【映画】「ロボット・ドリームズ」感想・レビュー・解説

なかなか良かった。ストーリーは超絶シンプルで、シンプル故に良く感じられたのだろう。客席から、微かにすすり泣いたり、鼻をすりあげる音が聞こえたりと、打たれた人が多かったみたいだ。僕はそこまではいかなかったが、「確かに良いね、これ」と思いながら観ていた。

さて、本作の物語は、普通映画としては成り立たないだろう。というのも、言ってしまえば「幼児向けの絵本」みたいな内容だからだ。物語だけ取り出したら、メチャクチャつまらないと思う。

しかし、そんな物語が感動作に仕上がっている理由は、やはり、「セリフが無いから」だろう。

本作には、一切セリフがない。音として聞こえるのは、街のざわめきとか鳥の鳴き声、音楽、車の走行音などで、主人公の2人(1匹と1体と書くべきか)に限らず、この世界では声を発する者がいない。いや、テレビはどうだったかな。テレビでは、翻訳こそされなかったけど、喋っている声が入っていた、かもしれない。覚えていない。まあとにかくそんな感じで、とにかくセリフがない。この物語世界がどういう設定になっているのか分からないが、文字は存在する(街中の看板やテレビの表記など)ので、「喋ることだけ止めた世界」なのかもしれない。まあそんなことは深く考えるようなことではないのだと思うけど。

さて、セリフが無いと何が良いのか。それは、「ストーリーをシンプルにしないと伝わらないよね」ということが、観る者全員に共有されることだ。セリフが無い以上、複雑なストーリーを伝えることは難しい。そしてだからこそ、「『セリフが無い』という制約条件ゆえに、物語がシンプルになっているのだ」という風に受け入れられるのだ。このような要素が存在するからこそ、あまりにもシンプル過ぎる物語でも違和感を与えないし、感動をもたらすことが出来るのである。

しかし、ちょっと前に観た映画『ゴンドラ』は、また少し違うタイプだったんだよなぁ。『ゴンドラ』もセリフが一切無い映画だったが、こちらは「ストーリーがシンプル」というわけではない。実に奇妙な物語で、「よくもまあ、セリフ無しでこんな訳の分からないストーリーを成立させたものだ」と感じさせられた。「セリフがない」という要素が共通でも、やり方は色々というわけだ。

さて、まあそんなわけで、本作は凄まじいぐらいシンプルなのだが、途中途中のちょっと変わった演出もあって、視覚的に面白く観られるという部分もある。『ロボット・ドリームズ』というタイトルの通り、本作中には「ロボットの夢(妄想)」みたいなシーンがかなり挿入される。その夢(妄想)には、「否応なしに離れ離れになってしまった人に会いたい」という気持ちが詰まっていて、そういう意味で必然性のある描写なのだけど、それ単体で捉えるとなかなか奇妙で、シンプルな物語の中でアクセントになっている。特に面白かったのが、メタ的なと言えばいいのか、「ロボットがスクリーンから出てくる」みたいな演出。何を言っているのか分からないと思うが、セリフが無い中で、こうやって視覚的に観客の興味を惹きつけていく感じはとても良かったと思う。

物語は、主人公のドッグ(犬である。動物が人間みたいに暮らしている世界、という設定なんだろうか)のあまりにも退屈な日々の描写から始まっていく。コントロールを両手で持って1人で対戦ゲームをしたり、つまらないテレビをザッピングしたり、代わり映えのしないものを食べたりと、死んだ目でつまらない日常を過ごしていた。

そんな中、テレビ画面に「Are you alone?(あなたは孤独?)」と表記された。どうやら友人ロボットの宣伝らしい。購入を思い立ったドッグはすぐさま電話で注文し、数日後宅配便で届いた。イケア方式で自ら組み立て、電源を入れるとロボットが起動。それからドッグにとっての楽しい日々が始まっていく。

