第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (四)
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<四>
伏原家は、古くは大化の改新の中臣家の傍流で、氏神は託宣の神である天児屋根命だ。皇に仕える家々に向けて、降りてきた神託を伝える役目を負っている。神託といっても実に大雑把なもので、いつ起きるかなどの詳細はわからず、祟りによる天災なども含まれない。どこでなにが起きる、とだけが述べられる。起きる時期などは、現状やその内容から推測するしかない。
人の働きによっては変えられるのではないかとも言われてもいるが、今のところ、それが出来たという話は聞いたことがない。
幕府政権が倒れて以降の動乱の流れは、かなり以前から伝えられてきた。故に、皇をはじめとして、それを知る者たちはその託宣に従い、世を注視しながら祀りを絶やさないように動いてきた。
「神託どおりになれば、この先数十年間で大勢の人間が死ぬことになるだろう。その中で僕らは次代に継承するために、なるべく神託の内容を変える努力をしていかなきゃいけないし、一人でも多く生き残らなければいけない。その上で、神を降ろせるように、人殺しも含めた血の穢れを避けなければいけない。祀る者がいなければ、戦争に勝ったところでこの国は終わりだ」
どう言えばいいのか、どう言いたいことをまとめれば良いのか、わからなくなる。難しい。
「だから、僕らは血の穢れを受けない為もあるし、たまたま身分のある裕福な家に生まれたおかげで、金で兵役を避けた。けれど、そうじゃない連中から見ると、国のために戦おうとしない僕らは非国民で、なんだこの野郎、とか思われているんだろうなとは感じている」
「うちの兄もそうですわ。罪に問われることはないにしても、雑音は聞こえますもの。皇につく他の家の方々も、様々な苦慮をなされていると聞きました」
兵役免除のための支払い金額は、ひとり四百円。命の値段とすれば安いが、間違いなく大金だ。ぽん、と出せる家は限られる。それを支払える者への文句は、愛国心からだけでなく、やっかみもあるだろう。口ではともかく、本心では我が子を危険に晒したくないと思っている親は大勢いるだろうし、本人が行きたくないというのもあるだろう。農村などでは、貴重な労働力が失われる。抵抗がないわけがない。
「僕らが生まれるずっと前に帝が、『皇族男子は須く軍人たるべし』なんて仰られたせいで、元武家や帝側の公卿の家の大多数が、海兵か陸士のどちらかの進路を選ぶのが当たり前になっている。それ仰られたのって、今の僕らとそう変わらない年の頃だったと思うけれど」
帝が即位なされたのは、御年十四の頃と聞く。今の木栖家の磐雄とそう変わらない年齢だ。それから何年かしての発言だったと思う。
「僕なんかは、皇の次代さまがそちらに進まなかったおかげで取り巻き扱いで助かっている面もあるけれど、それなりに風当たりは強い。同調圧力っていうのか……僕は次男だから、余計にそっちに進むべきだと決めつける人も多い。兄は二十五になれば貴族院の議員職を世襲できるようになるし、杜種公爵家との縁組もなったことで大義名分はあるけれど」
侯爵以上になると、自動的に終身任期の貴族院議員の席が与えられる。ただ、入隊すれば、華族であっても軍不関与の原則により、議会に参加はできなくなる。発言権を得たいなら、入隊しない選択になる。が、議員になっても給料に当たる歳費は得られず、無償で働くことになる。
伯爵以下になると、議員内での投票により席が与えられ、歳費も与えられるが、任期は七年までとされている。
「うちは、父が表立っては帝の下にいるので……兄も、父の仕事の跡を継ぐていで、一時は、畏瀬の神官になるための大学に編入しようかとも言っていましたが、あと一年ですし、結局、理工系のまま教職の資格を取る方向に決めたようです。ただ、伯爵家なので。父の任期は今年までですし、間を置いて兄が爵位を継いだとしても、議員に選出されるのかどうかはわかりません。他家との兼ね合いもありますし、その時の世情にもよりますでしょう」
「ああ、うん。先輩ならその時になれば、確定ではないけれど、仲間内で選ばれる方向で調整されるとは思うけれど……畏瀬は、年下連中でそちらを目指そうってやつがいるな。将来が心許ないけれど、皆、とりあえず、軍に関わらないことを第一目標に動いている。徴兵されたら、死んだことにしてもらって『あわい』に潜るって言っているやつもいるし、冗談だろうけれど。でも、官公庁に入って、戸籍を改竄するって本気で計画しているやつもいるくらいだ」
