【映画】「拳と祈り 袴田巌の生涯」感想・レビュー・解説
さて、本作は、テーマが「袴田事件」じゃなかったらまず成り立っていないドキュメンタリー映画だろうと感じた。
という話は、ちょっと後にしよう。まず僕は、「本作監督・笠井千晶と、袴田巌の姉・袴田秀子の出会い」の話から始めたいと思う。「どうしてそんな話から?」と思うかもしれないが、これは非常に重要なポイントなのである。ちなみにこの話は、初日舞台挨拶の中で袴田秀子が語っていたものなので、映画を観るだけでは知り得ない。
笠井千晶は元々、静岡放送の報道記者としてドキュメンタリー番組に関わっており、その時に袴田秀子と出会った。袴田巌からの手紙を見せてほしいとお願いした時からだ。その後彼女は、袴田秀子が住む浜松市へと転勤することになり、既に親しくしていた袴田秀子にその話をしたところ、「安くするから、私のアパートに住んだらいいよ」と言われたそうだ。そんな風にして、「あの日」以前からこの2人は、親しい関係を続けていたのである。
そしてそれ故に、彼女にしか撮れなかった映像を撮ることが可能になったのだ。この話も舞台挨拶の中で語られたものなので、映画だけからは分からない話である。
さて、「あの日」というのは、2014年3月27日のことである。袴田事件においては、この日は1つのエポックメイキングとなる1日だった。何故なら、「再審が決定した」からである。
「再審」とは「裁判のやり直し」という意味だが、日本の再審は「開かずの扉」とも呼ばれており、まず認められることがない。被告に死刑が求刑されている事件ならなおさらだ。だから、「死刑確定事件において再審が決まること」などほぼ無いと言っていいのである。ちなみに先日、2024年9月26日に袴田さんの再審無罪を裁判所が決定し、検察が控訴を諦めたことから、本作公開の10日前の10月9日に袴田巌の無罪が正式に決定した。「死刑確定事件の再審無罪」は、「島田事件」以来35年ぶりで、戦後5例目だそうだ。いかにレアケースかが分かるだろう。
そして2014年3月27日は、そんな再審が決定したという意味で、刑事司法の歴史においてもかなり重要な日と言えるのである。
ただ、驚きはそれだけではなかった。この後、日本司法史において、恐らく前代未聞だろう事態が起こるのである。正直僕は、その「凄さ」を今日の舞台挨拶を聞くまでよく理解していなかった。
さて、繰り返すが、「再審」というのは「裁判のやり直し」であり、この時点ではまだ、袴田巌が死刑囚であることに変わりはない。そのことを理解した上で読んでほしい。
その日、袴田秀子や弁護団は、「再審決定」に沸き立っていた。それはそうだろう。袴田秀子は、その時点においても相当長い時間闘っていたわけだが(最終的に無罪を勝ち取るまで58年である)、恐らく「再審の扉は開かない」と思っていたのではないだろうか。それぐらい、「不可能」と同じような意味を持つのである。だから「再審の扉が開いた」というだけで、一団は驚きを隠せなかった。
しかし、そのことをまだ拘置所にいる袴田巌に伝えると、「再審はもう終わっている。わけに分からないことを言うあなたたちは帰ってくれ」「私はここで何も困っていない」みたいなことを言い出したそうだ。袴田巌は「死刑囚」としての長い勾留期間に精神がやられてしまい、「拘禁反応」と診断されたという。そんなわけで再審が決まった日も、よく分からないことを言って姉らを困惑させたのである。
しかし袴田秀子は、「明日また説得しよう」と考えていた。それで、一旦戻ろうと思っていたのだが、その時拘置所の職員から呼び止められ、建物の中に入っていたそうだ。すると、会計の担当者から「お金を返す」と言われたという。それは、彼女がこれまで拘置所にいる弟に渡し続けたお金で、袴田秀子は、「返してくれるというならもらおう」ぐらいの感じでそのお金を受け取ったそうだ。
