第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (一)
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<一>
荷車をひく馬を追い越し、ちんちんと高い音を鳴らしながら過ぎていく路面電車を眺めて、梟帥は大通りを渡った。馬車鉄道に変わり、深橋から榀川まで電化による路面電車が開通したという報道が流れたのは、ついこの間のことだ。
(それにしちゃあ、変わり過ぎだろう……)
道の真ん中に等間隔に立つ電柱の風景はともかく、以前、来た時にはあったはずの武家屋敷は綺麗さっぱりと消えて、今は新しい建物を建てようと、広い更地にがんがんと打ち鳴らす大工仕事の音が響き渡っている。
近くの用事ついでに物見遊山で寄ってみたものの、久しぶりに来た地区は面変わりしすぎていて、これでは何処がどこの藩屋敷だったかと見当をつけるのも難しい。
(空気も変わったなぁ……)
質が。閉じていた箱が開け放たれた感じだ。密度が格段に薄くなり、すかすかとしてどこか浮ついた印象を受ける。武家屋敷だけでなく、あれほどあった寺社仏閣が大きく数を減らした影響もあるのだろう。道端にある地蔵ひとつ動かしただけで、変わってしまうことだってある。建物だけでなく庭も潰され、植物や虫、目に見えない生命も多く失われた。その影響はすぐに出ずとも、じわじわと人を蝕む。気が塞いだり、小さな病が長引いたりなど。その逆の場合もあるが、どちらにせよこれまで通りとはいかなくなる。路面電車により人の流れが変われば、変化はよりいっそう著しくなっていくに違いない。それはこの付近だけでなく、登宇京全体に広がっている。
(この調子だと、天海和尚の施した法術も緩んだか? 鬼門の寛永寺は残っているけれど、ああ、首塚もあったか。日枝神社は動かさないだろうし……なんだ、今のところ要になるところは残されているか)
その辺りは話があったとしても、きっと誰かが頑張って阻止しているのだろう。登宇京全体の鬼門を守る日光東照宮などは、はなから動かせる筈もなし。だが、その辺の神社仏閣も下手に手を出せば、都市全体が衰退していく可能性がある。半壊しても驚きはしない。特に平将門公の首塚をどうにかすることは、実質、不可能だ。伝聞では後付けの、妙見信仰も関連しているらしい。恐ろしい結果になることが目に見えてわかる。おそらく、人死には免れないだろう。もし、本気でアレをどうにかすると聞いたら、梟帥ならまず真っ先に逃げ出す。
天海和尚は、栄扉幕府が開府するにあたって、栄扉城築城からはじまる栄扉の街の都市計画に参画し、陰陽道も取り入れてあれこれ仕掛けを施したと伝わる。守りを厚くし、人の出入りを制御してきた。その全容においては、未解明な部分も多いと言われる。
栄扉は、もともと上杉家に仕えた太田道灌が平城を築いたことが始まりだ。それから長らく、湿地帯ばかりが広がるなにもない田舎だったと聞く。が、徳川が領地替えによって移ってきてより、新しい方法での干拓を試し開墾を推し進めたことで土地は広がった。その後、栄扉が都と定められたことで多くの者が移住し、人口は爆発的に増えた。その勢いはとどまることなく輝陽の都をしのぐほどの発展を遂げ、今に至る。そこに、天海和尚の影響がまったくなかったとは言い切れないだろう。だが、今現在、また都市全体が大きく変わりつつある。
(なんか中途半端な感じは否めないな……)
どうもむずむずして気持ちが悪い。三加和の陰陽師だかが、独自に栄扉の街のあちこちに手を入れたという話もあって、その影響もあるのかもしれない。
古い建物は取り壊され、道幅も広くなった。電気の使用可能な地域は徐々に広がっており、瓦斯も普及し始めている。西洋諸国に対抗するというお題目で、政府主導で新しい技術を積極的に取り入れ、より利便性の高い都市計画を打ち出すのは結構なことだが、今の状況を梟帥としては首を捻らざるを得ない。まるで、古き物を選別することなく、すべて打ち捨てようという強迫観念や焦燥に駆られているようにも感じる。
(それにしても妙だな……)
この場所から見えないせいもあるのだろうが、なかなか海の方向に意識が向かないことに気付いた。微弱な力だが、どうしても無意識のうちに陸方向に意識が引っ張られる。
(陸というより栄扉城……皇居か?)
思いつくのは濠だ。のの字型のそれは、海からの物資を運び入れるために使われていたが、見えない面での作用も考えられる。梟帥は思わず、ううん、と唸った。
(鎖国するのに都合よく、外に人の意識が向かないようにしたとか? 城に全てが集まるようとしたとか……他にも理由があるのかな?)
それがどういう理由であれ、確かめる術はない。詳細な記録はいっさいなく、口伝にも残ってはいない。
(濠の一部は栄扉時代に埋め立てられたって聞いたことがあるけれど、他にも何かしらあるのかもしれないな。城自体はあまり残ってはいないけれど、それがかえってよかったのかもしれない。でも、まだ皇居のどこかに術式が隠されて残っているのかも?)
