タケコプター

42歳 家庭崩壊寸前の危機に瀕している二児のパパ。浅学の身ではありますが、昨年から本にハマり出し、少しずつ頭が整理されてきている気がして?来たので、日々思う事を書き綴っていきます。

タケコプター

42歳 家庭崩壊寸前の危機に瀕している二児のパパ。浅学の身ではありますが、昨年から本にハマり出し、少しずつ頭が整理されてきている気がして?来たので、日々思う事を書き綴っていきます。

最近の記事

ウクライナ避難民の話を聞いて

プーチンさんよ!岸田さんよ!あんたらやっぱり間違ってるよ!戦争に正当性なんて少しも有りはしない。武力で平和なんてありゃしない。誰が得をするって言うんだ?岸田さん!軍事力強化して守ろうとする気概があるなら、しっかりプーチンと対話をして下さい!今まで日本が長い間培ってきた対話の力を見せつけて下さい!お願いします。

    • 『YOUは何しに日本へ』見てたら、テレビもまだまだ捨てたもんじゃないな!って思ってしまった(T ^ T)

      • 『ある男』を読んで、、、

        ニュースで、殺人であったり、イジメであったり、暴力行為であっりを耳にするたびに、被害者には勿論だが、どうしても自分は加害者の心情を考えてしまう。そういう意味でここに出てくる弁護士の城戸の思考には至極共感する。 決して罪を犯す事を肯定する訳ではなく、そこに至るまでの彼等彼女等の出自や育った環境、そうさせてしまった何かが其々の深淵に存在するのではないか。至らせてしまった親や社会にも原因があるのではないか。何度も言わせてもらうが、犯罪行為は決して看過されるべき事ではない。性善説を信

        • 輪廻転生

          命が繰り返すという現象が存在するならば、大切な人はきっと何処かで息を潜めているのかも知れない。そうであるならば、ポッカリと空いてしまった心の穴も、埋めに来てくれるだろうか。

          『透明な膜を隔てながら』を読んで

          図書館で、ふとした事で手にした李琴峰さんのエッセイにとても感銘を受けたと共に、考えさせられる内容であったため、ここへ書き記そうと思います。 LGBT、マイノリティーということに関しては、今や、恐らく世に溢れんばかりのコンテンツとなっているかと思います。しかしそれは当事者達にとっては古から存在していたものであり、何を今更!と思う方も多いのではないでしょうか。 ただ、そういった言葉が生まれた背景には、マジョリティーと言われる方達の意識が変わってきたからだと思うのです。因みに自分

          『透明な膜を隔てながら』を読んで

          本能の赴くままに

          やはり人は今も、何も変わってないのかもしれない。 日々ネットから溢れ出てくる情報に惑わされ、本来の自分自身を、皆見失ってしまっている気がする。知りたい情報の検索により、知らぬ間にエコーチェンバーの中へといざなわれ、選択的接触によって自分と同じ意見の人達といつの間にかコミュニケーションをとり、本当にそれが自身が欲していた事なのか、迷走してしまう。 しかし実は勝手に心の内を何の根拠もなく、複雑化してしまい、情報過多の世の中に振り回されているだけで、もう少し単純に、難しく考えず、

          本能の赴くままに

          小説を読む効果

           本を読むことは好きだったんですが、去年までは年間一冊読むかどうか程度でした。そして読む時間がないを言い訳に、中々手に取らなかったり、飽きっぽいので、まず最後まで読了せずに綴じてしまう。そんな感じでした。昨年年末にある小説を手にしました。それまで小説というものを正直馬鹿にしていました。格好をつけて自己啓発本やエッセイばかり手にとり、ろくに読了も出来ずに終わっていた自分が、ふと手に取った小説を読了したんです。しかも満足感というか、清涼感というか、なんともスッキリとした読後感に、

          小説を読む効果

          見るハラ

          見るハラねぇ〜、今目覚まし8で取り上げていたけど、コレは恐らく未来永劫の課題で、今生に男と女という価値観の違った生き物が存在する限り、解決できないんじゃないかな?チラ見に関しては平安時代からも、或いはそれ以前からも恐らく続いていて、もう情趣って域な気もするし、そういう事言うとまたバッシング受けるし。そもそも議論しちゃいけない気もする。 確かに、相手が不快になるような『凝視』はアウトだと思う。でもならばこの多様性を謳う時代に、それは女性に向けられるものとしてだけの議論で終始し

          真摯に生きる(善悪の基準)

          真摯に生きてきたつもりだ。少なくともこれまで自身を懐疑する事もなくそう思い続けていた。しかし今になってその思いが悉く崩れてしまった。 3年前位に妻と喧嘩をし、家の中でもすれ違いざま目も合わせず、何かあれば高校生と中学生の娘2人を介し、お互いの言いたい事を伝えて貰う。後は家に居てもLINEのやりとり。    『朝お金置いといて。』    既読のみ。    『明日帰る』    1週間後に既読。 やりとりというよりも一方通行。 真摯に生きてきたつもりだ。 思い返してみると、自分

          真摯に生きる(善悪の基準)