【映画】「別れる決心」感想・レビュー・解説
なんとも変な物語だった。とにかく、「物語がどう展開するのか分からない」という意味で、強烈に惹きつけられてしまう映画ではある。
この映画の変なところは、「倫理観との葛藤」みたいな場面が、ほとんど描かれないことだと思う。
主人公のヘジュン・ヘジュンは、史上最年少で警部となった刑事である。原子力発電で働く妻とは週末婚で、ヘジュンは普段職場から近いのだろうアパートで一人暮らしをしている。妻との関係も恐らく良好で、たぶん話し合って子供を持たないことにしているのだと思うが、毎週セックスをしている。仕事ぶりも真面目で、部下が被疑者に暴力的な振る舞いをした際は、「俺の元で仕事をするなら暴力は無しだ」と厳しく叱責もする。その言葉に違わず、彼自身は被疑者であっても丁寧な接し方を心がけている。
非常に好人物だと言っていいだろう。そしてその印象は、実は最後までほとんど変わらない。一度彼が「崩壊」という言葉を使う場面があり、確かにそれは褒められた行動ではないのだが、全体的には「人としても刑事としても、高い倫理観を持って生きている」と感じる人物である。
そんな人物が、被疑者である若く美しい女性ソン・ソレには、普段しないだろう振る舞いをする。「被疑者と刑事」という関係を、完全に逸脱しているのだ。そのことは、彼自身ももちろん理解しているだろう。
しかしそれなのに、映画では「ヘジュンがその事実に葛藤する」という描写がほとんどない。
一方、ソン・ソレは、「年上の夫を殺害したかもしれない」という容疑でヘジュンから取り調べを受けている。年上の夫は、クライミングに滑落した。事故を強く示唆する状況ではあるが、その妻であるソン・ソレが夫から日常的に酷い暴力を受けている事実を知り、疑いを掛けられるのだ。
いや、最初のきっかけはそうではない。夫が亡くなったので、当然妻であるソン・ソレに事情を聞くことになるのだが、夫が死んだことを告げられた後も、取り調べ中に笑うのだ。そのことも、不信感に繋がっている。
これもまた、「『倫理観との葛藤』が描かれない状況」と言っていいだろうと思う。
このように、ヘジュンもソン・ソレも、「倫理観」という点でどうにも「あっち側にいってしまっている」という雰囲気がある。しかしヘジュンもソン・ソレも、職場やなどでの評判がとても良い。だからその「逸脱」が周囲にはあまり染み出ないことになる。それでいて、ヘジュンとソン・ソレは共に「逸脱」しまくっているわけで、この2人だけが関わる場面では、なんとも「異常」と感じられる状況が現出することになる。
これがこの映画の「特異点」であるように感じられた。
とにかく映画を観ながら感じていたことは、「観客を『まとも』という舞台から引きずり降ろそうとしている」ということだ。それも「北風」的なやり方ではなく「太陽」的なやり方で。なんとも幻惑させられるというか、見えている光景が異常に魅惑的に映るというか、とにかく「自分が依って立つ『まとも』を手放すことの快楽」みたいなものを、劇的に刺激してくるような作品に感じられた。
別にそれは、「刑事でありながら被疑者に恋をする」とか「妻がいながら別の女性に惹かれる」みたいな「背徳感」の話をしているつもりはない。なんというのか、そういう分かりやすい話ではないように感じさせる作りになっているのだ。正直なところ、ヘジュンとソン・ソレの関係については「よく分からない」と感じる部分の方が多い。ヘジュンは決して「若くて美人だからソン・ソレに惹かれた」みたいな話ではないはずだし、ソン・ソレの方も、「ヘジュンが、それまで自分が生きてきた世界にはいないような礼儀正しい人間だから惹かれた」みたいなことでもないはずだ。
じゃあなんなんだ、と言われると、それがなんともよく分からない。よく分からないのだけど、「この2人の間では成立しているんだよなぁ」という感覚だけは強烈に映し出される。だから、「理解できないけど、受け入れざるを得ない」という感覚になってしまうのだ。
作中では、実は様々な要素が描かれる。妻が原子力発電所で働いていること、妻の職場近くは霧が多いこと、妻が理系出身で様々なデータに明るいこと、ソン・ソレの祖父は「朝鮮解放軍で『満州の山猫』と呼ばれた人物だった」という話、ソン・ソレが中国人で韓国語が苦手なため翻訳アプリ越しに会話すること、ヘジュンが不眠症であること、それと関係があるのかヘジュンが事ある毎に目薬を差すこと、ソン・ソレの事件とは関係ない別の捜査の話などなど。とにかく、色んな要素が散りばめられている。
ただ僕には、それらの要素が、「ヘジュンとソン・ソレの関係」になんの影響を及ぼしていないように感じられる。つまり、「散りばめられた様々な要素が、単に『2人の関係にとっては無駄である』という事実描くためのもの」でしかないように感じられたのだ。もちろんこれは、僕の読み解きが浅いだけで、出てくる様々な要素には何か意味や意図があるのかもしれない。それはそれで深掘りするには面白いが、とりあえず今の僕の感想としては、「あらゆる要素が『無駄』を示唆するために描かれている」と感じた。
「別れる決心」というタイトルも、なんとも言えない。劇中に「別れる決心」というセリフが出てくるので、それを踏まえれば主語がどっちのものかは明らかなのかもしれないが、しかし個人的には、どちらの感覚であっても間違いではないと感じる。
特に後半の展開は、「別れる決心」というタイトルからむしろ遠ざかっているような話になっていて、益々混沌としていくと言っていいと思う。なんというか、もしこの物語の展開を誰かに口頭で説明したら、「は? それ、物語として成立してる?」と感じるのではないかと思う。それぐらい、シンプルにストーリーだけ取り出したら、なんのこっちゃ分からないのではないか。
でも、映画を観ていると、「理解は出来ないが、成立はしている」という感覚になる。やっぱり、この点がこの映画の凄さだなと思う。韓国で公開された時には、繰り返し観るリピーターが続出したそうだが、その気持ちも分かるように思う。「理解できないのに成立している」という感覚がどんな風にもたらされているのか、気になるんじゃないだろうか。
演出的な話で言うと、「ソン・ソレの回想シーンの場面に、ヘジュンがいる」というやり方がなかなか面白かった。どういう意図が込められているか分からないが、僕としては、「ヘジュンがソン・ソレの虜になっている」という事実が、視覚的に表現されているように感じられて、上手いなと思った。
映画を観ながら、桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』という小説のことを思い出した。この中に、「答えられたらマズいクイズ」というのがあって、その問題と答えがなんかこの映画全体の本質にピタリハマるような感じがあった。問題と答えはここには書かないが、気になる人はネットで調べれば出てくるので調べてみてほしい。
形なきものを見えるようにするために「言葉」があると考えることも出来ると思うが、逆に、「言葉にしないことで形なきものの存在を感じさせる」というやり方も出来る。そのことを、強烈な物語と共に描き出す映画だったなと思う。
しかし、変な映画だった。
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