栄扉城本丸は、建造されてから五十年ほどで焼け落ち、そのままになっている。現在の帝の座す皇居は西の丸仮御殿だったところだが、限られた人間が限られた場所にしか入れないようになっているはずだ。父や木栖家当主でさえ、知れるのはごく表面の一部だろう。梟帥もそれを確かめたいとは思わない。わからないことは、わからないままで良い場合だってある。
(くわばら、くわばら)
あいた空間があれば、自然といろいろな物が流れ込んでくる。人も、金も、物も、それ以外のモノも。良い物も、悪い物も、清きも、穢れも。区別なく流れ込んで、制御できなければ溢れ返り、混沌をなす。意識しないまま人の意識は渦を巻きながら内へ内へと誘導され、抜け出す隙もないまま中央に集約される。
例えば、栄扉で始まり、栄扉で完結するよう作用させてきたとすれば? 現実、栄扉は鍋の中身を煮詰めるように、思想や文化、技術を恐ろしいほどの速さで発展させてきた。幕府が倒れてからも同様に。そこに人の努力があったのは間違いないが、本当にそれだけだろうか?
また、大きな波がやってくる。この中途半端に護りの崩れた都の中で、人の意識はそれらをどうやって消化し、昇華させていくのか――見えないものを信じない者たちが、それに対応しきれるのか、どうか。
梟帥は下駄を鳴らしながら、路地に足を進めた。
旧武家屋敷の区画を抜けると、静けさとなんとなく見覚えのある風景が戻ってきた。鞠つきをして遊ぶ女の子の脇をすり抜け、渡された簡略化された地図を見比べながら狭い路地を辿っていくと、板塀の続く道に出た。カラスの鳴き声に混じって、何処からか長唄も聞こえてくる。格子戸をいくつかすぎたところで、表札を兼ねたぼんぼりを見つけた。
「こんにちは」
食事中なのか、狭い玄関に入ると味噌汁の匂いがした。普通の家の玄関と変わらないが、隅に盛り塩が一つ置かれている。待っていると、とんとんと階段を降りてくる音がして、女学生にも足りない年頃の女の子が顔を出した。まだ物慣れない様子で、素朴な風体をしている。少女は、一瞬、ぽかん、とした顔で梟帥を見ると、次に視線をうろうろとさせながら、「どちらさまですか」と小さくなった声で誰何した。北方の訛りが混じって聞こえた。
「熾盛といいます。女将はいらっしゃいますか」
「あ、はい。ただいま呼んでまいります。女将さぁあん、お客さま!」
バタバタと足音を立てて廊下を走って呼びにいく様子に、梟帥は口の中で笑う。案の定、叱る声が聞こえてきた。
「女将さんじゃなくて、おかあさんって呼びなさい。あと、廊下は走ったらだめでしょう。お客さまに失礼になります」
「すんませぇん」
「訛りが出ている。それに、『ごめんなさい』か、『申し訳ありません』」
「はい、ごめんなさい」
「こっちはいいから、早くご飯をすませなさい。後片付けもお願いね」
「はい、おかあさん」
静かな摺り足が近づいてきて、梟帥の母よりも十歳ほど年上だろう女性が出てきた。肉感的ではあるが、父とはそういう相手にはならなさそうで、密かに安心した。
「お待たせして申し訳ありません。うちの娘が失礼をして……まだ、慣れないものですから」
「いえ、熾盛梟帥と申します。父よりお困り事があると伺い、参りました」
「ああ、お忙しい中わざわざご足労いただき、ありがとうございます。連絡はいただいております。侯爵さまにはいつもご贔屓いただいております、夢駒ともうします。この度は無理を聞いていただき、ありがたく存じます」
「早速ですが、一通り見せていただいても構いませんか」
「あ、はい。どうぞ、よろしくお願いします」
女将の招きに従って、梟帥は下駄を脱いだ。
こんなことは、たまにある。進んでやりたい仕事ではないが、大体、商売絡みであったりするから断りにくい。
「昨晩の席で、話ついでにそんな相談を受けてな。どうせ冬季の休みで暇だろう。困っているそうだから、おまえ、行って片付けてこい」
妙な時間に父に呼ばれれば、大体、そんな話だ。
「置屋での話なら、どうせ、また男女のいざこざが拗れてとかそんなのでしょう。そんなのいちいち構っていたら、キリがない。それに、幽霊は門外漢です」
「そう言うな。そこの贔屓筋には政府高官もいるし、お得意先もいる。そちらに影響が出たら面倒だ」
「女ばかりの所なんだから、茉莉花に行かせたらどうですか。あいつなら、幽霊の話を聞くのも慣れているでしょう」
「馬鹿言え。年頃の娘にそんなところへ行かせられるか」
そうだよな、と自分で言っておきながら思う。
「それに、女所帯だからこそ、男が行くことで納得もする。おまえは、小手先でそれらしく誤魔化すのも得意だろう。うまくやれたら、欲しがっていた懐中時計を買ってやる」
報酬は、悪くなかった。