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20250219

ちょっとしたことでも彼ならどうするだろうと考える相手と出会ってきた。何人か出会った。みんな同じように拠り所ではあるけれど、その内実はかなり違う。彼と一緒に過ごしたことで、彼が私の中で生き始めて、今も生き続けている。時間、というと卑小に思われるけれど、時間も必要だった。間違いなく。私達は日々変わりゆく只中を生きている。変わりゆく者、未熟さも多く持つ者、練り上げていく過程にある者同士が共に居るというのは難しいことだ。深い関係を結ぶというのは本当に難しい。でも個人主義的なマッチョイズムでは遠くに行けない。一人では来られないところに連れてきてくれたことを感謝してもしきれない。私が内側から組み変わっていくような出会いだった。いつかその線が自然と交わる地点があるなら、そこで出会いたいと思う。一緒にいるかどうか、同じ今を生きているか、同じ世界を生きているかどうかは大きな問題ではない。彼は私の中にいるし、私はこの先も私を生きていくから。

言葉は曖昧にする。言葉にした瞬間に私のもとを離れていく現実がある。言葉では本当に大切なことを捉えきることができない。ここ数日処理しきれない感情の揺れをくり返している。失われないように記録したいと願う自分がいる。今もそうだ。これを書いて留めることを願っている。でもきっと失い続けていく。生き続けていると、大切なものを何度も気付かずに失い続ける。言葉に縛られたまま生きていくときっともっと多くの、それはもう取り返しのつかないほど多くのものを失い続けることになるだろう。ジレンマがある。まずよく見ることだ。言葉は区切りや目盛みたいなもので、使い時がある。

社会的なコミュニケーション、その流れるというより滑るような会話を割り切ることが必要だ。就活で求められるコミュニケーションを仮に使う。沈黙の中で出会いたい相手の空間みたいなものは就活には存在しない。耐えていく。恐らく私にとっては自然な道だ。私が生きやすい道であり、私を守ることもできる道だと思う。ふとずっと今のままでいたいと思う。でも変わらないものなんて一つもない。私の周りの人々も少しずつ変わり続けているし、私も変わり続けている。きっと新しい場所でもいろんな人と出会って楽しいことがあるんだろう。私は一つのものにずっと魂を燃やすことができる人間ではない。探検家のように狭い世界で43歳を迎えて死ぬことはできない。その時々の対象に情念を滾らせ続けて強くなっていく生き方が私には適していると思う。強さを求める気持ちが消える、というか落ち着いた時に、何らかの目標と理念が湧いてくるんだろう。その境地に達したい。

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