さらにその後、別の職員から、「ダンボールが11箱あるから、着払いで送っていいか」と聞かれて、「着払いでも何でも送ってくれ」と答えたという。
さて、だんだん分かってきたとは思うが、しかし、この時点でもまだ、袴田秀子も弁護団も、この後に起こることが想像できていなかった。なにせそれは、「あり得ない」ことだからだ。
なんと、「再審が決定された日」に、袴田巌が釈放されたのである。繰り返すが、この時点ではまだ、袴田巌は「死刑囚」である。つまり、「死刑囚という立場のまま、拘置所から釈放され自宅に戻ることになった」のである。こんな展開、誰も予想できなかった。そりゃあ当然だろう。死刑囚を釈放するなど、意味が分からない。
そしてそれは当然、マスコミも同じだった。マスコミは恐らく、「再審決定」の一報が入った時点で社に戻ったはずだ。それ以上、事態が動くはずがないと考えて。そのため現場には、「昔から友人として親しくしていた笠井千晶」しか、マスコミ関係の人間はいなかったのである。
だから彼女は、2014年3月27日に釈放された袴田巌の姿をカメラに収めることができた。というか、同じ車に乗って移動し、さらに、40~50年ぶりに車に乗ったため袴田巌酔ってしまったこともありその日は東京で1泊することになったのだが、2人が泊まったホテルで彼女も1晩過ごしているのである。
つまり、「2014年3月27日以前から親しくしていたからこそ、世紀の瞬間に立ち会うことが出来た」というわけだ。この「監督が袴田秀子と物凄く仲が良い」というポイントが、本作『拳と祈り』の特異な点と言っていいだろう。単に「興味深い取材対象がいたからドキュメンタリーを撮りたいと思った」みたいなことではない関係性であり、なかなかこのようなドキュメンタリーは存在しないように思う。ちなみに監督は、袴田巌が釈放された日にホテルのベッドで姉弟が一緒に並んで寝ている姿を見て、「この映像は必ず自分で作品にして世に問う」と決断したそうだ。2014年から数えても取材期間は10年に及ぶわけで、これだけ長期の撮影をやり遂げられたのも、そんな決意があってのものだろうと思う。
さてでは、冒頭の話に戻ろう。「本作は『袴田事件』がテーマじゃなかったら成り立たなかった」という話だ。
「『袴田事件』じゃなかったら」というのは、「世に広く知られた事件じゃなかったら」という意味に捉えてもらっていい。もし本作が、「世にあまり知られていない出来事を追ったドキュメンタリー映画」だとしたら、成り立っていなかっただろうと思う。
というのも、先程触れたが、袴田巌が「拘禁反応」によって精神を悪くしてしまっているからだ。
普通「ドキュメンタリー映画」の場合、「『対象となる人』や『対象となる状況に関わる人』に焦点を当てていく」ものだし、つまり「いずれにしても『人』が中心にいる」と思う。本作の場合、それは間違いなく「袴田巌」である。そして普通は、「『焦点が当てられる人』が何を考えているか」に関心が向くだろう。「何をしているか」みたいな動向は、何らかの形で知る機会があるかもしれないが、「何を考えているか」はやはり、対象となる人と関係を築き深く掘り下げていかないと見えてこないはずだ。
しかし本作の場合、それが出来ない。「悪魔」や「電波」など、ちょっと意味が分からないことばかり口にする袴田巌からは、「考えていることを知る」のは不可能である。
対象となる人物が故人のドキュメンタリーもあるが、その場合は、周囲の人間の証言によって作品が構成されるだろうし、それはそれで成立する。しかし本作の場合、袴田巌は素晴らしいことに生きているし(釈放されないまま拘置所で亡くなっていた可能性だって十分あった)、であればやはり「生きている姿をカメラで追う」ことがメインになる。しかし同時に、「それ故に」という言い方は良くないかもしれないが、それ故に「袴田巌の動向」ばかりが映し出されることになり、「何を考えているのか」は見えてこないことになる。
