【映画】「香川1区」感想・レビュー・解説
すげぇ映画だったなぁ!新年早々、とんでもなく良い映画を観た!正直、他に観たいと思う映画がたくさんあれば、観る候補から外してただろうってぐらい、全然期待していなかったので、マジで驚いた。
ってか、選挙のドキュメンタリー映画を観て、まさか号泣するとは。今まで映画観て一番泣いたのは、たぶん『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だと思うけど、それに次ぐぐらい号泣してしまった。
ちなみに、この『香川1区』は続編という扱いに一応なっている。前作は『なぜ君は総理大臣になれないのか』で、まさにこれこそ、一応観る候補に入れておいたけど結局観ずに終わってしまった映画だ。観れば良かったなぁ。
ただ、僕もそうだが、前作を観てなかったとしても、『香川1区』メチャクチャ面白く観れる。政治に関心がなくても大丈夫。普段ドキュメンタリー映画を観ないという人にはなかなか手を出せない作品かもしれないけど、マジで観る価値あると思う。
まさかこんな政治家が世の中に存在するとは、って感じだった。
あと、これも先に書いておく必要があるだろう。僕は、いわゆる「無党派層」で、特に支持する政党はない。ただ、「自民党は嫌だな」と思っている。ただその「自民党は嫌」も、じゃあ何が問題で、どう変わるべきなのか、みたいな話は特にできない。政治にまったく関心がないわけではないが、やはりそこまで関心を持っているわけでもなく、「支持政党はないけど、毎回選挙には行く」という人が持ってる程度の知識しかない。
こと政治の話はなかなか話題に出すのが難しいが、とにかく僕は、「政治とは縁遠い人間」であり、そんな人間が書いている感想だ、ということだけは理解していただけるとありがたい。
この映画の主役は、立憲民主党の小川淳也衆議院議員だ。そして、タイトル通り、「香川1区」という選挙区での直近の選挙戦が映し出されているのがこの映画だ。
凄かった。何が凄いって、小川淳也という人間が凄い。
この映画を観ながら、色んな場面で泣かされたが、一番号泣させられたのは、小選挙での当選が発表された後、長女が支援者に向けてした挨拶の場面だ。彼女は、こんな話をしていた。
【私と妹はたぶん同じことを考えてるんですけど、これまでお父さんが負ける度、「私たちは大人になったら、正直者がバカを見る世界に立ち向かわなければならないんだ」って思ってました。でも今回、正直者の言葉もいつかみんなに届くんだって感じられました】
今こうして、彼女の言葉を思い出しながらキーボードを叩いてるだけで涙が出てくる。
もう1つ、こっちでは泣いていないが、小川淳也という人間を象徴するような発言があった。小川淳也の政策秘書を担当する人物(元々は別の議員秘書か何かをしていたらしい)が、彼と会った時の話だ。
【彼は「死んでも死に切れません」って言うんですよ。それで私、「この人は大嘘つきだ」と思いました。だって、そんなわけないですもん。永田町に、本気でそんなこと思ってる人なんているわけないじゃないですか。
でも、何度か関わってる内に、「あれ?この人、本気で言ってる?」って感じるようになって。】
そんなわけで、小川淳也の秘書をやるようになったそうだ。
この映画を観ていない人が、今僕が書いた文章だけ読んでいたら、「はっ?何言ってるわけ?」と思うだろう。たぶん僕も同じように感じると思う。政治家を殊更悪く捉えているつもりはないけれど、それなりにみんな詭弁や二枚舌を駆使しているだろうとは思ってる。別に僕はそれでもいいと思ってて、法律を破ったり誰かを傷つけたりするんでなければ、多くの人が「良い」と感じるような結果さえ出せばいいというスタンスだ。別に、政治家が清廉潔白だとか善人でなきゃいけない、なんてまったく思っていない。
だからこそ、小川淳也に驚かされた。ホントにこんな人がいるんだなぁ、と。
後で、「小川淳也の言葉の強さ」についても書くつもりだが、僕は「小川淳也が発する言葉」から彼の人柄なんかを判断しているわけではない。この映画には、彼を応援する様々な人間が出てくるが、彼らの振る舞いや言葉から、「あぁ、本当にこの人は絶大な信頼を勝ち得ているんだなぁ」と強く実感させられるからこそ、小川淳也という人物の人柄が凄いと思っているのだ。
選挙が始まる前から、「小川淳也を心の底から応援する会」(通称:オガココ)と呼ばれる人たちが選挙事務所を飾り付けしている。映画では、若い女性4人が色紙を切っていたり、出陣式の司会者として登場するが、とにかく若い世代が自発的に応援しようと組織したものであるようだ。