「……みなさん、そこまで覚悟なさっておいでなんですね」
「覚悟も信念の度合いもそれぞれ違うけれど、それが僕らの務めだから。放棄しようと思えばいつでも出来るけれど、今のところは誰もいないかな。自分たちにしかできない務めだから、っていうのは大きいよ」
発覚すれば、犯罪集団になりかねないな、と梟帥は笑った。
「人の命を奪えば、神の助力を得られなくなるからってのもあるのだけれど、たとえ相手が他国の人間でも、殺して何もないということもないだろう。祟られずとも、たぶん、呪いに近い何かを一生背負っていくことになる……僕らはそれを知っているから。だから殺したくないし、殺されたくない。腑抜けと謗られても、怖いものは怖い。モノにやられる覚悟はできているけれど、人はだめだ」
「戦うことに慣れていらっしゃっていてもですか」
「怖いよ。人間相手の戦いは殆ど鉄砲だろうし、バン、と一発当たったらおしまいだろ。あんなの、全部は避けきれないと思うし」
「……そうなのですね」
「御霊を降ろした状態で戦っている最中って、そういう判断が甘くなっているんだよ。万能感って言ったら変だけれど、兎に角、売られた喧嘩は買うに近い状態でひどく短絡的なんだ。多分、銃の危険性や脅威といったものを、柱は間近で見たことがないだろうから、自分から突っ込んでいきそうな気がする。わからないけれど」
「初めてお会いした時も、降ろされていた状態でしたでしょ。今とは別人のようでしたわ」
「ああ、あの時は、本当にごめん。僕の柱はいささか好戦的だから……」
言い訳がましく謝った。結局、尻拭いは彼の受け持ちだ。そういうところも、神は理不尽だ。
「謝罪はあの時にいただきましたので、お気になさらず」
「うん。でも、言い訳させてもらうと、降ろしている最中は、身体に精神も引っ張られるっていうのかな。自分の言っていることやしていることがわかっていないわけではないし、制御できないわけではないけれど、難しいんだ。だいたい向こうが六か七で、僕が四から三って感じの割合かな? だからって、失礼をしたことには違いないけれど」
さらに言えば、討伐最中は意識外で無理矢理、身体を動かされる局面もあったりするので、あとあと筋肉痛に苦しんだりもする。
その説明に、咲保はピンと来ていないらしい表情を浮かべた。感覚的なものだから、それも仕方がない。経験してみないとわからないだろう。
「でも、モノの討伐は長くてもほんの数刻だ。どんな異常なものを見たり感じたとしても、終わればすぐに家に帰れる。安心して休むことも、気持ちを落ち着かせることができるし、日常生活に戻れる。でも、戦争ともなると、いつ死んでもおかしくない状態が何日も何年も続く上に、日常生活とはかけ離れた環境に置かれるだろう? 怪我や血を見るのは当たり前だろうし。そんな生活、普通に考えて、いつまでも耐えられるとは思えない。そんなの、まず精神がやられる。経験したことはないけれど、想像はつく」
「考えるだけで……恐ろしいですわね」
「うん。恐ろしい。僕らは怪我するのも普通の人よりは慣れているけれど、それでも恐ろしい。ほとんどの連中はそんなことは考えないだろうし、貧しい生活から抜け出ることだけをみているんだろう。口では勇ましいことを言っていても、実際に自分が戦ったり、死ぬかもしれない状況を想像できているとは思えないんだ。あるいは、気づいていて気づかないふりをしているのか……僕だって、ぜんぶわかっているわけじゃない。でも、そんな状態で死ねば、祟る者だっていると思う。未練もあるだろうし。一人だったら大したことのない残留思念でも、何百何千とまとまればどうなるかわからない」
祟りは、善人も悪人も選ばない災禍となる。それが何処に向かうかは、祟る人間の心根次第になる。殺した相手国かもしれないし、召集し戦いに向かわせた母国かもしれない。人の心は複雑だ。たとえ逆恨みや八つ当たりのようであっても、本人すらどうしようもない感情がそうさせるのだから仕方がない。
執念深ければ永遠に続く。向かう先はいずこにせよ、正しく祀らない限りは祟り続ける。罪穢れを祓いたまえ、と一度唱えただけではきかないほどに――物分かりの良い人間などそうそういるわけではないし、いたとしてもそういう人間ははなから祟らないだろう。
