(育児エッセイ)「ママはなんで僕のこと好きなの?」と聞かれた時の正解がわからない
「ママはなんで僕のこと好きなの?」
5歳の息子の質問は唐突だった。保育園から家に帰るわずか7分の道すがら、なんの前触れもなくその質問はやってきた。
春の日が傾き始め、優しい風が私たち親子を包んでいる。葉が混じった桜の花びらは、満開の時のような絢爛さはないが、それでも美しかった。静かに一枚の花びらが地に落ちる。そんな、なんでもない日に突如投げかけられた質問。
保育園の先生たちから、とくに誰かと喧嘩したという連絡は受けていない。かっちゃん(息子の愛称)は、普段から疑問に思っていることをふと口にした。そんな感じだった。
だがここで、私のママセンサーがビッコン、ビッコンと音を立てた。
「これは答えを誤ったら、かっちゃんを傷つけるやつだ」
正直、私は母性が少ないと思う。母親として、慈愛に満ちたタイプではない。そんな私でもわかるくらい、今これから口にする答えはかっちゃんにとっても、私にとっても大切だと思った。
「かっちゃんは、空手毎週通って、将来警察官になるために頑張っているじゃない?それに、かずちゃん(0歳の弟)にも優しいし…」と言った瞬間に「これは違う!」と、ママセンサーが声を上げた。
何かを頑張って、誰かに優しいから、かっちゃんが大切なの?だから好きなの?
これは違う。
かっちゃんが、何も頑張ってなくても、誰かに優しくしなくても、存在そのものが大切だ。
かっちゃんは3970gと大きく生まれた。生まれてからしばらくしても、産声が聞こえてこなかった。黒い助産師の制服を着た女性と、白い服を着た医師が、股を全開に広げた私の見えないところで何かを話している。すぐに息子はどこかへ連れて行かれた。
その時思った。
「神様、どうか彼を生かしてください。私に差し上げられるものがあれば、なんでも差し上げますから」と。
後から聞いたところ、息子は首に臍の緒が巻き付いてしまっていて息ができなかったらしい。NICUに連れて行かれ、数日入院したのちに元気になった。
あの時関わってくれたお医者さん、助産師さん、その他の方々、本当にありがとうございます。
「じゃなくってね、かっちゃんはママとパパの子どもだから大切なんだよ」
そう言ってまたも思う。
これも違う。
血が繋がっているから大切なのか?
いいや、違う。
仮にかっちゃんと血が繋がってなくても、私は彼が世界で1番大切だ。
私は母性の発達が遅く、正直生まれたばかりの頃は、可愛いとは思うけど、今ほどは大切に思わなかった。生まれたばかりの彼を見て「サイコーに可愛い!サイコーに大切!」とは思えなかったのだ。
彼と過ごしてきた5年間が、私を変えた。
「でもなくってね。人は生きているだけでみんな大切な存在なんだよ」
そう言ってまたもや思う。
これも違う。
人間はみな平等だ。少なくとも私もそうであってほしいと思っている。でも、違うのだ。私にとってかっちゃんは他の誰よりも大切な存在だ。
かっちゃんのお友達に万が一のことがあったら泣くと思う。
保育園から家に帰るまでにすれ違った人が、今夜亡くなったら、心が痛むと思う。
けど、かっちゃんに何かあったら、私は正気を保てないと思う。
「えーっとね。それでもなくってね」と私が言い淀んでいると、
「あっ!なにこれ!」と息子が大きな声を上げた。みてみるとアスファルトの地面に黒いヤモリがいて、一生懸命走っている。もぞもぞ足を動かし走っている。
「こんなところにヤモリがいるなんて、珍しいね」
「これって、ヤモリっていうの?」
かっちゃんはもう、自分が私に質問をしたことを忘れているようだった。結局、黒いヤモリの登場で「ママはなんで僕のこと好きなの?」問題は途中で終わりになってしまった。
あれから数日経つが、私はなんと答えれば良かったのだろうか。
今も答えは出ない。