【映画】「人と仕事」感想・レビュー・解説
理由は不明ながら、感染者数が大幅に減った今でも、現代を生きる我々にとって最至上命題は「コロナウイルスの感染を広げないこと」だ。
しかし、それ以上に重要なことがある。それは「生き延びること」だ。
そして、どうしてもこの観点が忘れられがちだと思うが、「人によって『生き延びるために必要なモノ・環境』は全然違う」はずだ。
この映画を観て、改めてそのことを実感する。
僕は正直、コロナ禍においてあまりダメージがなかった。仕事は、コロナとは関係ない事情で転々としながらも、ありがたいことに無職の期間などなく、給料は人並み以下だと思うが生活できるくらいにはある。もともとインドアの人間で、「外に出られないこと」がストレスになることはほとんどないし、「映画館で映画を観る」と「一人カラオケをする」という、コロナ前からの趣味は、コロナ禍でもそこまで障害なく継続できた。
結婚しておらず、子どももいないので、子育て絡みの心配もないし、介護的なものもとりあえずはまだ発生していないのでその点も大丈夫。食べることには元々興味がないから、飲食店が開いていないことが僕にとってのダメージにはならなかった。具体的な影響と言えば、「仲のいい人と飲みに行って話せなくなった」ぐらいだろうか。
本当にありがたいと思う。僕は「生き延びること」にコロナ前から難しさを感じている人間だったので、このコロナ禍においてむしろ「『生き延びること』の難しさ」を突きつけられる状況に陥らずに済んでいることが奇跡的だと思う。
さて、テレビなどではよく「緊急事態宣言が出ているのに、深夜まで渋谷や新宿で路上飲みをしている若者」が映し出される。当然それは「悪い存在」というレッテルと共にである。
しかし、深夜に路上飲みをしている若者にとって、そこにいることが「生き延びるために」に必要なことかもしれない。
家に帰れば親から暴力を受けるのかもしれないし、ずっと1人で頑張っていたけどどうしても誰かに会わずにはいられなかったのかもしれないし、直接じゃなければどうしても相談できない話があるのかもしれない。
もちろん中には、コロナのことなんかまったく考えず、自分さえ良ければいいという自己中心的な考え方でコロナ以前と変わらない自由を楽しもうと考えている人もいるだろう。しかしだからといって、そこにいるすべての若者が同じだと考えるわけにはいかない。
この映画では、コロナ禍において「リモートでは仕事ができない人たち」を取材しているのだが、僕はその中でも、歌舞伎町でホストクラブを経営する手塚マキ氏の言葉がとても良かった。
彼は、「メディアの報道が分断を生んでいる」と語り、その報道を見て、ホストクラブで働く若者たちは「開き直り」のような感情になるという。どうせ自分たちは日陰者なんだから、何をしたっていいんだ、と。
つまり、「メディアの報じ方が、結果的に悪循環を生んでいる」と指摘していた。
さらに、感染症の拡大時にいわゆる「夜の街」が問題になるのは現代だけじゃない、ペストの時だって売春宿が悪者にされた、と歴史に触れる。そして、「『夜の街の問題』と言われるものは結局、『社会構造の問題』なのだ」と指摘していた。
ホストクラブでは確かに「日陰者」と呼んでいいような人たちが集まって来るが、結局ここにしか居場所が持てなかった奴らでもある。それはお客さんにしても同じで、「ホストクラブでお金を使うこと」でなんとか生きていられるという人だっている。
「星野源の歌を歌って静かにホームステイしてましょう」なんてことができる人は、世の中にほとんどいないんじゃないか。そもそも「家が好き」だと思える人って少数じゃないですか?
こんな風に語る手塚マキ氏の話は、まさに「生き延びるために必要なモノ・環境」が人によって違うことを示唆しているだろう。
もちろんそれが「依存」と呼ばれる状態になってしまっているなら、改善の必要があると思う。アルコール依存症や薬物依存、ギャンブル依存など様々あるが、「生き延びるために必要なモノ・環境」に「依存」してしまっている状態は、コロナ関係なしに改善すべきだろう。
しかしそうでないならば、それがどんな事柄であっても、「これなしでは私は生き延びられません」と言えるものは個人の判断で優先されてしまって仕方ない、と僕は感じてしまう。
だって、それ無しでは「生き延びられない」のだ。しかしコロナ禍では、「ごくごく一般的な人」を基準にふわっと「不要不急」の要件がなんとなく定まり、それによって「していいこと、悪いこと」の区別が生まれてしまう。
一般的に「不要不急」と呼ばれるものが「生き延びるために必要なモノ・環境」である人の場合、本当にコロナ禍を生き抜くのは大変だろうな、と思う。
また、手塚マキ氏は、「歌舞伎町でクラスターが発生しやすくなる理由」について、「ホストの1/3ぐらいは寮生活で、つまり、一緒に生活して一緒に働いているから感染が起こりやすいのだ」と指摘していて、なるほどと感じた。しかし、そういう説明をしたとしても、「寮に何か感染が起こりやすくなる要因があるのだろう」と邪推されてしまうという。
映画に登場する、風俗で働く女性も話していたが、「普通の人」に対してはしない行為が、「『夜の世界』で働いている人」に対しては平然と行われてしまうことはある。女性は、「私たちははけ口なのかな」と言っていた。