小豆島の商店主(顔出しは出来ないと電話でのインタビューだった)は、「自分は自民党員だが、人間的に小川先生を尊敬している」と言っていた。また選挙の街頭演説では、高校生がマイクで「応援しています」と声を掛ける。
社会人として働く娘(確かこれも姉の方だったと思う)が選挙事務所で電話をする場面が映し出された後で、こんな風に語る場面もある。
【家族が(選挙運動に)出てくることに疑問を抱く人もいるし、映画(『なぜ君は総理大臣になれないのか』のことだと思う)があるってことに違和感を抱く人もいる。別に色んな考えがあっていいんだけど、1つ言えることは、そういう人たちの話でもお父さんは真摯に聞くってこと。アンチだからとか関係ない】
映画を観ていても、本当にそんな人だろうなと感じる。これについては、小川淳也自身が、当選直後の挨拶で語っていたことが非常に印象的だった。
【余計なことかもしれません。今こんな場面で言うことではないかもしれませんが、私が理想とする民主主義では、「勝った51」がいかにして「残りの49」を背負うかが大事だと思っています。なので、対立候補の皆さん、そして彼らを応援した支援者たちにもエールを送りましょう】
これも、こうやって今僕が書いた文章を字面だけで読めば、「何をキレイゴト言っちゃって」と感じるだろう。繰り返すが、たぶん僕も同じことを思う。ただ、「この人、本気で言ってるんだろうなぁ」と感じさせる力がある。
「キレイゴト」という言葉は、小川淳也の両親も使っていた。それは、言葉の上ではマイナスの意味で使っているのだが、息子へのエールだ。
小川淳也は選挙前、ある出来事で批判を浴びてしまうことになる。その詳細は本筋には関係ないので触れないが、その批判を浴びた出来事について、息子を心配するようにこんな風に話していた。
【あいつはそれでもキレイゴトを通そうとする。確かにそういうやつもいないといけない。
でもあまりに幼いというか、キレイ過ぎるというか、真っ直ぐ過ぎる】
両親は決してそういう表現を口にしていないが、ざっくり言えば「もう少しズルくやればいいのに」ということだろう。親が子どもに掛ける言葉としてはなかなか凄いと思わないだろうか。普通は「そんなズルいやり方をするな」となるだろうが、その真逆、「もう少しズルくてもいいんじゃないか」という趣旨の発言をするのだ。
何度も繰り返すが、本当に、そんな風に言いたくなる存在なのだ。
香川にある選挙事務所には、静岡や栃木など様々なところからボランティアがやってくる。もちろんそれは、『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画の影響が大きいだろう。しかし、「映画で観たから」というだけで、静岡や栃木から無償のボランティアとして香川まで行こうと思うだろうか? ただ「映画で観た」というだけではなく、「映画を観て衝撃を受けた」からこそそんな行動になるのだろうし、そして僕はこの『香川1区』という映画を観て、きっと彼らが感じたに違いない衝撃を実感した。
そして映画を観ながら何よりも印象的だったのが、小川淳也の周りでは何度も「爆笑」が起きる、ということだ。
誤解しないでほしいが、これは「小川淳也の周りでは笑顔が絶えない」ということではない。「爆笑」だ。実際に映画館で、僕も含め観客も何度も「爆笑」させられた。
その「爆笑」は大体、小川淳也の「生真面目さ」が垣間見えた時に起こる。政治評論家の田崎史郎と熱い”ケンカ”をした後で謝りの電話をしている場面や、選挙運動最終日に演説途中でマイクを置く場面(法律の規定で何時まで演説をしていいのか決まっているようだ)など、「あまりの誠実さ」が垣間見える場面で、どうしても「爆笑」させられてしまう。
娘(確か妹の方だったと思う)は父親を「ストイックの塊」と表現していたが、まさに通りだと思う。
そして凄いのが、その「生真面目さ」「誠実さ」が、まったく嘘っぽくないことだ。
僕は、あんまりこういうことを言うのもどうかと思うが、他人の「善意」に対して「違和感」を覚えてしまうことが結構ある。もちろん、「あぁ、この人はたぶん本心では言ってないんだろうなぁ」と感じることもあるのだけど、それだけではない。「本心で言っているんだろうけど、胡散臭いんだよなぁ」と感じてしまうこともある。
