第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (十八)
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<十八>
玄武は、おとなしくされるがままに縛についた。見るからに、戦意が喪失しているのは、やはり、目の前で仲間が残酷な目に遭ったからだろうか。それでも、恨むどころか、安堵の表情を浮かべていた。玄武にしても、この騒ぎは想定外だったのかもしれない。その時点で孔雀明王はお役御免となり、丁重に礼を言ってお帰りいただいた。
全員で屋敷に戻り、とりあえず言い分を聞こうと、三人のモノたちによる取り調べが開始された。桐眞は咲保と一緒に少し離れた縁側で、食事をしながら耳を傾けていたのだが、その内容がさらに心を抉った。
輝陽でなんの気なしに桐眞が唱えていた祝詞が、黒姫たちの心をとらえたのは本当だが、桐眞自身も知らない副作用があった。それは、祖父仕込みの修行の成果と言えるのかもしれない。
こっそり祝詞を聞いていた黒姫、玄武、白姫のそれぞれに、はっきりと成長が見られたそうだ。別の言い方では、モノとしての格が上がった。玄武の身体は大きく成長し、水の縄を作れるようになった。黒姫は見た目が変わった。成人した女性となり美しさを増した。『場』も作れるようになった。これは白姫も同じだ。鯉に変化できるようにもなった。ただ、白姫だけ、いつまで経っても子どもの姿のままだった。どうしてだろう、と首を傾げている間に、はたり、と桐眞が姿を見せなくなった。
「白姫だけ子どもなの嫌なの! 早く大人になって、竜になるのよ! 竜になって強くなって、黒姫を守ってあげるの。そうしたら、ずっと一緒にいられるの!」
「なるほど。だから、鯉に変化したと。確かに角端になりたいと言うよりは可能性がありますが……しかし、見た目の差が顕著なのは、認知度の差でしょうか。冬は『黒姫』の方がそれらしいですし。北方の言い伝えなどでも黒姫の名が定番ですから。その点、白いといえば、妖の雪女の方が有名ですし」
「そうだねぇ、そうかもしれないね。でも、もともとの性格もあるんじゃないのかねぇ? 言い草にしたってどこをどうとったって、子どもだろう。それよりも、竜になったとして、色って変わるもんかねぇ?」
「さあ、どうでしょう。白いままじゃないですか? 素の色が反映すると思いますし」
「だとしたら、白竜だねぇ」
「ですね。けれど、北は黒竜です。白竜は西の方角ですが」
「だったら、竜になれても、黒姫とは一緒にはいられないねぇ」
「え、うそ、そんなのやだ!」
「しょうがないじゃないか。そういうもんなんだから」
「そんなの、やだあっ!」
白姫を軽く小突きながら浜路と暁葉が話すその隣で、顔の下半分を手拭いで覆ったまるおが、玄武を問い詰めていた。
「つまり、若さまを攫ったのは、祝詞を聞いてその子を成長させるのが目的だったわけか」
「頼むから、それ以は近づかないでくれ。臭いがきつすぎて、呼吸もままならない」
「特別配合した虫除けだよ。この程度、我慢できないと言える立場か」
「……白姫は身体が育たなかったのもそうだが、存在が不安定なことを黒姫が気にした。いつか、一人で消えてしまうのではないかと恐れていたんだ。わたしにとっても、あの子たちは大事な存在だ。二人は突然社に顕れ、行くところがないとそのまま共に過ごすようになった仲だが、それまで長く一人で過ごしてきたわたしにとって、今はかけがえのない仲間だ。欠けることなど容認できない」
「だからと言って、他人の縄張り荒らして、人を攫って良いわけがないだろう。悪鬼じゃあるまいし。これだから、渡来モノは」
「傷つけるつもりなど、最初からなかった」
「よく言う。若さまを誘惑して何もかも取り上げて、利用するだけして一生、飼い殺しにするつもりだったろうが。人にとっちゃあ、傷つける以上の仕打ちだよ」
「あなたがたはっ! 名を得たモノとしての自覚が足りなさすぎますっ!」
まるおが凄み、浜路が怒鳴り声を上げた。
「数の少ない仲間内だけで固まって引きこもっているから、存在が不安定になるんですよっ! 格は関係ありません! 存在を安定させるには、人だけでなく他のモノにも認知されることが重要なんですよ! 鯉なら鯉! 玄武なら玄武! まずは仲間に存在を知ってもらうことが第一歩なんですっ!」
バン、バン!
「そうなのか……?」
「そうですよ! 特に玄武なんて、右も左も分からないちっちゃい子達が湧いて出ているんですから、その子たちを統率するぐらいでないと! 格上げすれば、安定すると思っていること自体が間違いなんですっ! 千年もいるモノが、そんなことも知らないんですかっ!?」
バン、バン、バン、バン!
