつ溺れながら進めよう。
社会的孤立からの脱出、人生の春はいまだ見えなくても。
ここまで文章を書いて思うに、生き急いでいる自分を私は再認識させられる。
成果を求める場合でも犯した過ち、過去の苦難の納得に悩みの解放も、精神的な問題に対しても時間に身を委ねる事が、最善策になりやすいのは言うまでもなく。それが地球での自然の摂理と言える。
だから今の私がやる事は「気楽に」「ゆだねる」こと。しかし、それを己に許せないほどには現状の崩壊に執着してるとも言える。
自殺を考える不健全な状態で肩の力を抜く無理難題に耐えらず、故障しながら進む事を辞めない姿は暴走特急さながらである。
映画なら最後は大破爆発しそうな気持ちと自己分析できるなら、減速装置の交換でもすればいいものだが、いっそのこと「今までの自分」ごと廃車を選びそうになる。我ながら極めて刹那的だ。
当然ながら、「今までの自分」が全て間違っていた訳ではないのだろう。彼は彼なりにできる最善を尽くしていたのだから。
それどころか、責任の所在が自分にない事も多々あったはずで、誰かの八つ当たりめいた出来事もあったのだろう。
それでも、過去に起きた「ままならなかった」日々が許せなかった。「ままならなかった」が積み重なっていく日常が許せなかった。
心を砕いて不器用ながらも社会に参加する事を試みた日々に思いをはせて、本当に壊したかったのは社会環境の閉塞感なのか、抱き続けた過去の悪夢か、こう生きるしか知らない無知な自分か、憎しみ止まらない隣人なのかは疲れ果てて思い出せない。
とにかく、今はまだここで発信を試みている自分がいる。
「未来は明るい」と聞かされ、もうどれだけ経ったのだろう。少なくとも信じてた去年はひたすら苦渋を飲まされた。引き寄せの法則とやらもネガティブ優先しがちのようである。
行き場のない猜疑心はため息にともには離れないが、か細い羽音を今週も電子に飛ばした。