手塚マキ氏の発言で、ホントその通りだよなぁと思ったのが次の発言だ。
【分かりやすい説明や状況だけが評価され、複雑でややこしい事柄は敬遠される。どんどん日本人がバカになっていっている感じがする】
そうだよなぁ、と思う。以前と比較してどう、という具体的な話しはできないが、「情報の届き方、受け取り方」が明らかに変わったと思う。ネットの記事で、「現代人は、離乳食のように情報を分かりやすくしてあげないと受け取れない」という指摘がされていたが、ホントにそんな感じがしてしまう。
見出しを見て興味を惹かれないとか、冒頭部分だけ読んでちょっと難しいと思ったりすると、その情報はスルーされてしまう。だからこそ、情報を発信する側は「離乳食」になるように情報を加工するし、情報を受け取る側は「離乳食」しか与えられないから噛む力が一向に育たない。
コロナに関しても、ワクチンを中心に様々なデマや不確実な情報が出回ったようだが、そういう状況になってしまうのも「情報を受け取る側の力」が壊滅的に失われているからだと思う。
世の中はどんどん複雑になっているし、コロナを経てさらにその複雑さは増しただろう。「二項対立」や「白か黒か」と言った単純な切り取り方では世界を捉えることは出来ない。だから本当は、「複雑でややこしい状況を、そのままのものとして一旦自分の内側に取り込んで咀嚼して、その上で自分がどう考えるのかが大事」なはずだ。
しかしそんなことをしてくれる「情報の受け取り手」はほとんどおらず、だから、複雑でややこしい状況を、既存の分かりやすい型にはめ込んで届けるしかなくなる。しかしそれはもちろん不正確なものだし、当然、その不正確な情報を起点とした思考もすべて誤りである。
こういう難しさの中に放り込まれているよなぁ、ということをいつも感じている。
僕はこの映画は、「映画としてのまとまりは欠けている」と感じる。そして、それでいいんじゃないかと思う。
僕の印象は、「この映画は『素材集』だ」というものだ。料理として1つのまとまりを成しているのではなく、じゃがいもはじゃがいも、鶏肉は鶏肉、カレールーはカレールーのままぐちゃっと混ざっているという感じだ。
だから、全然分かりやすくない。そして、だからいい。こういう分かりやすくない作品を、若い人にキャッチャーな有村架純・志尊淳というフィルターを通して届けることができるというのは、案外稀有なことかもしれないと思う。本を読んだり社会貢献活動などに参加したりしないと、なかなか「複雑でややこしい状況をそのまままるっと受け入れる」という経験をする機会はないんじゃないかと思う。この映画は、「この映画を観る」ということそのものが「複雑でややこしい状況をそのまままるっと受け入れる」ことになっていると思うので、そういう体験としても価値があるかもしれないと思う。
僕がこの映画を観ようと思った理由は、志尊淳にある。
以前、『さんかく窓の外側は夜』という映画を観に行った。狙ったわけではないのだが、たまたま舞台挨拶のライブビューイングをする日で、その際の志尊淳の印象が今でも強く残っている。
志尊淳は「ことばの人」だな、と。
「ことばの人」というのは、なんとなくイメージは伝わると思うんだけど、「自分の頭で考えて、自分の言葉で言語化できる人」ぐらいの意味だ。
世の中には、「自分の頭で考えてはいるんだけど、アウトプットが得意じゃない人」とか「全然考えてないんだけど、自分の言葉で言語化できちゃう人」など色んなタイプの人がいると思うのだけど、志尊淳は、この人はめちゃくちゃちゃんと考える人だし、自分が考えたことをちゃんと言葉にできる人なんだなぁ、と感心した。それまで志尊淳という人間にはさほど関心はなかったのだけど、そのライブビューイングの時の振る舞いで、興味が湧いた。
もし『人と仕事』に志尊淳が出なければ、観なかったかもしれない。志尊淳というフィルターを通して何が見えるのかに興味があった。やはり志尊淳は、「自分の立ち位置を理解した上で、自分にできることを模索し、悩みも迷いもありながらも進んでいく」という雰囲気を感じる人物でなかなか良かった。
有村架純と志尊淳がこの映画に関わることになったのは、元々撮影予定だった『保育士T』という映画が撮影中止になったからだ。その空いた時間を使って、このドキュメンタリー映画が撮られることになった。
映画を観ていて印象的だったのは、やっぱり若い人ってのはちゃんとしてるよなぁ、ということだ。コロナ禍では、若者を悪く扱うような報道がどうしても多くなったが、僕の感触では、若い世代ほどちゃんと考えているし、その考えていることをちゃんと言葉にしようとしてもいると思う。
あと、映画の冒頭は、緊急事態宣言中の真夜中の渋谷を志尊淳が歩き、通行人にインタビューを敢行しようとする場面から始まる。渋谷とは思えないほど人がいない中、声を掛けられた看護学生は、ホンモノの志尊淳に驚いていた。まあ、そりゃあ、志尊淳に声掛けられたら驚くよな、と。
先ほど書いた通り「素材集」なので、全体としてのまとまりはないし、なんのこっちゃという感じもあるかもしれない。ただ、「結論が用意された情報」ではなく、「素材から自分で結論を導かなければならない情報」も、やはり時には必要だろう。
そういう映画として観られたらいいんじゃないかと思う。