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『喫茶店の水』という写真集がよかった

好きな絵がある。アメリカの画家Wayne Thiebaud(ウェイン・ティーボー)さんのこの絵。

https://www.artnet.com/artists/wayne-thiebaud/drink-sEEUhPfATMYw0g_7cHjuwg2

私はこの絵のたっぷりドポンとした水の質感が好きだ。暗い色でシンと静かな液体に、あたたかでまぶしい光が溶け込んだこの水をひとくち飲めたら、といつも思う。

社会人になりたての頃、一人暮らししていたワンルームにこの絵を拡大コピーして壁に貼り付けていた。机とベッドの目線の先の、窓の隣の一等地だ。土曜の朝いつもより遅く起きると、開けっぱなしのカーテンから差し込む太陽光とこの水の絵が目に入り、じわじわとパワーを感じた。水を飲まなきゃ、という気持ちになる。当時の自分は、碌に水分が摂れない淘汰寸前の生き物だった。

土曜朝の景色

2年前に今の家に引っ越した際、今度は拡大コピーじゃなくせめてレプリカポスターでこの絵を飾ろうと思い、海外のアート系WEBサイトで注文した。送り先に対応してなかったのか、購入後すぐキャンセルされてしまった。

私が「水の絵」「水の絵」と騒いでいたとき、パートナーが「あれ、グラスの絵だと認識していた。バター湖にとっては水の絵なんだ」と言われたことが印象的だったのを覚えている。

自分は初めてこの絵を見たとき直感的に「水の絵」だと思ったが、改めて考えてみるとグラスの絵でもあると思った。(「Drink」という題はさっき知った…中身は水でない可能性すらある)

水でもあるし、グラスでもある。ちょっと違うかもしれないけど、ヘレンケラーに「water」を教えるためにコップを持たせて井戸水を入れたサリヴァン先生のことを思い出した。


先日、丸善京都店で「喫茶店の水」という写真集が平積みになっているのを見かけた。気になって足をとめ、ぱらぱらとめくってみたときに、先述の水の絵と同じように気持ちが満たされるのを感じ、購入した。

「喫茶店の水」著:qp  (ISBN978-4-86528-442-3)
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865284423

85枚の写真と、エッセイ25編で構成されている。喫茶店の水の写真はどれも美しく、光や水滴を含め1枚1枚じっくり眺めたくなる。エッセイは喫茶店の水を撮ることに派生しての出来事や考えが書いてある。水にまつわる視点のおもしろみや、喫茶店の水を撮ることへの静かだが沸々とした執念が感じられた。1ページあたりがずっしり重くて、写真集を買ったつもりがエッセイとしてもすきな内容だった。すでに大切な本になる予感がしている。

喫茶店の水だけを撮り集めた写真集、という企画の表面だけをなぞったら「喫茶店とコップ」のようなタイトルでも成立していたかもしれない。けれど、著者のqpさんは【「喫茶店」の机に置いてある、「コップ」の中に入っている、「水」】を撮影されているということが写真やエッセイから伝わってきてうれしかった。この方もさっきの絵を「水の絵」と呼んでくれそう、とすごく勝手に思った。

p6.喫茶店の水を撮るとき、できれば自然の光を受けとめた水を撮りたい。

p75.自分は、喫茶店の水というものを選んだ。喫茶店のクリームソーダではなく。

p95.わたしは支配されている。良い喫茶店を見つけ、良い席に座り、良い光を受け止めた、良いコップの、良い水を撮らなくてはいけないという使命に。それは苦しみを含んでいるが、すぐとなりには喜びもある。

喫茶店の水

多様な喫茶店の雰囲気があり、さまざまなコップが選ばれ、季節と空気、水の温度や量、それらがすべて溶け込んだ「水」が撮影される。撮影にあたりコントロールできる部分、できない部分、いろいろあっただろう。ひとつの要素が違えば、水が見せる表情が変わることを楽しめるのもこの本の良さだと思った。

喫茶店ではないけれど、自分も水を撮ってみた。リビングに光が集まる時間にブラインドを開け閉めして光を調節する。アデリアのてびねりグラスは有機的なデコボコが魅力的なコップで、映る風景や光もどの面をこちらに向けるかで全然見え方が変わって撮りごたえがあった。

光を通すとコップは思ったより傷や汚れが目立った。汲んだばかりの水道水は細かい気泡がたくさん入っている。

光がたっぷり入った水を、私は飲み干した。
水がうまい。




読んでいただいてありがとうございました。

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