第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (三)
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<三>
猫は炬燵が大好きだ。それは、神霊と呼ばれるモノになっても変わらないらしい。
部屋に戻った咲保は、全身でへばり付くように炬燵に懐いている猫神を、少々呆れた面持ちで眺めた。木栖家飼い猫のみぃも、布団から顔を出して寝ている。
浜路は、昼間はここのところずっとこの炬燵に居座り、我が物顔で咲保の部屋を占拠しているようにも見えるが、実のところ、まるおの代わりをしてくれている。手薄になった木栖の家を、警備してくれている状態だ。時折、外出せざるをなくなった咲保についてきてくれたり、妹の送り迎えもしてくれている。
洋装が常の浜路は、お洒落に興味が出てきた瑞波のお気に入りだ。近所には、手伝いに来てくれている親戚のお姉さん、と紹介しているらしい。浜路もそういう扱いにすっかり慣れたようだ。
「浜路、ずっとここにいて、お社の方は大丈夫なの?」
自らも正面の席に入ると、「大丈夫ですぅ」とのそのそと顔をあげて、気の抜けた声が答えた。
「声はどこにいても届きますから」
「そうなの? でも、新嘗祭でしょ」
「そっちは持ち回りで、今年は別の猫神の担当なんです。ですから、お気になさらず」
「そう、ならいいけれど」
「はい。お正月や、お祭りの時は流石にいた方がいいですけれど、うちは小さな社ですので、大したことはないのです。それより、今の時期は苦手なので……」
ああ、と咲保も哀れみをもって、寒そうにしている猫神を見た。
「今し方、お兄さまたちとその声について話していたのだけれど、やっぱり社のある地元の訛りとかある人の祝詞の方が、あなた達には伝わりやすい?」
「それは、それぞれのモノ次第ですね」
「好き嫌いってこと?」
「はい。たしかに、慣れ親しんだ言葉の方が伝わりやすいというのはあります。でも、私の場合は、祝詞なら『口』の方が重要です」
「あら、そうなの」
「声が不明瞭でも、節でだいたい何を目的としているか当たりがつくので。あと、丁寧さ加減で、懸命さとか心遣いが感じられる方が好感が持てますから、多少、『意』が足らず聞き取りにくくても、聞こうという気になります」
「そうなのね」
祝詞は、混じり気のない『心』、節回しなど技術的な『口』、解釈の習熟の『意』の三拍子が揃ってこそと言われる。それぞれ塩梅というものが必要で、でなければ、神にはなにも届かずただ唱えているだけ、と意味のないものになってしまう。そのへんは、仏教においても同じなようだ。
「他の柱は知りませんけれど、ぞんざいに扱われるのは嫌ですから」
「それはそうでしょうね。お参りした時のお願い事なんかも?」
「それこそ、日頃の心がけによりますよ。日頃の行いの悪い方の声は、はなから言霊の作用で弾かれます。無礼だったり、色々とおざなりにする方の言葉は、耳にも入りません。ただ、そうでなかったとしても、古いモノは流行り言葉を使われても、伝わらないかもしれません」
「そこは、人と変わらないのね」
「でも、古参の方でも暁葉さんたちみたいに、あちこち御使いに行かれた先でいろいろな言葉に触れられる方は、関係ないみたいです。新しい物好きのモノもいますし。結局は、願いにこめられる心根に重きが置かれます。あとは、相性次第ですね。その日の気分にもよります」
つまり、これまで通りでいいらしい。
「じゃあ、私たちの言葉は、そのままあなた達にも通じているのね」
「もちろんです」
浜路はきっぱりとして頷くと、きょろりとした目で咲保を見た。
「そんなことより、先ほどから妙な気配がしますが、何かありましたか?」
「妙な気配?」
「胸元から感じるのですが」
「胸元……ああ、さっき庭で拾ったこれかしら。何かしら、と思ったのだけれど……」
