【映画】「ボイリング・ポイント|沸騰」感想・レビュー・解説
この映画について知っていた情報は、「90分間、正真正銘のワンカット」であるということ。映画を観た後、公式HPを見てみると、編集を一切せず、CGもまったく使っていないそうだ。本当に、ヨーイドンでカメラを回し始め、映画終了までひたすら演劇のように役者たちが演じ続けているというわけだ。
だから臨場感はとにかく凄まじかった。この臨場感はまさに、ワンカットで撮られた映画だからこそのものだろう。90分撮りっぱなしで作品を成立させるために、常に何かが起こっている。しかも、ノンストップで進む物語の構成によって、登場人物たちの性格や関係性、彼らが置かれた状況を分かりやすく伝えなければならない。そしてそのことに見事に成功していると感じる。
正直なところ、「ストーリーそのもの」が面白いのかと言われたら、それほどでもない。冷静に物語だけを振り返ってみれば、大したことが描かれているわけではないと感じるだろう。まあそれはしょうがない。レストランという1つの空間で、切れ目の一切ない90分というひとかたまりの時間でしか物語を描けないのだ。展開にはどうしても空間的・時間的成約が生まれるし、それを、普通の映画と比較するのは酷だろう。
ただ、ストーリーそのものが正直なところ大したことないと言っても、「目が離せない」という感覚は90分間継続し続ける。「ワンカット風」ではなく「ワンカット」であるからこその凄まじさだと言っていいだろう。実際、どうやってこの撮影を成立させているのか、よく分からない。舞台は、ロンドンにある実在のレストランだそうだ。そことまったくそっくりなセットを作って、役者に何回も練習させたのだろうか? にしても、役者の演技・カメラワーク・エキストラたちの動き、それらがすべてミス無く成立しているのが凄い。実際のレストランを借りて撮影しているということは、やり直しができるとしてもそう何回もというわけにはいかないだろう。よほど緊迫した状況だろう。
映画は、冒頭からずーっと緊迫した状況下で展開していく。よく分からないが、シェフらしき男が電話越しに謝ったり説明したりしている。レストランに入ると、衛生検査官のような人物が抜き打ちでチェックをしており、あーだこーだと指摘されている真っ最中だ。この日はクリスマス。予約はいつも以上に入っているのに、開店準備が大幅に遅れている。
さらに、シェフはここ数ヶ月、何らかの理由で(妻との別居か?)日常がバタバタしており、事務所の床で寝る日々が続いていた。だから、食材の発注も疎かになっている。足りない物だらけだ。オーナーの娘でホールを取り仕切っている支配人は、厨房のことをよく理解しておらず、厨房スタッフの怒りは募るばかり。ホールスタッフはお喋りに興じ、洗い場担当の男は2時間も遅刻して妊婦の女性が1人で洗い物をしながらキレている。今日ここでプロポーズをする予定のカップルがいるかと思えば、SNSのインフルエンサーだと言ってメニューにないステーキを注文する連中がいたり、はたまたシェフがかつて修行していた店のオーナーシェフが有名なグルメ評論家の女性を連れて突然やってくる。シェフは妻から、水泳で1位になった息子に電話してやってくれと何度もせっつかれるが、電話の度に店でトラブルが起き、息子を褒めてあげたいだけなのにそれすらもままならない……。
と、ざっくり状況を説明しただけでも、相当なカオスだと言っていいだろう。これらの展開が分単位、秒単位で入れ替わり、カメラが追う人物も常に変化しながら、「レストランという魔物」を切り取っていく。
全体的に、「ホントにこんなレストランあるのか?」と感じてしまうような、なかなかの状況だ。「高級店」という触れ込みなのに、ホールスタッフは雑談しているし、オープンキッチン的に客席から見える厨房では怒りの声が飛び交っている。日本でも、店の大将を従業員が客前で怒鳴ったりしてSNSが炎上したりするが、少なくともこの映画を見ている限りは、「こんな状況は当たり前のもの」であるように感じられる。
公式HPには、イギリス在住のライター・ブレイディみかこのコメントが載っているのだが、それがなかなか興味深い。
【この映画を見た翌日、英国でレストランに行った。
「夕べ、あの映画を見たんです」とウエイターに言うと、「あれはけっこう現実ですよ」とにやりと笑っていた。それぐらい英国では誰もが見た作品だ。】
聞かれたウエイターが、映画のどの部分を「現実」と呼んでいたか定かではないとはいえ、あの映画で描かれている状況が「決して異様なわけではない」ということが、日本人である僕にはちょっと驚きだった。ラストに至るあのシーンは当然アウトとしても、従業員の雑談や厨房からの怒号なども、日本では許容されないだろう。
この映画を観たイギリス人が、「さすがにちょっと誇張してるけど、ま、大体こんなもんだよね」と感じているのだとしたら、やはり日本とは大きくことなる文化だと感じる。良いのか悪いのかなんとも分からないが、ただ、「この映画で描かれるようなレストランも、人気店になれるほど許容されている」というぐらいの方が、社会がギスギスしなくて良いようにも感じた。
ま、こんなレストランでは絶対に働きたくないけど。
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