HARIBOが落ちてこない!【パリでの思い出】
この一件があり、わたしはまだまだ“子供”だったのだと自覚しました。
この日はパリからアムステルダムに移動するため、
朝早くに起床。
ゆっくり朝ごはんをとる時間がなく、寝ぼけなまこのまま最寄り駅に向かい、わたしの目に入ってきてしまったんです。
お菓子の自動販売機が。
日本でも駅のホームでたまに見かけるお菓子の自動販売機。日本では買おうと思ったことがないのに、なぜか海外で買いたい衝動に駆られてしまった。
海外に行くと開放的になるのと同じで、日本でしないことをついつい、海外ではしてしまうのかもしれません。
近くで商品を見ていると、馴染みのあるHARIBOが目に飛び込みました。
わたしの頭の中は、HARIBO食べたいでいっぱいいっぱいに。
(子供かいっ)
念のため彼に
「HARIBO買っても良い?」
と確認したところ、オッケーをもらえたのでいざ購入。
HARIBOもいくつか種類があったのですが、日本で選ばないカラフルポップなHARIBOを選んでポチしてクレジットカードをピッした。
ウィーンという音とともに、選んだHARIBOのレーンが動く。
ハリボー♪ハリボー♪とるんるんしながらその動きを見ていました。
(子供かいっ)
やがて音がなくなり、動きも止まったのですが、なんと同時にHARIBOも動かなくなってしまった。
なぬ、、、。
引っかかったというよりも、HARIBOが奥に押し込みられすぎていて、ぎりぎりのところで落下しなかったみたいな感じです。
そういえばわたしが幼稚園児くらいの時に、スーパーボールすくいをしました。流れているピンクのキラキラのスーパーボールがどうしても取りたかった。取れた!と思った瞬間にポイが破れるようなあの、天国から一気に地獄に落とされるような感覚。
レーンは動いたのに、動かずその場に残るHARIBOを見つめるわたし。
落ちないと分かっていながらも、アクリル越しにトントンとしてみたのですがもちろん微動だにしない。
でも食べたい、、、。
もう一回ピッしたら落ちてくるかな、、とゲームセンターにある一種のゲーム感覚になってしまった。
電車もそろそろ到着しそうだったこと、倍の値段は払えないこともあり、2回目は押さずに諦めました。
“お金を払ったのに”というモヤモヤよりも、“食べたかった”というモヤモヤが勝って少し機嫌が悪くなってしまいました。
食べたかったが勝ってしまうわたしは、まだまだ子供です。
あれから3ヶ月が経とうとしている、あのハリボーは今頃どうしているだろうかと考えてみました。
そのまま気が付かれることなく、あの体勢を保っているのだろうか。
それとも、小腹が空いた人がHARIBOを購入し2袋出てきてラッキーと思う、、、。
ふと周りを見渡すとお菓子食べたいとわがままを言って泣いている子供がいた。お母さんは家に帰ったら食べようねとなだめている。
子供は一向に泣き止みそうにない。
HARIBOー2袋を手にしたまま泣いている子供に近づき、どうぞと1袋渡す。泣いていた子供はぱっと太陽のように眩しい笑顔になる。お母さんはすみません、ありがとうございますと困っていた表情が一転、笑顔になる。渡した本人も2人の笑顔を見てやっぱり笑顔になる。
だとしたら、わたしは食べられなくて良かった。
わたしの手元に無事HARIBOが落ちてきていたとしても、笑顔になれるのは彼とわたしの2人。もちろん彼が笑顔になってくれるのは一番嬉しいけれども、彼はHARIBO以外でも笑顔になってくれる。
わたしの手元に残らなかったHARIBOが、知らない誰かを笑顔にしていたら、食べたいという気持ちも抑えられる。
そんなちょろい妄想で嬉しくなっているわたしは、やっぱり子供だと思った。
最後までお読みいただきありがとうございました。