第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (七)
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<七>
「よっちーん! ヤスーっ!」
年が明けての元旦は、よく晴れた暖かい日だった。待ち合わせ場所に立つ親友たちの姿に、青空の下、梟帥は大きく手を振った。
「おー、たけるー」
「久しぶり」
「なんか、二人ともゴツくなったな」
「そういうおまえは、相変わらずヒョロイなぁ」
「うるせぇ、引き締めてんだよ。筋肉はついているぞ」
「あ、ほんとだ。硬い」
お互いに肩を叩き合って、再会を喜んだ。初詣に向かう人々に混じって歩き始める。屋台を覗き、食べるものを適当に買ってヤスの家へと向かった。
「相変わらず、妖怪退治とかしてんの? 大学は?」
「まあ、どっちもぼちぼち。そっちは? 訓練とか厳しい?」
「まあ、厳しいっちゃあそうだけれど、何かにつけ先輩にボコられるのがきつい。教育的指導ってやつ」
「ひどいな。どこにでもいるんだな、そういうやつ」
移動中も、お互いの近況を報告しあう。笑い合い、途中、晴れ着姿の娘に目移りするよっちんを、引っ張って歩いたりもして、まるで、昔に戻ったかのようだ。そう振る舞う。
家について、一年ぶりにヤスの母親にも会った。元気そうだったが、少し老けたように見えた。元来、舌の良く回る賑やかな性質の人だが、若干、口が重くなっている印象を受けたのは仕方のないことなのだろう。ただ、男よりも女の方が、現状を重く受け止めているように感じた。
持ってきた酒とつまみに、出してもらった煮しめなどを馳走になりながら、ヤスの部屋で三人駄弁って過ごした。思い出話、知人の近況などを話しながら、食べて飲んで、くだらない冗談に笑いながら時を過ごした。
話題が途切れ始めた頃、酔っぱらいの思いつきで、思い出の場所を巡ることにした。近所のなんて事のない場所ばかりだ。三人で駆け回った原っぱや通った学校、通学路途中にある店の前などをぶらぶらと歩くうち、忘れていたことも思い出してぼつぼつと、あれはああだった、これはどうだったと、自然と口をついて出てきた。時折吹く空っ風を突っ切って走り回る、子どもの頃の自分たちの姿が見えるようで、過ぎた日々に懐かしさがより募った。
目線は高くなり、広かった空き地は、記憶よりもだいぶ狭い。そのせいか、少し感傷的になりすぎたようだ。それは二人も同じのようで、徐々に口数が減った。なんとなく立ち止まり、土手から傾き始めた陽の下で川の風景を黙って眺めた。と、よっちんがボソリ、と呟くように言った。
「辞令が出て、正月が明けてすぐに大陸に赴くことになった」
やはり、と梟帥は唇を噛み締めた。
「僕はまだだけれど、近く出されると思う」
ヤスも言った。梟帥は、そうか、としか答えられなかった。二人に言いたいことは山ほどあるのに、いざとなると何ひとつ言葉にできなかった。
「あのさ、これ」
ただ、懐から咲保にもらった守り袋を取り出して、二人に渡した。
「お守りか。ありがとな」
「たけちゃんからってだけで、ご利益ありそうだね。ありがとう」
「うん、あるよ。あるから、絶対に肌身離さず身につけていてくれ。必ず、お前らのことを守ってくれるから」
「どこの神社? これ、何かな? 刺繍がしてあるけれど」
「剣だろ。こっちの丸いのは、何かわからないけれど」
「宝珠だよ」
梟帥は答えた。
「二人とも、ぜったいに生きて帰ってこいよ」
「うん、お国のために頑張ってくるよ」
「頑張らなくてもいいから、絶対に生きて戻ってくることだけ考えろよ。格好付けとかいらないから」
戦争に負けてもなんとか守ってみせるから、と嘯いてみせる。
「留守の間、おばさん達のことは任せろ」
「たけちゃん……うん」
「おう、戻ったらまた呑もうぜ」
