第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (六)
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<六>
◇◇◇
家に帰れば、珍しく父が先に戻っているというので、梟帥は仕事の報告がてらそれとなく色々と聞いてみることにした。咲保との会話だけでは、どうにも納得しきれないことが多かった。
「なんだ、おまえも木栖家の『場』に招かれたのか」
やはり、訪問済みだった。先を越されて、少し悔しい。
「偶然、街で咲保さんと会ったものですから。色々と憚られる話もあったので……ご心配なく。木栖家のモノも同席していましたから。やましいことは、何もありませんでしたよ」
「当たり前だ。しかし、あそこはいいな。狭いのが難点だが。もう少し広ければ、人を集めて話もできるし便利だからうちでも作れないかと相談したことがあるが、難しいだろうと言われたよ」
「そうなんですか?」
「木栖家に仕えるモノが作ったのだろうが、『場』を作るだけでかなり消耗するそうだ。あの広さで数ヶ月は使いものにならなくなるらしい」
「そうですか」
咲保が作ったことは内緒らしい。梟師もそこは黙っておくことにした。しかし、咲保は本当に底が見えない女性だ。しっかりしていそうで、どこか抜けている。しかも、本人はその辺は無自覚らしいだけに、実に危うい。桐眞が梟師を近づけたがらなかったのも納得だし、モノたちも皆、過保護になるわけだ、と理解した。
「僕らも、討伐の際の休憩場所とかに使えると良いと思ったんですが……残念です」
「そうだな。この先のことを考えると、『あわい』は非常時の物資や食料の保管場所としても有用だろう。拠点を作る以外でも活用できるよい手立てがないか、考えていく必要があるだろうな。だが、木栖家の『場』のことは、他言無用だぞ。楢司も茉莉花も知らん。身内でも、家族のみにしか伝えていないそうだ」
「承知しました」
その後、今日の仕事と登宇京の現在進行中の開発との関連についての所見を、簡単に報告した。
「栄扉城自体にも、なんらかの術が施されていたかもしれんな。焼失した今は、確かめる術もないが……ただ、最近とくに周辺には、物の怪や妖の類が多く集まってくるらしい。中にはさほど入って来ないそうだが」
「中にもって、そのうちデカいのが出たら、どうするんですか」
「大丈夫だろう。形ばかりでも、最低限の儀礼や祀りを絶やさないうちは」
「……木栖家の御当主も大変ですね」
「そうだな。何かにつけ予算を削減しようとしてくるから難儀しているそうだ。祀りに限った話ではないがな」
「結局は、金ですか」
「そう言ってやるな。政府も馬鹿ではない」
父は、長い溜息を吐いて言った。
「開国以来、急ぎ外国に侮られないだけの軍備増強と近代化を推し進めなければ、いつどこに攻められるとも限らん状況が続いているんだ。最前線で交渉を行っている者たちなど、まるで猫の群れを前にした鼠の気分だろう。魯西亜駐在大使の恫喝癖は有名だが、今のところは味方と言っている国からも、東亜細亜の防波堤にさせるべく水面下で圧力がかかっている。これを断れば、黒船来航再び、だ。魯西亜だけでなく亜墨利加も大清帝国も、どこも防衛拠点としてこの地を欲しがっていることは明白だ」
「清は、十年前の戦争から変わらずですか」
「変わらんな。相変わらず、大韓帝国と台湾の宗主国であることを主張し続けているし、虎視眈々とそうする機会をうかがい続けている。永遠に変わらんだろうな」
「それに、植民地を増やしたい大英帝国をはじめとする欧州諸国に、それに対抗したい魯西亜とそれを叩き潰して、あわよくば資源をもぎ取り利益をあげたい亜墨利加ですか。めちゃくちゃだな」
「そうだ。それらどの国もが、その地に暮らす者を搾取する対象としか思っていない。それが問題だ。現に、かの国々に支配されて発展したという国の話は聞いたことがない。娼館と監獄の数は増えたみたいだがな。あとアヘン中毒者か」
「まあ、連中は、僕らのことも陰ではさんざん豚だの猿だのとこき下ろしているみたいですから」
単純に不快だ。それなのに、狙われている国にも一定数、各国を支持する者がいるというのが不思議でしょうがない。
とは言え、世の中、綺麗事ではすまない面があるのも確かだ。この父も、ちゃっかり戦争に乗じて利益を出し、梟帥もその恩恵に預かっている。
