「ガサラキ」それは完璧で究極のリアルロボットアニメ
今回は「ガサラキ」を紹介したい。
ガサラキは1998年に放送されたリアルロボットアニメだ。
本作の最大の特徴はなんといっても、リアリティを突き詰めたロボットアニメということだろう。
それもそのはず「リアルロボット」という呼称を命名したとされる高橋良介氏が「装甲騎兵ボトムズ」「蒼き流星SPTレイズナー」から、実に13年ぶりに監督を務めているからだ。
ガサラキでは「タクティカルアーマー(TA)」と呼ばれる兵器が登場する。
人型兵器であるTAは投射面積の観点から、平地では戦車や航空機には全く敵わない。このように、ロボットアニメにありがちな人型兵器の万能性は意図して排除されている。これは本作を代表するリアル要素だろう。
また、リアルロボットとされるガンダム等の作品も、結局は人型兵器同士が争う戦場での”リアルさ”を追求している。
だが、ガサラキは”リアル”な戦場で人型兵器が活躍する点が決定的に違うのだ。
第4話からは核査察を拒んだアジアの小国「べギルスタン」へ、多国籍軍として派遣された特務自衛隊のTAが実戦で活躍する姿が描かれる。
敵の戦闘車両へTAの機関砲は1発で命中するようなことはなく、牽制も含め何発も撃ち込みようやく仕留めるような強さである。逃げ回る戦闘車両の方が、人型兵器であるTAよりも旋回・機動性では勝っているのも中々にリアルだ。
また、歩兵の延長線上にあるTAは対人戦において無類の強さを誇るような描写がある。人型兵器vs歩兵では単純に装甲や火力で上回るTAに分があるのだ。人型兵器の強み弱みをこれ程までに、リアルに描写したロボットアニメはあるだろうか?
続く第7話では、べギルスタンから帰国の途に就こうとしていた特務自衛隊の面々を乗せた輸送機が所属不明の戦闘機に襲われる。輸送機にはもちろん、TAも積載されている。
当然だが、飛行能力を持たないTAは空中では無力だ。だが、輸送機の後部ハッチを開き、ワイヤーで吊るしたTAで戦闘機へ奇襲をかけるという戦法で窮地を脱するのだった。
輸送機の後方へ迫っていた戦闘機は、突如現れたTAに1機撃墜されてしまう。しかし、取り逃がした1機は旋回しながら、再び輸送機へ向かってくるのだ。
輸送機はTAを吊るしているので旋回ができない。これまでかと思われたその時、TAは自身を吊るしているワイヤーを掴み、そこを支点として旋回することで対応し、残りの戦闘機も撃墜した。
人型兵器vs戦闘機という架空のマッチアップをリアリティを損なわず、見事描いた素晴らしい場面である。
人型兵器の強みも、そして空中では手も足も出ない弱みもしっかり描いた上で、人型ならでは利点を活かした逆転劇はリアルさの極致だろう。
また、リアリティのみがガサラキの魅力ではない。
本作では「餓沙羅の鬼」という存在が登場する。餓沙羅の鬼、転じてガサラキと呼ばれるそれは、資質ある者が能を舞うことで呼び寄せることができる。
実はガサラキの正体は、月の裏側に存在する超高度な知的生命体が自身を素材に作り上げたコンピューターなのである。その知的生命体は自らの種が滅びる際、原始的で進化の余地が残されている地球人に望みを託したのだ。
ガサラキは自らが認めた優れた個体に発信器を取り付けた。それは血脈によって受け継がれ、資質ある者=「嵬(かい)」として能を舞うことでガサラキとコンタクトが可能となる。
主人公の「豪和ユウシロウ」もそんな嵬の一人なのだ。
このように、能や「餓沙羅の鬼」といった和風伝奇要素も本作の魅力だ。
徹底してリアリティを追求したロボットアニメに、伝奇要素が物語に奥行きを与えている。ただリアルなだけが取り柄ではない。
さらに本作は、90年代末期〜00年代初期のロボットアニメの例に漏れず、エヴァンゲリオンの影響を強く受けている。特に主人公たちがガサラキの意思と触れるシーンにはそれが色濃く現れている。
この時代、多くのクリエイターがエヴァの影響を受け、試行錯誤していた。そういった時代背景と共に本作を楽しんでもよいだろう。
最後になるが、本作はリアリティを極限まで突き詰めたロボット物に、和風伝奇SFのエッセンスを取り入れ、エンタメとしてのケレン味を持たせた名作アニメである。