もちろんそれは仕方ないことだし、「そういう現実を作り出した警察・検察・裁判所が酷い」ということの現れであるのだが、やはり「ドキュメンタリー」として捉えた場合には、この点はちょっと弱くなってしまうなぁ、と感じた。
だから、変な言い方ではあるが、「本作はテーマが『袴田事件』で良かった」と感じた。映画公開時点では解決したが、撮影時点では裁判の決着がついていなかったわけで、「未解決・未決着の事件」という意味でいうと、「袴田事件」は相当広く知られているように思う。「3億円事件」や「グリコ森永事件」ほどではないだろうが、「冤罪事件と言えば袴田事件」というぐらいには知られているはずだし、そういう「世間の関心が高い事件」であることが、ドキュメンタリーとして本作が成立している要素だと思う。
さらに、本作は最終的な無罪判決が出る前に公開が決定している(本作中でも、無罪判決が出た2024年9月26日の映像に、袴田家に貼られた本作のポスターが映っていた)。恐らくだが、「再審の判決が言い渡される日」が決まった時点で映画の公開日が決定されたのではないかと思う。これは僕の勝手な想像だが、そうとでも考えなければおかしいぐらい、公開のタイミングがぴったりである。そしてもちろん、「無罪判決が出るという確信があった」からこういうことが出来たのだろう。
まあそんなわけで、公開時期が無罪判決が出た直後というタイミングなわけだが、個人的には、ニュースを見ていて、その無罪判決の内容にメチャクチャ驚かされた。テレビのニュースか何かで見て再審無罪を知ったのだけど、その判決の中で、「死刑判決の最大の証拠となった5点の衣類は、捜査機関の捏造である可能性が極めて高い」と指摘されていたからだ。裁判所がここまで踏み込んだ指摘をしたことは、これまでもあったのかもしれないが(再審に限らず、通常の裁判も含めば)、それにしても「凄いことを言うものだな」と感じた。
何故なら、「そんな言い方をしたら、検察としても控訴せざるを得ないのではないか」と感じたからだ。
実はこの再審、最高裁判所で行われたものではなく、東京高裁で開かれていた。つまり検察には、「判決を不服として控訴する権利」があったのだ。2024年9月26日に判決が出た後、無罪判決が確定したのが10月9日だったというのは、「10月8日が、検察が控訴を行える期限だった」ことを意味する。そして検察が控訴しなかったからこそ無罪が確定したのだ。
しかし検察としては、「控訴しない」ということは、「捜査機関による捏造」という判決を受け入れざるを得ないことを意味する。検察は、「判決には重大な事実誤認があるが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらないため特別抗告を行うことは妥当じゃない」みたいなコメントを出したようだが、なかなか苦しいだろう。まあ、こう言うしかない気持ちももちろん分かるが。そして僕は、9月26日の判決を聞いて、「捜査機関の捏造なんて言ったら特別抗告されちゃうんじゃないか」と心配したのだし、そうならなくて良かったという感じである。
もちろん、弁護側は恐らく「捜査機関の捏造を認める判決が出るだろう」と考えていたのだとは思うが(あるいは彼らも、裁判所がそこまで踏み込んで判決を出したことに驚いただろうか?)、一般的には「あり得ない判断」に思えるし、恐らく僕と同じように驚いた人も多かったのではないかと思う。そんなわけで、「袴田事件」は改めて注目を集めることになり、「事件や袴田巌その人に対する関心」が高まっているからこそ、本作『拳と祈り』はちゃんと成立していると言えると思う。