「これらに対処するには資金が必要になる。美術工芸品から普段使いの茶碗や皿まで、ありとあらゆる物を売って外貨を得たところで、到底、足りん。しかし、税をあげすぎれば、庶民の生活が立ち行かなくなる。景気はますます悪くなっていく一方だ。ならば、どこから資金を得られるか、という話になる」
「また、借金するしかないんじゃないですか。十年前の戦争の負債は返しきれていないみたいですが」
「そうだな。それしかあるまい。まずは、脅威の排除が最優先だ。諸外国にとっては、我が国など糞の足しにも思っていないだろう」
「例えにしても、ひどい」
「事実だ。自国こそ至高、それ以外は蟻塚ぐらいにしか思っていないだろう。植民地の防衛と社会的主義主張をめぐる駆け引きのための捨て駒にしか思っていないだろうが、我々にとっては国の存亡に関わる。魯国は強敵だ。勝たねばあとはなく、厳しい戦いになるだろう。まちがいなく人的損失も大きくなる。大清帝国でも大韓帝国でも、親魯派がいつ行動に出るかわからん。せめて対抗できるだけの軍事力を彼の国もつけてくれればいいのだが、未だ足りん」
「僕には、半島の国々は黒船が来なかったせいで、清国や欧米に対抗できるだけの軍備を備えようという気が足りないように思えます」
「それもあるだろう。金がないのは同じだが、畏れるべき神がいないようだから、我が国ほどに危機感はないかもしれない。十年前同様に、日和見主義の連中が足を引っ張ってもいる。しかし、それで万が一、補給路がとざされたりすれば、悪化の一途だ。軍の暴走も懸念される」
「祟りが引き起こされる危険も」
「我々にとっては、それが一番の問題だ。犠牲者の数が多ければ多いほど、怨霊となる可能性が高まる」
「そこまでして、我が国が出る必要もないのではないですか?」
「ここで食い止めねば、次はこの国が荒らされるとわかっていてか?」
「そうではないですけれど……他に犠牲を減らすための手立てがあるでしょう。海上で迎え討つとか」
「それの場合、上陸を許した時点で負けたと同じだ。敗戦した場合、そもそも怨霊という概念がない以上、あちらの神にあれらを抑え込めるとは思えん。祓えなければ、大規模な災害が起き人心は更に荒廃する。軍人だけでなく、国民全員が、だ。そして、それがより大きな不幸を呼ぶことにもなるだろう。この国に限らず、何十年何百年と続く衰退を招くことになる。そのことは十年前で証明済みだ。未だ清国への恨みを忘れていない者は多い。各地の寺が積極的に慰霊してくれたおかげで、なんとか表に出ずに済んでいるが、それをどこまで抑えていられるかもわからん」
そして、負の連鎖は永遠に続くことになる。
「託宣ではこの先も戦が続くとでているから、敗戦はないのではないですか?」
「そう思いたいが、なんとも言えんな。どこかの占領下で、都合の良い戦力として投入される可能性だってある」
「そうか……その可能性もあるか」
「まあ、その頃には、この国はとても人の住める場所ではなくなっているかもしれないがな。それで、慌てふためく連中の様子は小気味良いだろうが」
うっかりといった風に、父から本音が漏れた。穏健派と言われる者たちも、たいてい腹に据えかねる状況であることは明らかだ。
「万が一敗戦し、敵国に国土が荒らされれば、柱だけでなく、封じていた怨霊や物の怪どもが解放されかねん。最低でも、皇の御身をお守りし、輝陽と爲良だけでも死守せねば、実質、この国はおしまいだ。しかし、それを知らずとも、衆議院に戦以外の手立てがあるなら、その方が望ましいと思っている者も少なからずいて、動いている。それが今のところの救いだ。この先、彼らがうまく育ってくれればいいが」
政治家の顔をのぞかせた父親の顔を見ながら、溜息しか出なかった。まるで、綱渡りだ。ふざけるな、と言いたくもなる。自分の国の問題は自分たちだけで片付けて、他国を巻き込まないで欲しい。自分たちの面倒ぐらい、自分たちで見て欲しい。他人に頼りたいなら、せめて自分たちでなんとかしようと努力する姿勢を見せてからだ。それも出来ないというなら、それなりの対価を支払うべきだろう。
(でも、まともに話も聞く気もなさそうだし、通じなさそうだしなぁ)
倫理観の違いに加えて、言語の壁もある。交渉の最前線に立つ者たちは、さぞかし苦労しているだろうと想像がつく。梟師だったら、大金を積まれて土下座されたって嫌だ。
(モノが追い払ってくれたらいいのに……)
でなければ、神でも仏でもいい。いっそのこと、会談と称して面倒な国の要人を呼び入れて、やらかした先から祟ってもらうというのはどうだろうか――?