床板が抜けそうな勢いで叩かれる。
「それに、そこの黒姫? 宇津田姫って呼んだ方がいいのかねぇ」
暁葉が顔を覗き込むようにして凄んだ。
「はい……あの、どちらでも……」
「男を誘惑して取り込もうってのは、力不足のモノの常套手段として悪くはないよ。まあまあ別嬪さんだしね。でもねぇ、欲のかきすぎはいただけないねぇ。まずは、相手をよく見定めないと」
「欲だなんて! 私は白姫が大人の姿になれさえすれば、主さまも自由になっていただくつもりをしていました。それまでは、丁重におもてなしをして、不自由はさせまいと……」
「そんな言い訳が通用するもんかね。本当に馬鹿だねぇ! これだから箱入りの世間知らずは! この坊ちゃんは、国津神の偉いさんたちがご贔屓する、滅多にない逸材だよ。それを奪えば怒り狂って、あんた達程度なんざ、『場』ごと消し炭にしちまうだろうさ。最初からいなかったみたいにね」
「え、まさか、そんな、」
「そんなことも気づいていなかったんだろう? だから馬鹿だと言ってんだよ。只人が、祝詞を唱えただけでモノの格を上げるなんざぁ、出来っこないんだよ」
馬鹿だの、世間知らずだのと、他のモノたちも罵詈雑言をまじえて責め立てた。それぞれどんな顔で話しているのか、恐ろしくて桐眞は振り返ることもできない。ただ、分かったことといえば、
(利用するためだけだったんだな……)
がっかり半分の、納得半分だ。気持ちにどう応えたらいいのか、悩む必要がなくなったことには、少しだけほっとした。好意に期待した部分もなくはなかったが、それ以上に、輝陽の社で一人過ごしたあの時を共有したものがいたことが、嬉しかったのかもしれない。今、あの頃の自分を思えば、一人になりたいと言いながら、本当は寂しかったのだろう。必要な時間だったのかもしれないが、寄り添って過ごせる相手がいたら、その方が良かったに違いない。そこを突かれた結果だと思う。
かけた情けを踏み躙られたことを恨みはしないが、半ば誑かされて判断を誤ったことは大きな傷だ。危うく、人生を台無しにするところだった。咲保が無事だったことだけが、救いだろう。
「無駄に声がいいのも、困りものですわね」
すました声で、咲保が言った。
「無駄いうな」
「あら、失礼。切れるハサミを持ったこともございませんので」
遠回しの当て擦りには項垂れるしかない。なんとかとハサミは使い所を間違えれば、と言いたいのだろう――辛い。
妹に、こんなきつい面があるとは知らなかった。桐眞が祖父の家で過ごしていた間、妹がどう日々を過ごしていたなど聞いたこともなかったし、興味を持つこともなかった。
(何も知らずに来たんだなぁ……)
知っているつもりだった。頑張ってきたつもりだった。だが、一人前にはほど遠く、人としてもまだまだ未熟なようだ。鼻を折られるとはこういうことか、と実感した。
「チョコレイトがけのカステラ」
唐突に、妹の口から関係なさそうな単語が出てきた。
「なに」
「美味しいのですって。食べてみたいわ。あと、新鮮な鰤を一尾かしら。これから美味しい季節ですもの。お刺身に照り焼き、鰤大根……みぃも美味しいお魚、食べたいわよねぇ」
そう言って膝の猫を撫でれば、喉を鳴らしながら、頷くように尻尾の先を動かした。今回のことはそれで手打ちにしようという話らしい。
「……試験明けでいいか?」
「お菓子は多めにお願いしますね。まるお達だけでなく、子だぬきさんや子猫さん、小狐さんたちにも手伝ってくれたお礼が必要ですわ。あと、豊玉毘売命さまと、まるおがすると言っていましたが、一応こちらからも、鹽土老翁神さま、淤美豆奴神さまにもお礼をしませんと……あら、塩の神様に甘いものをお供えしても大丈夫かしら。お兄さまご存じ?」
「知らん!」
これまでこつこつ貯めてきた小遣いが、大幅に目減りすることを覚悟しなければならないようだ。しかし、それで助かったのだから良しとすべきなのだろう。それにしても、桐眞を助けるために、それだけ多くの力が動いたことにも驚きだ。
(複数の柱が動かれたのか……)
普段、縁のない神の名にはぴんとこないが、人ひとり『場』から連れ出すためには、それだけの労力が必要だったことを知る。それが、我が事となれば、平伏するしかない。それをなした妹は、本当はすごいやつなのでは……と、やはり、恐ろしくなる。