なんかあまり褒めていない感じに思えるかもしれないが、全然そんなことはない。「袴田巌を撮影対象にする」以上は避けがたいことだし、その上で本作監督である笠井千晶は、他の人にはまず不可能な立ち位置からこの姉弟を追いかけ続けたわけで、「唯一無二」と言っていいドキュメンタリー映画に仕上がっているのではないかと思う。
さてそんなわけで、本作では「2014年3月27日に晴れて釈放された死刑囚・袴田巌の日常」を追いながら、「事件や裁判の経緯」「ボクサーとしての生涯」なども掘り下げていく内容になっている。
個人的に最も興味深かったのは、釈放された袴田巌に対する姉・袴田秀子の対応である。彼女はとにかく「弟を自由にさせたかった」と言っていた。これまで自由とは程遠い生活をしていたのだから、とにかく自由に生きていてほしいと願っていたのである。
しかし、これは言うのは簡単だが、実行するのは相当難しい。なにせ袴田巌は、1966年に逮捕されてから2014年に釈放されるまで、48年間も「社会」から遠ざかっていたのである。ありきたりではあるが「浦島太郎状態」と言っていいだろう。
しかも「拘禁反応」によって、精神がかなりやられてしまっている。袴田巌は自分のことを「神」だと思っているようで(拘置所で洗礼を受け、カトリックに入ったという)、「神として生きなければならない」「自分は死なないことになっている」みたいなことを当たり前の顔をして口にする。正直、1人で放っておくには心配になるような状態にあるだろう。
それでも袴田秀子は、弟の行動を制約しない。舞台挨拶では、「最初は、支援者の人に失礼なことを言ったりしたら怒っていた」と言っていたが、それもすぐに止めたそうだ。好きにさせることに決めたという。夜10時半を過ぎて戻ってこなくても、「まあどこかで野宿でもしてるだろ」と考え、また、ランニング途中に階段から転げ落ちて1ヶ月入院した後も、彼の行動を制約することなく好きに生きさせた。
とにかく、この袴田秀子のスタンスが凄かった。どう考えても大変な状況だと思うのだが、ずっと笑い飛ばしていて、しかも、今91歳だそうだが、舞台挨拶でもまあハキハキと理路整然と喋るので、とても90代には見えない。
ただ、「いつも笑っている」というのは、2014年3月27日を境に変わった点なのだそうだ。それまでは、どの会合に出るのでも険しい顔をしていたようで、そのことは一緒に登壇した笠井千晶も賛同していた。まあ、「弟が死刑囚」であれば、そんな風になっても仕方ないだろう。しかしそれが、再審決定&釈放によって一変し、「何が起こってもずっと笑っている」みたいな感じになったのだそうだ。
そんな袴田秀子の「弟の操作術」で面白かったのが、「博多へ行く話」である。どうして博多に行ったのかは後で触れるが、そもそも袴田巌はよく、「今からローマに行く」と口にするようになったそうだ。カトリックに入信したから、その関係だろう。普通なら「外国なんて行くの大変だよ」と言って諌めそうなものだが、袴田秀子は違う。「おし、ローマに行こう」と言って新幹線に乗せ、日本の各地を旅したそうだ。袴田巌がどう思っているか推し量る術はないが、少なくとも「ここはローマなんかじゃない」みたいなことを言ったことはないそうだ。
で、博多である。そこには、1審で袴田巌に死刑判決を下した熊本典道が入院している病院があるのだ。彼は当時から袴田巌が無罪だと思っていたのだが、合議の結果、2対1で死刑判決が決まり、彼が主任だったため死刑判決を書かなければならなかったのだ。その後、恐らく退官後だろう、2007年に東京拘置所までやってきて袴田巌との面会を求めたが、本人が断ったため叶わなかった。ただ、袴田巌が「1審判決を書いた裁判官だから」断ったのかは不明だ。というのも、袴田秀子も、「2014年3月27日に再審が決まるまでの3年間ぐらいは、面会を拒絶されていた」みたいに舞台挨拶で話していたからだ。