そんな不埒な思い付きも浮かぶ。であれば、少なくとも人的被害は免れる。だが、あり得ない話だ。国内ならまだしも、神もモノも、国外のことにまで気にかけることなどないだろう。
父とのそんな会話があって数日後、亜墨利加で世界初となる有人動力飛行の成功が伝えられた。空を飛びたいという人類の夢を叶えた云々よりも、いつになるかわからないが、いずれ兵器として戦争に投入されるだろうと簡単に予想がついて憂鬱になった。
どうあれ、梟帥は無力だ。それを痛感する。友の無事を祈りたくとも、祈る先を知らない。軍神に願ったところで、戦勝や武運長久など望んではいない。ただ、彼らに、無事に生きて帰ってきて欲しいだけだ。
よっちんこと三矢吉治とヤスこと安原賢介の二人は、尋常小学校で梟帥と一緒に学び遊んだ悪ガキ仲間だ。生まれはそれぞれ違ったが、やたらと馬が合い、いつも三人連んでは遊んだり、馬鹿をやったり、小突きあったりしながら駆け回った。
真っ黒に日焼けした夏の日、汗だくになって遊んだあとに食べさせてもらった西瓜の甘さは、今も覚えている。夕立のあとの清々しい空気も、空にかかる虹の色も。眩しい光。空の青さ。うるさいほどの蝉の鳴き声。虫が飛び立つ一瞬の、翅の動き。跳ねる水。土砂降りの中を飛び出して、全身泥だらけになりながら跳ね回った挙句、親に拳骨を食らった痛みも――みんな覚えている。
兎角、子どもの頃からいろんな理由で妬まれたり絡まれたりすることの多かった梟師が、二人に庇われたことは一度や二度ではない。他の子どもたちと取っ組み合いの喧嘩をして、三人そろって痣だらけの顔で笑いあった。くだらないことで喧嘩して離れたこともあったが、すぐにお互いに寂しくなって仲直りをした。行儀作法など関係なく付き合える二人の側は心地良く、優しかった。華族という畏まった家に生まれながらも楽しい子ども時代を送れたのは、彼らのお陰だ。
梟帥だけ中学へ一人進学することになって頻繁に会えなくなりはしたが、それでも時間があれば真っ先に連絡を取ったし、三人で集まれば、時間の許す限り共に過ごした。
十七になって、彼ら二人とも招集を受けて軍に入ると決めた時、動揺してしまったのは仕方がない。託宣から、近々また戦争になるだろうことを知っていても、それを話すことはできない。だが、隣から大事な親友が二人、今にも失われるかねないのに、何もしれやれない自分に苛ついた。お陰で、高等学校では散々だった。
何もできないままに二年以上が過ぎた。世間の空気はますます悪くなり、いつ戦争が始まってもおかしくはなかった。戦争が始まれば、二人はすぐに前線へと駆り出されるだろう。連絡を取ろうにも、滅多に会えなくなった。じりじりとした気分ばかりが募った。咲保に会ったのは、そんな時だった。
家の茶会の招待客だった咲保とは、ろくな出会い方ではなかったと思う。いかにも大人しそうな令嬢なのに、法術の匂いをぷんぷんさせてモノまで連れているとくれば、警戒して当たり前だ。しかし、それが噂には聞いていた、木栖桐眞の訳ありの妹だと知った時は、力一杯に頭を下げていた。
今代の木栖家当主は表裏問わず、祀りを執り行うにあたって重要な役目を負っている。普段から目立つ家ではないが、その実力と堅実さには定評があると同時に、国津神贔屓で複数のモノを使役しているなど妙な噂の絶えない、つかみどころのない家でもある。一般から外れた常識の中にあっても『変わっている』と言われるのだから、相当だ。その後継である桐眞は、討伐の若手の内では実力者として名のあがる一人であり、人柄もよく皆に慕われている。その身内に敵対するなど、自殺行為に等しい。
妹に間に入ってもらい、なんとか許しを得て改めて向き合ってみれば、咲保が幾つもの法術で全身を覆っているのはわかるのだが、具体的には何がなにやらさっぱりだった。梟帥はこの手のものを読むのもまあまあ得意な方だが、節操なく複数の宗派が重なる術式は、複雑怪奇すぎた。ただ、相手がモノ人間問わずの、護身だけを目的にしているということだけはわかった。つい、欲が出た。だが、興味が募り過ぎて、うっかり無礼な真似をしてしまったらしい。頬を叩かれた。見た目に反して、気が強いらしい。
後から聞けば、咲保の法術は、既存の術式に独自で変更を加えたりしていると言う。大抵はうまくいかないそれが機能しているのは、『さすが木栖家の血筋』としか説明がつかない。それ以上言えば、悪口になる。
応用すれば、普通の一般人にも効果がありそうだった。だが、尚更、会ったこともない人間を守るために教えてくれ、と言うのは憚られた。そのくらいの良識は、梟帥も持っている。どう考えても、秘匿すべき類のものだ。敵対するモノなどに解除方法を見つけられたり、善良さの欠ける者に目をつけられでもしたら、咲保自身に危険が及ぶに違いない。厳重に守られて然るべきだ。
それでも未練たらしく、周囲をうろうろしている内に札をもらえる機会を得て、大まかに護身のものをと頼んだ。それを元に自分で強化できるならして、できなくともそれを親友に渡すことができれば、すこしは友の役に立つだろう。それが、今日、偶然、咲保と出会えたことで、望み通りの物を用意してもらえることになったのは、幸運以外のなにものでもない。どの神かは知らないが、この縁を結んでくれた神に感謝した。
「お二人ですのね。では、三つ作りましょう。一つは予備として別の方にお渡ししてもいいですし、梟師さんがお持ちになって、お揃いというのもよいかもしれませんね」
友と同じ物を持つというのは、なんとなく気恥ずかしい気もしたが、祈る先をもたない梟帥の心の預け処にもよさそうだった。咲保の提案に、自然と頷いていた。この恩は、いつか返そうと心の中で強く思った。