しんみりとした空気の中、ヤスがよっちんを肩で小突いた。
「よっちん、泣くなよぉ」
「泣いてなんかねーよ!」
「よっちん、図体に似合わず泣き虫だからなあ」
「なに言ってんだ、お前だって墓場の肝試しで、お母ちゃん呼んでびいびい泣いてただろうが」
「昔の話だろ。それにあれはたけちゃんが悪い!」
「え、僕?」
「幽霊のいるふりして散々脅して!」
「そんなんしたっけ?」
「背中触ったりとか、足引っ張ったりとか」
「覚えがないなぁ。だって、僕は真ん中でヤスの前にいたし。やっちんが先頭だったろ。どうやって、背中触ったり足引っ張ったりできるんだよ」
「え、だって」
「おい、冗談だろ……ヒトダマとか」
「いや、ほんとうだって。ヒトダマも知らない。蛍の見間違いじゃないのか?」
「あんなでっかい蛍がいるかよ!?」
うわあ、と十年近く経って知った事実に梟帥は笑い、ヤスとよっちんは、ぎゃあ、と声をあげた。おかげで湿っぽい空気は霧散した。景気付けに飲み直そうということになって、ヤスの家に戻った。
切り出しにくい話せたからだろう。戻ってからは一段と和んだ空気で、軍内部でのくだらない噂話など、どうでもいいことで笑うことも多くなった。女性にはとても聞かせられない話も、下品な悪口も。話題はなんでもよかった。誰も口にはしなかったが、今生の別れにもなるかもしれない時をできるだけ楽しく過ごそうと、三人で朝まで飲み明かした。そうしたせいだろうか、朝、別れる時は呆気ないほどだった。またな、とまた明日も会える気軽さで、手を振って別れた。一人で歩き出した時、明るい太陽が目に沁みて、涙が出た。
魯国との戦いは一年八ヶ月ほど続いた。激戦の様子は本国でも報じられ、耳にするたびに梟帥は息の詰まる思いを抱いた。結局、二人の戦死の報は届くことがないまま終戦を迎えた時、梟帥はやっと、胸を撫で下ろすことができた。
ただ、まったく無事というわけでもなかった。戻ってきたよっちんは左脚を銃で撃たれ、一生、不自由を抱えることになった。ヤスは戦地で脚気を患い、帰ってきてからもたびたび目眩を起こしたりと、後遺症が残っている。それでも、生きて帰って来れただけで良かった、と除隊後に再会した二人は、過ごした時の過酷さを顔に染み付かせて言った。笑っても、戦争に行く前とは違う顔になっていた。痛ましさを覚えた。が、それでも揃って生きて戻ってきてくれただけで、泣けるほど嬉しかった。死んだら、何もかもがおしまいなのだ。たとえ、友に苦しみが残っていようとも、どこかにあるだろう救いを見つけられる可能性に、二人の手を握り今を喜んだ。
そんな風ではあったので、咲保のお守りは役に立たなかったのかと言えば、そうではない。その時の話を二人から聞いて、梟帥は開いた口が塞がらなかったぐらいだ。
あり得ない。だが、そうなのだろう、と確信めいて思う。が――、
「……咲保さん、やりすぎだ……」
思わず、呟いていた。
魯西亜との戦争において特筆すべきは、八万四千の戦死者と十四万三千の戦傷者を出した激戦の中にあって、不可思議な目撃談が数多く残されていることにあるだろう。中でも目立つのは、赤い服を着た兵士の話だ。
魯西亜軍の将軍は手記に、敵兵の中にときどき丸の中に『喜』の文字の印をつけた赤い服の兵士が混じっていた、と記録している。この兵はいくら撃っても倒れることなく向かってきて、弾が当たれば光を放ち、目がくらむそうだ。この赤い服の兵たちは他でも多く目撃され、どこからともなく現れたと伝わる。敵兵の攻撃は当たらず、逆に銃を撃てば百発百中であったと、いくつも語られている。
のちに赤い服の兵の正体は、主に伊予之二名島の化け狸たちであり、総大将は、蓑山大明神の法名をもつ、屋島寺の屋島太三郎狸だったと伝わっている。
了
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