熊本典道は死刑判決を書いたことをずっと後悔しており、東京拘置所の前では「袴田さんの顔が浮かばない日はほとんどありません」と報道陣に語っていた。また、熊本典道はカトリックに入信したのだが、博多の病院で彼の世話をする島内和子がそのことについて、「袴田巌がカトリックに入信したと知って彼も入った。同じ場所に行って、死んでからでも謝るつもりでいる」と話していた。
そしてそんな元裁判官がいる博多まで、袴田巌を連れて行ったのである。2人は、1968年の1審での死刑判決以来、実に半世紀ぶりに対面を果たしたのである。ほとんど喋れず、意識も朦朧としていた熊本典道はしかし、袴田巌をちゃんと認識し、「わるかった」と口にしていた。また、浜松に戻った袴田巌に監督が「この前誰に会ったでしたっけ?」と聞くと、ちゃんと1審の死刑判決を書いた裁判官だと認識していた。袴田巌にとってどんな意味のある再会だったか分からないが、少なくとも、熊本典道にとっては大いに価値のある再会となったと言えるだろう。
さて、本作には、カナダ・トロントの映像もある。実は、まさに奇遇と言う他無いのだが、1966年、つまり袴田巌が逮捕されたのと同じ年、ルービン・“ハリケーン”・カーター
というボクサーが殺人罪で逮捕され、終身刑が言い渡され19年収監された後、1988年に無罪を勝ち取ったのである。そして袴田巌はそんなルービンに、拘置所から手紙を送っていたそうだ。海の向こうに、同じ年に冤罪で逮捕されたボクサーがいるというのはあまりにも奇妙な偶然だろう。ちなみにルービンは、出所後にWBCからチャンピオンベルトを授与されたそうで、「リング外でチャンピオンベルトをもらったのは、今のところ自分だけだ」と語っていた。
そして袴田巌もまた、WBCからチャンピオンベルトを授与されていた。個人的には、これには驚かされた。何故なら、何度も繰り返すが、釈放されていたとはいえ、その時点で彼はまだ「死刑囚」だったからだ。日本の組織だったらもしかしたら、そういう決断を出来なかったかもしれない。「無罪判決が出てから」という及び腰の決定になってしまいそうな気がする。「死刑囚」という立場のまま、チャンピオンベルトの授与が決まったというのも、なかなか凄い話だなと思う。
さて、最後に少し、「冤罪」に関して僕がどのように考えているのかについて簡単に触れて感想を終えることにしよう。
僕は、捜査に限る話ではないが、「人間がすることなのだからミスは当然起こり得る」と思っている。だから「ミスするな」というのは現実的ではない。僕は、「ミスが起こることを前提にシステムを構築すべきだ」と思っている。
しかし現実はそうはなっていない。例えば、「袴田事件」の裁判において浮き彫りになった問題の1つに、「再審裁判において、検察に証拠提出の義務がない」ことだ。再審に関する条文は大正時代に作られたまま何も変わっていないそうで、現実に即しているとは言えない。そして現状では、再審裁判が難しいのは、「検察が証拠を開示しないため、再検証が行えない」という点も関係しているのだ。
これは明らかに、「ミスが起こることを前提としていない仕組み」と言えるだろう。
そしてこれは再審に限らないが、捜査や取り調べ、裁判といったものは「個人の一生を大きく左右する」のだから、「ミスが起こることを前提とした仕組み」を整備する必要があると思う。
警察や検察、裁判所は「司法の信頼のため」という理由でミスを認めない印象があるが、それは逆だろう。誠実にミスを認めていくからこそ信頼が積み上がるのであって、ミスを認めなければ認めないほど「何か悪いことをしているんだろう」という印象が増していくだけだ。司法に携わる人間は、いわゆる「エリート」と言っていいと思うが、ちょっと発想を転換すべきだと思う。今回の袴田事件では、「再審決定と同時に釈放」など、裁判所がかなり踏み込んだ判断をしており、「何か変わるのでは?」という期待を持たせてくれる。
そして何にせよ、袴田巌さんには穏やかな日々を過ごしてもらいたいなと思う。