noteという季節のなかで書いていた。
noteを始めてから、はじめてのほぼ8日間
お休みしていた。
なんどか、この真っ白い海原に来ては
やっぱり書けそうかなって思っていた。
浅瀬の海底に足がつくところまでを
信じて、溺れないから大丈夫って
言い聞かせながら。
泳ごうと思いながら、クロールをして
みるのだけれど。
少し泳いだふりをしては、海底の砂に
足をつけてみたりして。
noteのこの真っ白い大海原は離れて
みると、遠い場所になっていて。
すこし水に触れるのがこわいように
感じていた。
日々「書く」ということは、トレーニングを
休んだあとのからだのようだった。
8日の間、仕事じゃないのになんで
ずっと2年も書いていたんだろうとか。
「書く」ってわたしにとって心を整える
ことだったよなとか、いろいろ思い返して
いた。
「書く」ということにはまだ未練も
あるし、まだやりとげていないことも
たくさんありすぎるので。
「書いて」いくのだと思います。
noteって、街だし。
noteって、駅だし。
noteって、季節なのかなって思います。
比喩がおかしいけれど。
今、わたしはnoteの春の季節を歩いている
とか
今、わたしはnoteの秋の季節を揺れている
とか
そう言いながらも、わたしじしん
今がなにの季節にあたるのか思い当たらない
けれど。
夏の日差しを受けても強い肌と心でいられる
ぐらいのじぶんでありたいなって思ってます。
noteにログイン時々しながら、みんな
書いているんだなって、ちょっとうらやましい
ぐらいの気持ちで眺めていました。
noteで、書くとはなんだろうって、答えの
ない問いを繰り返していました。
そして、やっぱりちゃんと息を整えてから
プールや海に入らないといけないよなって。
省みたりして。
まだnoteに来て間もない頃のこの記事を
いま、拾ってきました。
あの頃の、黄色い浮き輪の画像はもうなく
なっていて。
空白になっていたので、いまあたらしい
画像で装いも新たにして。
おくちはるさんの好きなイラストを拝借
しました。
時々、この記事が好きでしたって声を
かけて下さるたびに、小学5年生だった
あの頃を書いておいてよかったなって
思うことがしばしばありました。
今も、この記事のように、大好きな人には
ちゃんと息継ぎしながら生きていって
ほしいなって思う。
特定の誰かじゃなくて。
リアルやnoteの大好きな人たちには
そう思っています。
これからも、たどたどしくも書いて
いけたらなって思ってます。
エッセイをちゃんと書けるようになりたい。
いろいろな方のコピーをちゃんと書いて
お届けしたい。
そんなことを、お休み中に考えて、本を読んで
いました。
そして、noteで出会ってくださったみなさま
お休み中に温かいお声をかけて頂き
ほんとうにありがとうございます。
今までとは違うnoteとのスタンスを考えて
みたいなって思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
つよいと よわいの はざまにあって
よわいは つよいの 味方になって