咲保は懐紙に挟んだ物を、浜路に見せた。途端、ぴゃあ、と高い声をあげて跳ね上がった。
「召集っ! 召集ですっ! みなさんをお呼びしなければっ! 由々しき事態です!」
浜路のあまりの慌てぶりに、咲保は戸惑いを覚える。炬燵の中から子猫が二匹飛び出してきて、外へと走り抜けていった。障子も開ける手間なく素通りだ。
「ひょっとして、悪いものだった?」
「いえ、悪いものではありませんが、良くもありません」
「え、どっち……?」
「いつの間に入り込まれたのか……こんな側近くにいて、完全に抜かりました」
浜路はだらけた雰囲気を一掃し、悔しそうに歯噛みした。と、結界を通り抜ける気配を感じた。
「お待たせ致しました。何かございましたか」
「あら、まるおまで」
影から顕した姿に、咲保は目を丸くした。同時に、からり、と障子も開く。「ああ、寒い、寒い」と言いながら、暁葉が入ってきた。
「こんにちは、お嬢さん。お寒うございます」
「こんにちは、暁葉。ごめんなさいね、忙しいところ。まるおも大丈夫だった?」
「はい。すぐに戻らねばなりませんが、あちらもいつもの作業で、特に何があるというわけではございませんので」
「そう、悪いわね」
それで、と視線をこたつに向けた暁葉が目を細めた。途端に、たったそれだけで、部屋の空気が刺々しいものに変わった。
「その上にあるものは、なんだい?」
「さっき、お庭の掃除中に拾ったものなの。浜路に見せたら、慌ててあなたたちを呼んだのよ」
「……許すまじ……」
咲保が答えれば、怒りを湛える昏い響きを伴って、まるおが呟いた。火花が散りそうなピリピリとした空気に、咲保は思わず首をすくめた。
「庭先に……へぇ……」
暁葉すらも剣呑な雰囲気を放っている。申し訳ございません、と炬燵から出た浜路が手をついて二人に頭を下げた。
「隙を突かれました。申し開きもございません」
いつもの明るい雰囲気はなく、深刻そのものだ。何故なのかと理由を知りたかったが、あまりにも重い空気に、咲保の口を挟む余地はない。と、まるおが口を開いた。
「お嬢さま、本日、訪れた者はおりましたでしょうか」
「今日は、午前中にご近所の坂地さんの奥さんが電話を借りにいらしたのと、午後から梟帥さん、あと、お兄さまへの小包を持ってきて下さったクロタケさんという方の三人よ」
「お知り合いで?」
「それが変なの。てっきりお兄さまの知っている方だと思っていたのだけれど、お兄さまも知らない方だそうよ。差出人が書いてなくて、松葉がついた糸で縛った小石が入っていただけなのよ。きゑさんが、『それは恋文でしょう』って」
そう説明すると、暁葉が、ほ、と笑い声ともつかない息を吐いた。わずかに緊張感も緩む。
「上の坊ちゃんの方でしたか。しかも、そちら方面の話とは意外なこともあるもんですねぇ」
「笑い事ではない! 若君に懸想するとは! 分をわきまえぬ痴れ者が!」
そう怒るまるおの目はすわりっぱなしだ。怖い。
「わざとでしょうか」
「そうだろうね。偶然、落とすとは考えにくいねぇ。いずれ再訪するための入り口を作るつもりだったのか。どちらにせよ、こいつは処分した方がいいね」
「道理を弁えぬ亀もどきが、小賢しい真似を!」
咲保をよそにモノたちが話していた。
「ねぇ、どういうことなの? 誰か説明してくれる?」
咲保の問いに答えてくれたのは、浜路だった。眉尻がいくぶん下がっている。
「お嬢さんがお拾いになったこれは、鱗の一部です」
「ああ、何かに似てると思っていたの。でも、鱗にしては、大きくない?」
「鱗と言っても魚ではなく、おそらく亀……玄武の甲羅の表面の一部が剥がれたものかと」
「玄武? 四神のうちの一匹だったかしら、蛇が尻尾の亀。ああ、確かに甲羅の形をしているわね。甲羅って剥がれるものなのね、知らなかったわ」
「その玄武です。普通の亀のモノの鱗とは微妙に形が違うので、そうだと思います」
浜路は頷いた。まったく、とまるおが憤る。