その理由は、「マイナスの部分が見えない」からだと思っている。もちろん、短い時間しか接しない人の場合、その「マイナスの部分」が見える前に関わりが終わってしまうこともあるだろうし、フェアな比較ではないかもしれないが、個人的な感覚としては、「マイナスの部分も見えて初めて、その人のプラスの部分を信用できる」と考えてしまう。
そして面白いことに、小川淳也はナチュラルに「マイナスの部分」も見えるのだ。
一番印象的だったのは、うどん屋で撮影スタッフと会話をしている場面。そこでは、監督が小川淳也を「変わり者」と呼び、小川淳也がそれに対して「自分は常識人だと思ってたんだけどなぁ」と返すやり取りが展開される。その後で小川淳也が、こんな風に発言するのだ。
【(政界には)確かに(頭の)ヒューズが飛んでる人は多いけど、でもホントはヒューズを飛ばさなきゃいけない。
だって、(選挙期間中に)誰が自転車で走り回りたいと思う?】
僕の感触では、「自分を『良い人』に見せようとする人」ほど、こういう発言はしない。普通に想定できる会話は、「選挙期間中に自転車で走るのとか大変じゃないですか?」「いや、皆さんと直接関われて楽しいですよ」みたいな感じだろう。しかし小川淳也は、「誰が自転車で走り回りたいと思う?」と別になんでもないことのように言う。ホントに、「自分を良く見せようとする意識」みたいなものに欠けてる人なんだろうなぁ、と感じた。そしてだからこそ、彼が口に出す発言を「言葉通りに受け取っていい」と感じられるのだと思う。
小川淳也は、一方的に演説をするだけではなく、対話形式で聴衆からどんどん疑問・質問を求める。これは、思っている以上にハードルが高い。そもそも「人前で誰かに質問する」という行為に勇気が必要なのに、さらに政治のこととなると「政治について全然分かってない自分なんかが質問していいんだろうか」と思ってしまう。このハードルを越えさせるのは、相当に大変だ。
そういう時大体、話し手は「気兼ねなく自由に何でも言ってくださいね」と口にするが、その言葉は概ね「言葉通り」には受け取られない。それが普通だと思う。しかし小川淳也は、「気兼ねなく自由に何でも言ってくださいね」という言葉を言葉通りに受け取っていいのだと感じさせるのだと思う。だから、普通なら絶対に質問しないように思える人も、小川淳也に対して様々な意見を口にするし、先述したように、高校生も発言しようと思えるのだと思う。
これは本当に、凄まじい能力だな、と感じる。正直僕も、自分の発した言葉を言葉通りに受け取ってもらうことは割と得意な人間だと思っていて、だからこそその難しさを理解しているつもりだ。それを、「政治家」という立場の人が実践できていることにちょっと驚愕した。
そしてこの映画を観て一番強く実感したことは、「小川淳也のような政治家がちゃんと勝つ国がいいな」ということだ。
映画の最後の方で、街頭演説をしている小川淳也に聴衆から意見を言う場面があった。その中に、
【今回「香川1区」は全国的には熱狂した小選挙区だったと思います。そして数年後は、日本全国が「香川1区」のようになっていることを望んでいます】
みたいな意見があった。確かにな、という感じだ。
先ほども書いたが、僕は決して「政治家は清廉潔白でなければならない」と思っているわけではない。小川淳也も、彼が言う「あるべき姿を目指す」という目標の実現のために、「誠実ではない、清廉潔白とはいえないやり方」を取らなければならない時が来るかもしれないし、別にそれはそれでいいと思う。
ただ、小川淳也のような人間がいるのなら、やはりそういう人間を国会に送らなければいけないと思うし、それは市民の責任だなとも感じさせられた。
小川淳也が小選挙区で勝利するというのは、凄まじいことだ。その凄まじさは、対立候補が誰なのかを知れば理解できる。
デジタル庁を創設した平井卓也だ。「香川1区」という小選挙区では長年、小川淳也と平井卓也の一騎打ちの闘いが繰り広げられており、それまでの戦績は1勝5敗、民主党が政権を奪取した時を除いて全敗なのだ。
そしてそれもそのはずである。平井卓也が自民党所属だからというだけではない。平井一族は香川県で絶大な力を持っているのだ。平井卓也は3世議員で、祖父も父も政治家だった。また、地元でシェア6割を誇る四国新聞と西日本包装のオーナー一族でもある。「香川のメディア王」なのだ。映画の中にモザイクで出演した香川のある経営者は、戦後の香川の復興に平井一族は大いに貢献し、その影響力は絶大だと語っていた。
かたや小川淳也は、「地盤・看板・カバン」のない、「パーマ屋のせがれ」だ。選挙では毎回比例で復活するが、やはり「香川のメディア王」相手に小選挙区で勝つのは容易ではない。
