時代は朝で時代は墓地。
楽しいことを書こう。今を生きられる喜び感じよう。
そして、未来を描こう。
時代は朝なのだ
時代は墓地なのだ
ハム太郎なのだ、
ヘケ。。。
悲しい気持ち。辛い気持ち。
襲いかかってきやがり 毎日毎日眠れない
うまく眠れない
健康に悪い気、めちゃくちゃにしてるのに
夜になると大量の不安で押し潰さそうになる
泣いたって何も変わりゃしない。変わるのは私の目のでかさサ
毎日そんな具合、
このままだと2020年の思い出は眠れない夜に…、
ミーシャの名曲はつつみ込むように…、
いよいよおかしくなりそう
なのかもしれない、
however〜shikashinagara〜限界なんかとっくに来ている
だからこそ
前向きに、ポジティブになるために、
以前に戻るやり方じゃなくて全部全部まるっきり
新しい私のあり方になりたい。幼虫から蝶になるような変わり方じゃないのかもしれなくて、でもまだ誰もそれを知らない
大地を踏む私が、全部新しい細胞で一歩を踏み出すために
今、やるべきこと
今、やれること、ゆるませること
今、あえて自分を守るために距離を置いたり、
逆にアプローチをしてみたり
そうしないと前に進めない。
不器用だから。一歩進んで二歩下がるキヨコスイゼンジスタイルだから
正しいあり方
それは 私なりのものだけれど
そういう自分でいたい。
私は私を信じ
私のあり方で、完璧。
あなたはあなたを信じ
あなたのあり方で、完璧なように。
感覚で書く言葉もたまには悪くないかと思って。
言葉は来るものですから、来るまで待てばいい。
もしくは車で待てばいい。烏龍茶飲みながら。
で、来ました "HI!"てな具合に。
シンプルに生き様がかっこいいジジイ・ババアになりたいね。おっとっと夏だぜ、お下品でしたわね、お爺さんお婆さんにね。
本当に大切な人が死んじゃったことがない人
死にたいと思ったことがない人
そして想像力が欠如している人
そんな人に優しい世界、それが許されている世の中?
一見すると故人を弔っているかのような優しい世界観。柔らかくじわじわと蝕んで来るような言葉たち。冷静に考えてみると、ただのゆるふわ売名行為。死人に口なし。私が言えた立場でもない。でも、不憫で自分の事となぜか重ねてしまったりして、悲しくて涙がたくさん出て来る。そして、腹わたが煮え繰り返りお祭りマンボしている。そーれそれそれ、お祭りダァ〜〜〜〜ィッ
もうさ、逃げるっきゃないね、そんなときゃ。奪いに来るよ、彼ら どこまでも。どこにでもいるよ、そういうやつぁ。緊急地震速報ならぬ、心の緊急Taker速報が鳴ったら、ウチらの綺麗な世界からスワイプしてソクサリしていただこう。気をつけたいね。私もね、本当、気をつけないと。。
「普通は…」とか「世間は…」なんて言葉、、、。
虚構でデコレーションされた、ゆるふわほっこりダークサイドに落ちたら、仕舞いだと思っている。
私たちが培って来た素晴らしい文化も功績も認めた上で、私はもっと原始的なものに本当の美や愛を感じる。もっと本物になりたいし、もっと本来に戻りたい。
つんくさんも言ってたよ
「過去に戻らない、未来に飛べない。1秒は1秒だね」ってね
今起きていること、小さな事象も大きな事象も
痛みは伴う。
でも必ず変わると信じている。
くたばる喜び取っておこう。楽しいことを書こう。
今を生きられる喜び感じよう。
未来を描くのだ。
Bun Suzuki