305日目(ディズニープリンセスの変遷とロマンティックラブイデオロギー)
時代で変わるプリンセス像
今日はおうちデー、みんなで映画鑑賞。「リトルマーメイド」「アラジン」を見た後、「塔の上のラプンツェル」とめっちゃ似てるやん!となり、長女とお風呂で作品を振り返る。
一方で決定的な違いもあり、お風呂あがりにメモしたのが下の写真だ。
ディズニー作品の基本構造
といえば、お姫様が王子様と出会い、冒険を通して困難を乗り越えゴールインするというもの。しかし、これらの作品はいくつかの特筆すべき相違点と共通点があることを見出した。
リトルマーメイド
昔よく見ていた妻が久々に見て感じたことは、
「今見ると少し古い感じがする」
ということだった。
アリエルをたすけてくれる王子様の存在、過干渉な父親からの自立、結婚というハッピーエンドがこの作品のテーマである。ラプンツェルと比べてみると、
という違いがある。ラプンツェルでは、王子様はいない。叩き上げの野生的な男とプリンセスが力を合わせて冒険していくという特徴がある。
一方、リトルマーメイドのアリエルはやや受動的である。時代が代わり、女性が自立し、リアリズムを享受した結果がこの二つの作品の違いに見て取れる。
王様と魔女の違いも興味深い。過干渉な王様ではあるが比較的平和的に結婚できたありえるに対し、偽物ではあるが育ての母の魔女は、その嘘(あるいは毒親ぶり)に最後は死んでしまう(ラプンツェルも特に未練はなさそうであった)。
逆に考えると、
というテーマは共通している。親からの自立というテーマはこの時期のディズニー映画からしばらく続いている(リトルマーメイド、アラジン、ラプンツェルさん作品ともそうだ)
アラジンとラプンツェルは特によく似ている
二つの作品の共通点は
アラジンとユージーン(名前も似ている!)という盗賊がプリンセスのパートナーであること、また、大事な場面で魔法のアイテム(魔法のランプとラプンツェルの髪の毛)が出てくることが二つの最大の共通点だ。
アラジンが1992年、ラプンツェルが2010年上映と考えると、そのことはとても興味深い。20年以上、同じような男女のラブストーリーが維持されてきているからだ。
この20年はまさにポストモダンの時代。形式的な美を象徴する王子様にとって変わられたのはワイルドな男性だった。
想定外の出来事にも臆することなく立ち向かい、世界を駆け巡る。グローバル化された社会をも暗示していると言える。
法律を変えてしまうアラジンのラストシーンは、脱構築の典型である。一方、その脱構築がさらに進んだのがラプンツェルだ。
育ての親が肉親ではなく、家の中で過ごす姿は現代っ子の象徴とも言える。まだ触れたことのない外の世界はまるでゲームやインターネットを通して見ているようだ。
しかし、そんな外の世界に触れるということがラプンツェルの大きな特徴だ。誰にだって夢があることを肯定し、多様性を認めていく。
ただ、全てを認めているわけではない。最後はラブマンツェルを騙した育ての親は、魔法の力が切れて死んでしまう。これは、なんでもアリなポストモダンに対しての、道徳的価値の対抗ともとれる。
それは主人公が男性(アラジン)から女性(ラプンツェル)に変わったところにも象徴されている。全て切断された父性から、つながりを求める母性へと時代の要請が変わっているのかもしれない。
すべて断ち切り自由になることは、何をしていいわけではない。主題歌が、A whole new world(すばらしい世界)からwhen eill my life begin(自由への扉)になったことが、このことを表している。ただ、グローバルな世界を称賛するのではなく、平凡な毎日に価値を見出しつつ、一歩踏み出していくことが大事なのだ。
愛の形
以上から、3作品の愛の形が見て取れる。ロマンチックラブイデオロギーも時代とともに少しずつ変化しているのだ。
とりあえずこんな感じでテーマをつけてみると、ディズニー作品がいかに世の中の愛の形に貢献しているかがわかる(むしろディズニーイデオロギーだ)
2010年代のディズニー
追記すると、かの有名なアナ雪は、ディズニープリンセスの概念を一気に変えている。
主人公が女性2人でしかも姉妹、物語の中心は姉妹愛(ハンスやクリストフも登場するが)。
ロマンチックラブイデオロギーそのものの脱構築をも予感させている。
2020年台が、LGBTさらに越えていく時代であることからも、アナ雪の影響は計り知れなかった。