しかし今回の衆議院議員選挙で、それをひっくり返したのだ。
さてここから少し平井卓也の話にも触れていくが、まず書いておきたいことがある。映画の中で選挙スタッフ(政策秘書だった気もする)がこんな発言をしていたのだ。
【ネガティブキャンペーンはしない】
この発言には流れがある。
映画の中では、平井卓也の街頭演説の映像も出てくるのだが、ある回で平井卓也は、
【今回の選挙はフェアじゃない。相手はPR映画で票を集めようとしている。本当に汗をかいて仕事をしているのが誰なのか、皆さん見極めて投票して下さい】
と叫んでいたのだ。この発言に対しては監督も怒りを覚えたようで、街頭演説の後で平井卓也に「PR映画って言い方はないんじゃないですか」と声を荒らげていた。
その場面に続いて、小川淳也の選挙事務所に切り替わり、監督が「小川陣営はネガティブキャンペーンはしないんですか?」という趣旨の問いかけをして、先の発言となったのだ。
なんでこんな話を書いたのか。それは、「僕はこれから平井卓也の悪口を書くが、そのような行為は決して小川淳也が望んでいるものではない」と伝えておきたかったからだ。別にその選挙スタッフの発言がなかったとしても、小川淳也がネガティブキャンペーンをしないことなど明白だ。どう考えてもそんなやり方をする人には思えないし、恐らく、「小川淳也を応援する意図で平井卓也を批判すること」もきっと望まないだろう。
僕としても別に、小川淳也を応援する意図で平井卓也を批判しようと思っているわけではない。ただ、映画で描かれることであるし、小川淳也の存在とは関係なしに、平井卓也の描写に関しては苛立ちを覚えることが多かったので触れておきたいと思う。
あと1つ言い訳めいたことを書いておこう。それは、この映画の情報だけから平井卓也を批判することはフェアではない、ということは理解しているということだ。
そんな風に思っているわけではまったくないが、もの凄く穿った見方をすれば、「この映画の制作陣は、『小川淳也の良いところは前面に押し出し、悪いところは映していない。そして平井卓也の良いところは映さず、悪いところだけピックアップする』というスタンスで編集した」と受け取ることもできる。そして万が一そうだとしたら、この映画で描かれた情報だけから平井卓也を批判することはフェアじゃない。
ただ僕はもちろん、多少の偏りがあったとしても、この映画の制作陣がそんなやり方をしているとは思っていないし、仮に「平井卓也の良いところは映さず、悪いところだけピックアップする」というやり方をしていたとしても、その切り取られた「悪いところ」はやっぱり絶対的に良くないと思う。
あと、映し出されるその「悪いところ」が、平井卓也個人の問題なのか、それとも自民党全体の問題なのかは分からない。自民党の問題かもしれないが、とりあえずここでは平井卓也の問題として捉えることにする。
そんなわけで、平井卓也について書いていこう。
まず驚いたのは、「期日前投票所の近くに『平井卓也に投票したことを報告する部屋』が存在する」ということだ。僕は人生で一度も経験がないが、会社などから「誰々に投票するように」みたいな指示がされることもあるそうだ。そして、本当にちゃんと平井卓也に投票したのかを報告させているそうだ。
別に、投票所で「小川淳也」と書き、報告部屋で「平井卓也に投票した」と言えばいいだけなので、どこまで効力のあるやり方なのか分からないが、なんとなく「お前のことは見ているぞ」という圧力を感じさせる仕組みで気に食わないなと思う。
また、法律的に問題なのは、「政治資金パーティーへの案内状」の存在だ。モザイクの女性がコピーを持ってきていた。
その案内状には、「1人2万円×10=20万円」というお金を要求しながら、「パーティーへの参加者は3人」に制限するという趣旨の文章が書かれていた。映画の中で弁護士だか大学教授だかは、「7人分について寄付という処理をしなければならないが、10人分すべてパーティー券を売ったものとして処理しているのであれば、政治資金規正法に違反するだろう」というような見解を示していた。
また、これは決して平井卓也の問題ではないが、平井卓也陣営の印象を悪くする場面も映し出されていた。平井卓也の街頭演説を撮影していた映画プロデューサーが、恐らく平井卓也支持者だろうと思われる人物から難癖をつけられ、警察に通報されてしまうのだ。仮にこれが、「平井卓也支持者の内のたった1人の特異な行動」なのだとしても、やはりそれは平井卓也への印象を悪くするものだし、そのような自覚ができない人間が支持者なのだなと思われてしまうだろう。