「咲保……その、すまなかった。助けに来てくれたのも、他にもいろいろ……ありがとう」
自分でも驚くほどすんなりと礼の言葉が出た。言葉が足りないのは分かったが、出てこなかった。判断を間違えたこととか、子供の頃とか、これまでのことも含めて、混乱するほどにいろいろありすぎた。
「お役に立てて何よりですわ」
そう答えた妹からは、並の男以上の漢気を感じた。
背後から複数の打擲音が聞こえた。破裂するような音と重く打ち付ける音だ。振り返れば、箒を持って仁王立ちするまるおと、ペロリ、と舌なめずりをする浜路、そして冷たい目で、床にへたばるモノたちを見下ろす暁葉がいた。
よく見ると、黒姫や玄武の身体が、それぞれすこし縮んだように見える。どうやら、三人のモノたちは、彼女たちの力の一部を喰ったようだ。弱体化させる意味もあるのだろうが、肌の色艶の良くなったモノたちがますます恐ろしい。黒姫たちは、食い尽くされなかっただけましなのかもしれない。
「結論は出た?」
「はい。此度のことは此奴らの知識と認識不足によるものが大きく、今しばらく監視下に置くことになりました」
咲保の問いにまるおが答えた。
「やはり、下位とはいえ複数の柱をいちどきになくすのは、色々と影響が出かねません。此奴らを放置していた西にあるモノ達の責任もございますし、詳しくは上の方々にもご相談申し上げて、裁定を待つことになるでしょう。おそらく、改めて教育を施すことになりましょうが」
「監視って誰が?」
「当面はうちのモノたちに見張らせますよ。この『場』は放棄させて、輝陽の社に軟禁します。まったく、この忙しい時期にとんだ手間です」
鼻を鳴らして暁葉が言った。
「そう。悪いわね」
「とんでもない。お嬢さんが頭を下げる必要はござんせんよ」
「すまない……世話をかける」
桐眞は自戒を込めて、モノ達に向かってもう一度、頭を下げた。
うわあん、と頬を腫らした白姫の泣き声が、屋敷内に響き渡った。
それからすぐに、桐眞たちは家に帰ることにした。入れ替わりに、百匹はくだらないだろう数の小狐たちがやってきた。『場』の撤去作業と玄武たちを連れていくためには、それぐらい数がいても足りないほどらしい。時折、家を訪れている小さいモノたちが、全体のほんの一握りに過ぎないと知り、桐眞も驚いた。
『場』の主本人に『場』を回収させれば、また別のところにすぐに出せてしまう。だが、他のモノが撤去した後で、新たに『場』を作ろうとすると、かなりの力を消耗する。モノにもよるが、新たに作れば、年単位で最低限の力しか使えなくなったりするので、力を削ぐための措置として効果的だそうだ。
「自分の『場』が他のモノに乗っ取られるって、どうしようもなく不快だろ。身体の奥で虫が蠢いているみたいなさ。どうだい、腹が立つだろ?」
まるおが淡々とした口調で黒姫に問えば言葉はなく、幼くなった唇が引結ばれた。
帰りは、暁葉に俵担ぎされた状態で『あわいの道』を経由して帰った。最初、女のように横抱きにされそうになったので、抵抗したらそうなった。それでも、見た目の体格に劣る細身の美女に、軽々と担がれたことに軽い屈辱感を味わった。咲保はまるおの背に負われて。みぃは浜路に抱き抱えられて。同じ道を使っても、人が歩くよりもモノの脚の方が体感時間も短くて済むから、という理由は初耳だ。実際、本当に一瞬だった。
帰れば、ちらちらと初雪が舞っていた。玄関をくぐるなり、桐眞は家族に囲まれた。母の泣き顔など見たのは初めてかもしれない。瑞波には体当たりで抱きつかれ、磐雄は泣きこそしなかったものの、唇を歪めた顔で迎えられた。父には、控えめながら、「十年寿命が縮まった」という文句と、振り絞るような「おかえり」の言葉をもらった。
現世では、桐眞が攫われてから、凡そ三日の時が経っていたことを知った。それだけ皆に心配をかけたのだと、桐眞もようやく実感した。
咲保が庭に召喚した四天王を還した時には、すでに頭が朦朧とした状態で、礼を言う言葉もすんなり出ないような状態だった。自覚がなかっただけで、三日間徹夜したのと同じ疲れが一気に表に出ていた。それからすぐに自室の布団で泥のように眠った。そして、次に目を開けた時には、昨日がなくなっていた。それからが、阿鼻叫喚だった。