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パパはどうして僕を生んだの? - 仏教で養う親子のきずな

INDEX

はじめに
1.まず姿勢正しく、呼吸正しく、心正しく
2.「今」を生きる
3.因果応報を知る
4.身近な人には慈悲の心で許す
5.結局、世の中のことはよくわからない
6.トイレの神様、ポックリの神様
7.お金の本質
8.観音様のお導きのままに
9.障害や精神疾患と求道
10.禅宗と念仏宗の違い -念仏道場の老婆-
11.相手の信仰を尊重する
12.坐禅は習禅でありかつ安楽の法門
13.坐禅会巡りは立派な修行
14.ご縁と受け取るその人は、世の中全てお蔭様
15.悟りのロープ
16.スズメバチ -もっとおおらかに-
17.未来は不安ではなく希望

はじめに

長らく坐禅が静かなブームのようです。姿勢を正し、清潔で静寂な坐禅堂で坐っていると、それだけで自然と心が安らいできます。癒し、メディテーションの一つとして禅は注目されているようです。
しかしながら、それは禅の効能のほんのおまけに過ぎません。望む者にはもっと素晴らしくダイナミックな世界が待っています。
禅は本来何のためにやるのか、それは己事究明をするためにやるのです。己事究明とは自分が生まれて来た意味、存在する理由を見極める、といったようなところでしょうか。
子供たちが病んだり荒れるのも、私はこの己事究明を抜きに大人が教育しようとしているのが理由のように思えてなりません。なぜなら大人も、心のありかだとか、死後の世界であるとか、宇宙の行き先といったようなものには答えられないからです。
人生は、一寸先は闇。子供の事を愛せない親はいないのでしょうけれど、そんな危なっかしい世界になんで僕を生んだの?と私は子供の頃からそう思っていました。
その為に、とてつもない親不孝をしてきたと感じております。
こういう話は親が悪いわけでも、子が悪いわけでもないのです。ただ、厳しい修行に打ち勝ったり、仏様を深く信じ切ること(信心)が出来た人間だけが、心の世界の本質を知ります。
ですが、修行や信心に励んだとしても、誰しもが容易に得ることの出来るものではない、厳しい世界なのです。そもそも我々には学校や仕事や家庭があるので、そんなことをしている暇はありません。
そうでありますから、私達のような宗教を志し、真理を垣間見た人間が、船一杯の魚、そう、まるでその魚を刺身にして小売りしたり、寿司を握ったりすることでなんとか食べやすく出来ないものか、と苦心してきたのが仏教発展の歴史と言えるでしょう。
仕事と宗教の両立は可能であるか、と問われればそれは可能です。ただ、一般在家に対しても厳しい修行を課す宗派もありますから、なるべく穏やかな曹洞宗、浄土宗あたりを私はおすすめします。
私の母方の祖父母は年老いてもなお仲睦まじい夫婦でした。そのように「私たちが心から愛し合って生まれてきたのがかけがえのないおまえなんだ」と生涯かけて言えるご夫婦にはこの書籍は不要だと思います。しかし世の中そううまくは行かないですよね。この本はそういう人に向けた本なのです。
この著作で私は、子供が病んだり、荒れたりしないよう、大人が迷いなく自信を持ってお説教出来るようなものを書きたいと思いました。子供がここへ行きたいと言ったらそこを指さしてあげられるような心の世界の地図を書いて行くつもりです。
どうか、私の調理した真理の魚の味が皆さんのお口に合いますように。

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