「『クロタケ』などと名乗りおって、そのままではないか!」
言われて、ああ、と咲保も納得した。確かに『玄武』を読み替えれば、『クロタケ』になる。
浜路の説明は続いた。
「玄武は四神相応と言って、もともとは大陸からの地勢や地相を見るための知識のひとつとして渡ってきたもので、爲良に都が置かれた時に、護りを厚くするために取り入れられたそうです……まあ、後付けだったとも言われていますが。その頃はまだ、具象化を促す信心までには至っておりませんでした。ところが、爲良から輝陽の都への遷都の時、陰陽道を重用したことで信仰が強まり、姿をなせたと伝わっています」
「物の怪とそう変わらない靄みたいなものだったのが、東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武とはっきりと意思のあるモノになったんですよ」
暁葉が口を挟んだ。
「ですが、彼の国とはまったく地形の異なるこの国では、こっちのモノにうまく馴染めなかったようでござんすよ。あたくしも、人伝てに聞いただけでござんすが」
「馴染めなかったって、どういうこと?」
人と同様、モノにもそれぞれに個性がある。馬が合う合わないはあってもおかしくはないし、モノは縄張りにこだわる傾向がある。咲保の問いに答えたのは、暁葉だ。
「揃って性格が悪かったとか。新参者のくせに大きな態度で、崇められて当然といった感じだったそうで」
「嫌われていたのね」
「例えるなら、幼子が虚勢を張る感じでしょうかね。渡来モノは、大方、最初はそんな感じですから。そのうち、こちらのやり方に馴染んでいく具合で。最初のうちは、それでも下手に揉めるよりは、と諦めるところもあったんでしょうが、一向に態度を改めようともしなければ、鬱陶しく感じるのも仕方ありませんでしょう。年配のモノが、今もたまに愚痴るほどですから、よほどのものだったんでしょうね」
「我が強かったのね」
「『常に下に見たがる態度が気に障る』んだったそうで。あちらも、『来たくもないのに無理に連れてこられた』と、何かにつけ愚痴っていたそうですから、どっちもどっちでござんすね」
「ああ、ありがちな話」
「それでも、多少なりとも役に立っていれば良かったんでしょうが、まだ生まれたてのひよっこでしたから。たいして力があったわけではござんせんでしたでしょう。ある日、ちょっとした嵐にさらされて、朱雀なんかは早々に消えて行ったそうですよ。思えばその辺の塩梅も、大陸とは勝手がちがったんでしょうねぇ。他の三神もまあ、いつの間にかって感じだったみたいです」
「大陸ではもともと、山からの畜水を願う類のモノだったとか。こちらで期待していたものとは違っていたところもあったでしょう」
浜路がため息混じりに言うと、うんうん、と暁葉も繰り返し頷いた。
「確かに雨乞いが必要な時もござんしたけれど、毎年というものでもなし、逆に長雨の被害のほうが酷かったりしたもんですから、水を溜めるだけの加護なんて、使い勝手が悪うござんしたでしょう。それに、渡来モノに頼るより、こちらの神仏に願った方が早いですしね。実際、農民なんかはそうしていましたし。そのおかげで、道端の地蔵の方が、よほど力があった始末で……それよりも、その頃は鬼が暴れたりとか土蜘蛛が出たりとかしていましたから、そちらの護りを期待されてたんだと思いますよ、たとえ『こけおどし』でも」
「そんな風だったのなら、確かに四神も立つ瀬がなかったでしょうね。でも、消える時も、渡来のモノだから、祟ることもなかった?」
「ご明察」
咲保は首を傾げた。
「じゃあ、この玄武は何? 今の話だといなくなったのでしょう? それとも、実は消えていなかったとか?」
「いえ、間違いなく、完全に消えていなくなりましたよ。ですが、ここからが、人の世ならではの奇々怪界の面白いところでござんしてね」
と、暁葉は悪戯めいた笑みを浮かべた。