※原作読んでません!!!!! 読みます、、、
2/21追記:読みました
前半のパーフェクトデイズが思った以上に長い
長い。
お米研いだりシャケ焼いたり洗濯したり素麺啜ったり串焼きを自作したりハムエッグ食べたりコーヒーを挽いたり、長い。
いや丁寧な生活からの不穏、というのは事前の予告で見て何となく構えてはいたんだけど、それでも長い。何も起きない。びっくりした。王の帰還?
三幕構成がサァ! とか手前ごときがのたまうつもり全くないんですが(手前で小説書いていて三幕構成になったことなし)、いやでもパーフェクトデイズ(つまり丁寧な生活描写)の話って、せいぜい1:2:1の割合で行くと1くらいで良いのでは?! と映画見ながらと思いました。それくらい「何も起こらない」(もちろん「敵」は近づいてくる。メールだったり、体調不良だったり。しかしそれこそ、よくある迷惑メールくらいの存在感で脇に追いやられる)(テキストベースのメディア(原作です)だと、また違った感じになるのかな。全般に)。
パーフェクトデイズ繋がりで言うと、本家パーフェクトデイズが若い娘にキスされて銭湯でニンマリ、とか、呑み屋のママに「平山さんはインテリね(お世辞)」「そんなことないよ(ガチ照)」「あれぇ、ママ、平山さんのポテサラ、みんなのより多くない?(お世辞)」「皆平等です!(お世辞)」「(ガチ照)」くらいで済ませていたのに対して、敵ではちゃんとパンツを下ろしてたのはかなり 武士 だなと思いました。
Twitter?
いい歳のおっさんが若い女にホの字になるやつ、Twitterでめちゃくちゃ見てる気がする!!!!!!!! 「大学教授(あるいは「社会的ステータスのあるおっさん」)が、社会的・相対的に弱い立場の若い女に接近する話(かつ迫る方にハラスメント意識無し)」ってめちゃくちゃTwitterじゃねぇか!!!! と思っちゃった。
あと「敵」のビジュアライズ=「難民」、に対するイメージ(Macで流れる文字列、「黒ずんだ」「略奪が」「放水車で」)もかなりTwitterで見るやつ〜と思ってしまった(原作読んでないのでマジで何とも言えない。原作(文字)から映画(視覚)へと変換される際に何がどう変わり、何が起きたのか? というのは気になる。原作読んでないけど。読みます)(「黒ずんだ難民」というのはメタファーというよりはかなり一意に特定されるなァ、と思いました。メタファーとは)。
若い女がサァ! で言うと、あの夜間飛行の現役立教学生について映画では儀助に対して・本筋に対して・更に言えば映画そのものに対してフェータルに見えなかったんですが、どういう位置付けなんだろう、単に若い女に金を取られただけ?
敵?
原作読んでないので何も分からん! が映画のみの初見だと敵は結局なんだったんだよとかなり素直に思ってしまった(馬鹿でスミマセン)。「儀助に迫り来るもの・恐れているもののメタファー」と素直に読んで良いんですかね(という時に、「難民」というワードとビジュアルでメタファーとは……みたいな引っかかりを感じてしまった。単に私が)。
といいつつ、実は一番の大オチを目が悪すぎて見損ねました。「家」「家系」が果たす役割もまた、映画初見ではよく分からなかった。
「敵」に関して言うと、Macに文字がブワーッ(千原ジュニア)出るシーンは劇伴とあわせてかなり気持ち良かったです。それまでの抑制的な生活描写の連続のあとだったので、あれは直近一番興奮しました(ただそこでもパーフェクトデイズシーンとぶわーっのシーンが交互に挿入されて劇伴ごと細切れになるのでおい!!!!! と思った)。
あとクライマックスで、儀助が家の中を駆けずり回るシーンの音響効果もすごく良かったです。
そのほか
原作読んでないので霊感で喋ります。
文字→映像への翻案をきっとめちゃくちゃ高レベルでやったんだろうな! と思う一方「テキストベースのメディアに最適化された話」を他メディアに変換するとめちゃくちゃ大変だろうな!!!! と思った(儀助の意識が夢と現実のあいだをシームレスに行き来する、というのかなりツ、ツツイ先生〜と思った(筒井ニワカファンですが……)、その一方でそのビジュアライズとしての「屋内で普通にメシを食う・風呂に入る・寝るという映像」の視覚的なパワー、純粋な出力としては控えめになるよね)(派手にすりゃいいかという話ではないんですが)。
原作読んでの感想
原作がまず敵というほど敵の話をしていない
敵そのもの(=つまりこれは「北からくる敵」のこと)はあくまで多数ある章立てのひとつに過ぎない。作品全体を(明示的に)貫く要素では無い
むろん老いによってもたらされる様々な作用をひっくるめて「敵」とみなすことは可能でしょうが、、しかし、、
「北からくる敵」というよりは老いとそれに伴う認知力の低下というか、虚実の混濁のほうが要素としては大きい
原作読んで改めて映画について考えると、あの日本家屋(厳密に間取り見比べた訳では無いんですけど)や鷹司靖子、菅井歩美の再現度は恐ろしく高い
一方で原作未見時の第一印象としてはじゃああれだけ引っ張った「敵」とは、というかそこの大仕掛けというか大見得というか、「敵」を軸に使った物語上の進行は見たかったよね、とは思ってしまう
映画では原作より「北からくる敵」のほのめかしの割合が増えたように感じるが、正直な感想として消化不良というか、もっとこう、映画そのものの核心にあって欲しい・解決して欲しい、という欲望が湧いてしまった!