あたらしい服を買うということ。
久しぶりのnoteを書いている。
気持ちはここにあるのに
なかなか書けていなかった。
最近夜の映画が楽しすぎて
幸せな夜更かしをしてしまうせいだ。
登場人物はおとなの恋人同士のふたり
だけなのに。
まるで高校生みたいなのだ。
いつも舞台は違う。
彼らはただ話しているだけなのに
とても幸せそうで楽しそうで。
わたしは勝手に3人目の登場人物になった
気分でいつも見ている。
幸せのおすそ分けをもらっている。
いつかその映画のことをくわしく
書いてみたい。
この間久しぶりに服を買った。
ほんとうに久しぶり過ぎて、服を選んでいる
時のこの華やいだ気持ちっていつぶりなんだろうと記憶をたどったけどおもだせないぐらいだった。
服を買う。
誰もがしていることだし。そこに特別な
想いはないかもしれないけれど。
わたしにはあった。
新しい人と会うために何を着て行こう
かなって思った時ワードローブをみたら、
好きな服が何着かあったのだけど。
今でも好きは好きなんだけど。
その服を見ただけで、ああこれはあの人と 会って居た時などと思いだしてしまった。
その記憶がよきものならいいのだけど。
ちょっと忘れてしまいたい出来事の時に
着ていた服の場合、これでいいのだろうかと
立ち止まってしまった。
そんな記憶をまとわせた服であたらしい人に
会いたくない。
そう思った。
服は一度着てしまうと、そこにはその日の記憶が沁みついているものなんだと思った。
小さい頃でもそうだ。
入学式の時の紺色の水玉のワンピースには
人に馴染めないわたしがいよいよ団体生活に
入って行くときのふあんの想いがそこに染みついているし。
中学の時の夏服はあんんまり暑いので、スカートめくって扇風機で風を送っていたら、祖母にめちゃくちゃ叱られて。
女の子なんだからお行儀よくと言われ。
弟はおんなじことしても何も言われないことが羨ましかったりした。
夏服の制服はそんな思いがべったりと 張り付いている。
大学生の時にすきなジャンスカがあったけど。
ジャンスカ着て喫茶店に行った時。
目の前の広告研究所の勉強を共にしていた男の子が、これ以上付き合えないとわたしを
ふっておいて自分でじゃかじゃか泣いていた。
喫茶店のお客さんがみたらわたしが泣かして
いるみたいですごく嫌で、ちょっぴし
嬉しかった。
ふられた人が泣くのがほんとなんよ。
先回りすなって思いながら、チェックのじゃんスカのパイピングがされていた緑の縁取りをじっとみていたことも思いだしていた。
そうやって服には、記憶が沁みつくものなのだ。
だからわたしは素敵な新しい人に会うためのワンピを買った。
シンプルなデザインだけど可愛いと思った。
可愛いとか言うなよってわたしのなかの
ikkoさん的な人が言うけれど。
似合いますように!
なんの記憶もついてないまっさらなその服を
着て、あたらしい楽しい記憶を刻んでゆきたい。