こんな話、と梟帥は言ってしまってから自嘲した。女性に話す内容ではない。咲保の反応を伺えば、じっ、と床を見つめていた。なにかを考えているようにも見えるし、話を上の空で聞いているようにも見える。沈黙が、居心地悪かった。それを埋めたくて、つい言葉がついて出た。
「親友なんだ……幼馴染で普通の。大事な友達なんだ。生きて帰ってきて欲しい」
数少ない、日常の中で得られた親友たちだ。だが、言葉にすると、妙に陳腐で軽々しい表現のような気がして、自分の語彙力のなさに嫌になった。そんなものではない存在なのに――。
農家の三男だったり、商家の次男だったりと家を継ぐことのない彼らは、家にとっては大事な労働力ではあったが、個人として上を目指せるわけでもなく、地方にある実家に戻っても先が知れていると腐る面もあって、立身栄達を夢みるところもあるのだろうと思う。その気持ちも分からないでもないから、なんとも答えようがないだけに辛い。
咲保はしばらく黙っていたが、やがて一言ずつ確かめるように、ゆっくりと話し始めた。
「私には、政治のことは難しくてよくわからないですし、十年前の戦争の時のことも記憶が朧げなのですが、以前、鹿のモノを鎮めるために、兄や梟帥さんが戦っているのを見て、恐ろしいと思いました」
「……そう」
「でも、戦ってくださる方々がいるから、安心していられるということもわかっています。もし、万が一、お隣の国が落とされた場合は、次はこの国に攻めてくるのでしょう?」
「たぶん。そう言われている」
「なぜなのかしら……この国よりも豊かで、土地もあるのでしょう? どうして自分たちより貧しい国から奪おうとするのかしら」
「さあ、どうだろう? 彼らは、そういうやり方をずっとしてきたから。欲しい物を力づくで奪い合って国を富ませてきた。同じ争いでも、この国の覇権を争った戦国時代とは全く毛色が違う。明確な目標や最終地点はなく、手に入れたら次また次、もっともっとと際限がない。彼らの強欲さというか自己肯定の高さには、こっちもびっくりするぐらいだよ」
「不足があるなら、作れば良いでしょうに」
「それもしたくないんだろうね。理由はわからないけれど。でなければ、はるばる海を越えてきて、いきなり銃を額に突きつけて開国を迫るなんてやり方はしないだろうし、一杯の紅茶のために他国を占領しようとは思わないだろう。同盟を結んだところで信用しきれるものではないな」
細い溜息があった。
「金も銀も栄扉時代に掘り尽くしてしまって、残っていないのに。なぜ、公正な取引で欲しい物だけを得ようとしないのかしら……たくさんの命をかけてまで得る必要があるものってなんでしょうね」
「さあ、どうだろう……? ただ、父の商売の関係で接したことのある彼らからは、即物的で感情的な印象を受けたな。先々どうなるかを考えるより、今あることだけを注視している感じだ。自分の意見を他人がどう受け取るかは、あまり気にしていないみたいだった。というか、色々と大雑把なのかな? どういう思惑や感情からであれ、彼らは自分の流儀を曲げないし、妥協を弱腰と言って拒絶するから、それじゃあ、いつまで経っても戦いがなくなることはないだろうな、とは思う」
「わかりませんわ。人や国それぞれで、考え方や信じるものが違うのは当たり前でしょうに。同国人でさえ、普通に暮らしている中で意見の対立はあるでしょうに。それで自分の勝手だけを力で押し通そうなんて、文明国だと言いつつ、していることは蛮族のそれと変わらないではありませんか。でなければ、まるで躾けのなっていない子どもか……独りよがりにもっともらしい理由をつけて、茶会で婚約破棄を宣言して得意になるような」
「ああ、そんなのもいたね」
数ヶ月前にあった熾盛家の茶会で起きた珍事だ。やらかした子爵令息は十五歳だったと記憶している。それなりに優秀な少年だそうだが、娘に誑かされて、色欲の蛇に取り憑かれた上での暴挙だった。今は祓われて、反省もしていると聞く。
「まさか、相手国の重要人物にも取り憑かれている者がいる?」
「どうでしょうか。外国に妖やモノに似たものがいるのかも存じませんし。でも、あの手のモノは憑いた人の欲をより強めるだけですもの。祓えばおとなしくなるかもしれませんが、その人の本質は変わりませんでしょ」
「そうだな、祓う意味ないか。あ、でも、幽霊なら別かな。憑依って形で」
「さあ、どうでしょうか。だとしても、祓って急に主義主張を変えた方に他の人がついていくのかどうか……」
「それは、わからないな」
「えぇ」
本当にわからない。梟帥も同意する。どの道、外国の要人が憑かれていたとしても祓う機会などないだろうし、信仰の違う者を祓えるかどうかもわからない。