真摯に生きる(善悪の基準)
真摯に生きてきたつもりだ。少なくともこれまで自身を懐疑する事もなくそう思い続けていた。しかし今になってその思いが悉く崩れてしまった。
3年前位に妻と喧嘩をし、家の中でもすれ違いざま目も合わせず、何かあれば高校生と中学生の娘2人を介し、お互いの言いたい事を伝えて貰う。後は家に居てもLINEのやりとり。
『朝お金置いといて。』
既読のみ。
『明日帰る』
1週間後に既読。
やりとりというよりも一方通行。
真摯に生きてきたつもりだ。
思い返してみると、自分でも矛盾だらけの人生を送って来た気もしなくはない。
子供達には、『そんな汚い言葉使うな!』とか『人の気持ちをちゃんと考えろ!』だとか表向きはいい事を言っているようだが、裏の自分は違う。風俗だの不倫だの、そんな矛盾した事があるだろうか。百歩譲って、不倫は如何なるいわれがあろうとも許されざるを得ない事である。そんなのはわかってる。やはり、真摯ではなかったか、、、。
然れどやはり、真摯に生きてきたつもりだ。
会社でプチボーナスが入れば、妻と子供達の喜ぶ顔が見たいからお土産のデザートを買って帰る。いつもより早く仕事が終われば、共働きで疲れて帰って来るだろう妻よりも早く家路に着き、ご飯の準備をする。『何これ?全然味がないんだけど?』と一蹴され、ガッカリ、、、。
布団の中で妻に手を出そうとすれば、また一蹴され。
真摯に生きてきたつもりだ。
ここ数年、善悪に関して少し考えるようになった。
特に『男の性欲』には至極複雑な事情があり過ぎる。語弊があるといけないので、ここでは世の中の大多数と言っておこう。大多数の男達はやはり平時に於いて頭の中はそういうコトで一杯な気がする。たしか川上未映子さんが『ヘヴン』で描いていたが、善悪の基準ってとても難解である。
公園で子供と仲良く手を繋いで微笑み合ってるお父さんが、仕事の帰りには風俗に通ってる。果たして『悪』なのだろうか?仕事場では同僚の女性社員と仲良く喋ってる。果たして『悪』なのだろうか?向こう3年間、妻が相手にしてくれず、風俗に通う。果たして『悪』なのだろうか?
恐らくそれらは世の中の女性たちの反感を買うものだろう。
決して風俗に行ったって、職場で女性社員と仲良く話したとしたって、妻、子供を忘れた事はない。家族の為にガムシャラに稼ごうという気概を、決してお座なりにしてきたわけではない。
今迄家族の為、と思ってきた事がいっきに崩れ去り、胸の内がガランとしてしまった。どうにかせねばと思い、ここ数ヶ月、読書に没頭し、感じるモノを落とし込もうとするが、引っかかっているのか、空いた穴から零れ落ちているのか、ごちゃ混ぜになっているのか、自分でも訳がわからない。
自分はそれでも真摯に生きてきたつもりだ。