終わりがあると知っているから。
COCOです🎈
もうすぐ、はじめての母の命日。
あの日から、もうすぐ一年も経つなんて、時の流れは恐ろしいものです。
さて、そんな今日は、ちょっとだけ「人生の終わり」に向き合ってみようと思います。
(母親の死に関する内容が登場します。閲覧にご注意ください。)
母の死を通して、「人生の終わり」に向き合ったら、何をどう感じるようになったか?
今日は、そんなお話です。
終わりが、怖い。
「人生は、必ず終わる。だから、今が輝く。」
こんな言葉を、どこかで聞いたことはありませんか?
私自身、本を読むのが好きなのもあってか、ことあるごとに、このような言葉を目にしていました。
年を重ねるごとに、そういう"人生教訓的なもの"に出会っても、「あぁ、確かにね。」と、
自分自身の経験と照らし合わせて、納得できることも、増えていたのですが、
この言葉については、どうしても、意味が腹落ちしてきませんでした。
今思うと、その理由はきっと、「人生の終わり」に、向き合うのが怖かったから。
「自分はいつか、必ず死んでしまう」なんて、考えたくもなかったし、その現実から、目を背けたかったんだと思います。
母が最期に教えてくれたこと
ですが、母が亡くなる時、「人生の終わり」というものを、まざまざと体験しました。
とても辛い経験でしたが、母のお葬式の時、お経をあげてくださったお坊さんが、
「親としての、一番最後の仕事とは、子供に死に目を見せることです。」
と、説いてくださったこともあって、それ以来「人生の終わり」について、少しずつ考えるようになりました。
そんな中で、ある日突然、
「人生は、必ず終わる。だから、今が輝く。」
という、自分の中で、ずっと納得できなかった言葉が、すっと腹落ちしてきたのです。
「美味しいご飯を食べること」「日の光を浴びながら散歩すること」「家族とたわいもない話で笑うこと」「恋人と肌を合わせること」・・・
もちろん、母が亡くなる前にも、これらのことの"かけがえのなさ"は感じてはいましたが、
母が亡くなってから、それらの"かけがえのなさ"の、本当の意味が分かった気がします。
「楽しい」「嬉しい」「心地よい」「綺麗だ」・・・そう感じる瞬間は、生きている"今"しかない。
そして、その"今"は、いつか、確実に、終わりが来る。
だからこそ、"今"が、かけがえがなく、大切なものなんだ。
そんな風に考えるようになりました。
「小さな幸せ」を、かみしめて。
それからというもの、幸せの粒度?が、とても細かくなったように感じます。
もっと簡単に言うと、「小さな幸せ」も感じるようになった、というところでしょうか。
今、私は仕事をしていないし、母も亡くしたし、端から見たら、結構不幸せそうな人生を、歩んでいるようにも見えるのですが(そして実際、我慢していることも沢山ある)、
「小さな幸せ」を感じられるようになってからは、不思議と、人生は、どんどん楽しいものになっていきました。
・・・まあ、と言いつつも、自分で稼いで素敵な洋服を買ったり、彼と同棲して犬を飼ったり、幸せを大きくしていきたい気持ちもありますが(笑)
今は、今の自分に合った、身の丈の幸せを満喫しよう、それもいいじゃないか、という感じですかね。
なんだか、どんどん話が脱線してしまいました(笑)
とにかく・・・「"今"は永遠ではないから、"今"がかけがえがない」ということが、母の死を通して腹落ちしました!という、ご報告でした(笑)
母上、大事なことを、遺してくれてありがとうな。
母の命日、感謝を込めて、いい時間にできたらと思います。
COCO🎈
※この記事は、2022/2/4に投稿した記事の、eyecatch画像・公開時のハッシュダグを一部変更し、再投稿したものです※
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