それまでくすんでいたのが嘘みたいに、毎日が楽しい。買い食いしたり、地下鉄に乗ったり、ローラースケートで遊んだり。何でもないと言えば何でもないけど、それまでのドッグにはその何でもない日常さえ遠かったわけで、ドッグとロボットはすぐにかけがえのない存在になった。

そんなある日、ドッグはロボットを海岸へと連れて行った。海に入ってはしゃぐ2人。しかし、いざ帰ろうと思った時に思いがけない出来事が起こった。恐らく錆びてしまったのだろう、寝転んでいたロボットが起き上がれなくなってしまったのだ。ドッグは必死にロボットを起こそうとするが、家に届いた時にもまったく持ち上がらなかったぐらい重いのだ。ドッグのちからでは為すすべもなく、仕方なくその日はロボットを残して家に帰ることにした。

翌朝。工具を持ち、ロボット修理の本を買ってドッグはすぐに昨日の海岸へと向かったが、なんとビーチは昨日までの開放だったようで、既に閉鎖されていた。金網で仕切られていて、ロボットが横たわっている砂浜までたどり着けないのだ。看板には「6/1まで」と書かれている。来年だ。ドッグは、鍵を壊して中に入ろうとするが、警察に捕まってしまう。

ドッグは諦めた。冷蔵庫に「6/1、ロボット救出!」というメモを貼って、日常に戻ることにしたのである。

こうして2人は離れ離れになってしまうのだが……。

というような話です。

さて、ロボットの方はまったく動けないのだから「夢(妄想)」の話が中心になるのだが、そうではない話も描かれるのが面白い。ひたすらただ横になっているだけのロボットの方にもちゃんと物語が展開するのがいいなと思う。

まあそんなわけで、物語的には、動ける方のドッグが中心になるわけだけど、ドッグの描写は基本的に「I miss you(お前がいなくて淋しいよ)」というものになっていく。くすんだ日常を過ごしていたところに彩りをもたらしたロボットとの生活が失われてしまったわけで、またつまらない日々に逆戻りである。

しかし、ドッグは「それじゃいけない」と考えた。来年になったらロボットを助けに行くとして、それまでだって楽しく日々を過ごすべきだ。まあ「べきだ」と思ったかどうかは分からないが、恐らくそれに近い思考になったのだろう。だからドッグは、「ロボットの代わりになるような友人を見つけて楽しもう」と考える。スキー教室に言ってみたり、凧揚げでたまたま出会った女性(アヒル/DUCK)と仲良くなったりするのだけど、なかなか上手くいかない。そしてその末にある決断をするのだが……。という点には触れないでおこう。

まあそんなわけで、「ドッグと会いたい気持ちはありつつも身体が全然動かないロボット」と、「ロボットとの楽しい日々が忘れられずに色んな人(動物)と関わるが上手くいかないドッグ」の想いが工作するような展開で、その辺りが胸を打つのだろうと思う。

さて最後にメチャクチャどうでもいいことを。「外国にも、マルバツゲームってあるんだなぁ」と思った。ヴィム・ベンダース監督の映画『PERFECT DAYS』にもマルバツゲームが出てきたが、あれって外国人に理解できるんだろうか? と思ってたけど、まあそりゃあそうか、日本独自の遊びはわけないよな。ちなみに英語では「tic-tac-toe」というそうだ。へぇ。

あとついでももう1つどうでもいいことを。英語だと、無冠詞で動物の名前を表記すると「◯肉」という意味になる。例えば「I like dog.」は「私は犬の肉が好きです。」となるというわけだ。で、本作には、表札的なところに「DOG」と書かれているシーンがある。もちろんこれは「犬肉」のわけがないので、「DOGという名前」ということだろう。日本語で考えると、「犬」が名前というわけだ。漢字だと違和感あるが、「イヌ」とカタカナにすると、お年寄りの女性にいそうな名前になる。

まあ、どうでもいいですね。

この記事が参加している募集

サポートいただけると励みになります!