また、平井卓也の応援のために岸田総理が現地入りした際、会場に入ろうとした『香川1区』の撮影スタッフが入り口で止められ、入場を断られる場面もあった。これは、映画での時系列で言うと、平井卓也が「PR映画」と口にし、監督が反論した後である(実際の時系列もきっとそうだろう)。入場できない理由を問うと、「ドキュメンタリーは報道ではないから」と、明らかに難癖と分かる説明をしていたが、これもまた平井卓也の印象を悪くする場面だった。
しかし、そのような個別の案件以上に平井卓也を「悪く」見せるのが、やはり「全体の雰囲気」だろう。それがどんな場面であれ、平井卓也の周りにいるのは、スーツを着た年寄りばかり。一方小川淳也の周りにいるのは、普段着の人たちばかりだ。その構図はシンプルに、「平井卓也がもたらす既得権益に群がる人々」という印象をどうしても抱かせてしまう。
それは、映画に登場するフリージャーナリストの発言からも感じさせられた。恐らく香川で長年選挙の取材をしている人物だと思うのだが、その彼が、「平井卓也の演説には動員された人しかいなかった」「小川淳也の演説には自発的に集まってきた人ばかりだった」というような発言をする。映画の中では、何の根拠があってそう判断したのかまで語られなかったが、シンプルな印象としても、「スーツ」と「普段着」の違いからそんな風に感じられる。
さて最後に、少しだけ「自民党」について書いてみたい。
映画の中でジャーナリストの星浩が、
【会社から強制されているんだろうなど色んな意見はあるだろうけど、話を聞いてみると、自民党支持者も様々な理由から自民党を支持している】
みたいなことを語っていた。自民党が、様々な人の声を拾い上げるシステムはやはり強くて、野党がそこに入り込めていないのだ、と。なるほど、確かにそういう側面もあるだろう。
一方で、小川淳也の妻がこんな風に言う場面があった。
【自民党を支持してないと「なんで?」ってなっちゃうみたいなことがある。仲良くやっていこうと思っているのに波風は立てられないと感じる人はやっぱりいる】
これは小豆島を回っている際の発言だ。「香川1区」という小選挙区は高松市と小豆島を含む島しょ部が範囲で、特に島しょ部は昔から自民党支持が強いという。そして、「自民党を支持していないのはおかしい」というような同調圧力が存在する、ということだと思う。
また、この映画とはまったく関係ないが、前回の衆議院選挙(つまりこの映画で描かれている選挙)の際に知り合いの年下の女性と選挙の話になったことがある。彼女はそれまで選挙にさほど関心がなかったが、色んな理由からちゃんと調べるようになったそうで、親とも少し政党の話をする機会があったそうだ。そしてその際の印象として、「両親とも、無条件で自民党支持って感じだった」みたいな発言をしていた。彼女の印象として、他の政党と比較したりすることなく、自民党しかないよねという思考停止のような感じだったそうだ。
僕は別に、自民党を支持することについてどうとも思わないが、しかし「仲間はずれになるから自民党を支持する」とか「思考停止のまま自民党を支持する」みたいなのは、やっぱりモヤモヤするなぁ、と思ってしまう。
映画の中で小川淳也が、応援してくれた高校生に対して、「今の社会は、色んな問題を君たちの代に先送りしようとしていて、それは自分たち大人の責任だと感じている」みたいなことを言っていた。政治家に限らず、そんな風に感じる大人が増えればいいと思うのだけど、思考停止で自民党を支持されてしまうと、なかなかそれも難しいだろう。
街頭演説の中で小川淳也に意見をぶつけた主婦がこんな話をしていた。
【左とか右とか、リベラルとか保守とか、私は本当にそんなことどうでもいいんです。子どもを育ててる世代で、日本には問題がたくさんある。とにかく、与党と野党が手を組んで、そういう問題を解決してほしい】
これを聞いて僕も、確かに自民党を批判しているだけでは何も解決しないよな、と改めて感じさせられた。そしてさらに、その意見に対して小川淳也が、イギリスの議会を例に出して、彼自身が理想とする民主主義や国会のあり方について語っているのもとても良かった。
映画のキャッチコピーは、「問われたのは、一人ひとりの民主主義」だ。この映画を見ると、民主主義は自分の問題なんだと実感できるだろう。
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