【映画】「ロスト・キング 500年越しの運命」感想・レビュー・解説
いやはやまったく、信じがたい、とんでもない実話だわ。昨日観た『グランツーリスモ』も、あり得ない実話を基にした映画だったけど、『ロスト・キング』もマジであり得ない実話だ。
というのも、「ただの会社員女性(HPなどでは「主婦」という言葉が使われているが、なんとなくそぐわない気がするのでこの記事では使わない)が、500年前に亡くなった王リチャード3世の遺骨の場所を探し当てた」というんだから、もはや笑っちゃうような話である。予告やHPなどで「最強の推し活」という言葉が使われているのだけど、ホントこのキャッチコピーは完璧だなと思う。マジで、「究極の推し活」の末に、今まで歴史家たちも探そうとして諦めてきた遺骨を見つけてしまったのだ。
こういうことが起こるから、世の中は面白い。
この映画、冒頭で「Based on a true story(実話に基づく物語)」というお決まりの文句が表示された後、「Her Story(彼女の物語)」とも表示される。映画を観る前の時点で、「一般市民の女性がかつての王の遺骨を見つける」という概略は知っていたし、大体それぐらいの情報を持って皆映画を観るだろうから、どうしてこんな表記がされるのか、イマイチよく分からなかった。
ただ、映画を最後まで観ると、確証こそないものの、なんとなく「Her Story」と表記した意味が分かってきた。
これを書くと、映画的な意味でネタバレになってしまうかもしれないが、ちょっとこの点には触れておきたい。映画の本筋と大きく関わるものではないので許してもらいたい。それは、「主人公のフィリッパの功績が当初、大学側に強奪されてしまった」からだ。後で詳しく触れるが、少なくともこの映画で描かれている通りだとするなら、リチャード3世の発掘計画の責任者はフィリッパである。しかし、王の遺骨が発掘されるや、大学が「我が大学主導で発掘を行った」と、その成果を横取りしたのである。
まあ、醜いこと醜いこと。
映画の最後に、フィリッパが2015年にMBE勲章を授与されたと表記されたし、サリー・ホーキンスという大女優を迎え入れた映画も作られているわけで、現在ではフィリッパの功績は正しく認められていると考えて良いだろう。ただ、映画の制作側は、そのことをより強調するために「Her Story」と表記したのではないかと想像した。「大学の物語」ではないぞ、と。
公式HPによると、「遺骨発掘後の出来事」については、事実を改変せず、起こったことをそのまま描いているそうだ。つまり、「大学による成果の横取り」も含め、それらはすべて事実というわけだ。学術の世界だから純真だなどと思っているわけではもちろんないが、それにしてもなりふり構わず力で押し切る姿は、やはりとても醜い。
遺骨が発掘されたのは、2012年9月5日。今から10年ほど前の話だ。ホント、つい最近といったところだろう。「王の遺骨」ともなれば、500年間の間にも多くの研究者がその場所を探そうと考えただろう。事実、映画に登場する専門家たちは、フィリッパの行動に対して「無理」「不可能」「干し草から針より難しい」と散々な反応を示す。「無理だと思いこんでいた」みたいな可能性もあるだろうが、少なくとも研究者としては、「リチャード3世の遺骨探しなんかに手を出して一生を棒に振るわけにはいかない」みたいな感覚もあったのかもしれない。
そう考えると、ホントに、フィリッパが「推し活」をしなければ、遺骨は見つからなかったと考えていいかもしれない。
しかし、疑問に感じないだろうか? リチャード3世は「王」だったのに、どうしてきちんとした形で埋葬されていなかったのか、と。僕は歴史には詳しくないが(学生時代は、日本史も世界史もまともに学んだことがない)、映画を観て理解した限りのことを書いてみよう。
リチャード3世は、ヨーク朝の国王だったのだが、1485年にボスワースでテューダー家のヘンリーと闘い戦死した。そしてそこから、テューダー朝が始まったそうだ。ヘンリーからすれば、「リチャード3世は悪い人物であり、だから打倒したのだ」という風に見せるのがその後の政治的にもいいだろうし、だからこそリチャード3世についてもきちんとした形で埋葬することがなかったのだろう。
さて、高校の世界史の授業などで「リチャード3世」について扱われるのかどうか僕は知らないが、恐らく日本ではさほど有名な人物ではないだろう。しかしイギリスではよく知られている。王だったのだから当然と感じるかもしれないが、どうもそれだけではなさそうだ。シェイクスピアがリチャード3世を描いた戯曲を残していることも、その存在が知られている理由だと思う。
ただ、リチャード3世は「悪い人物」として描かれている。その理由は先程示した通りだ。テューダー朝に都合の良いように書かれた資料が多く残っているためである。シェイクスピアがリチャード3世について書いたのは1593年。同時代の人ではないこともあり、やはりテューダー朝が残した資料からリチャード3世について描いたのだろう。
リチャード3世については、「背中に醜いコブがあり、王位継承権を持つ甥2人を殺害した、王位簒奪者」というのが、イギリス人の(あるいは世界の)認識であるようだ。そしてこのような「悪評」が信じられている状況こそ、フィリッパの「推し活」を加速させることになった要因でもある。
つまり、「リチャード3世は良き王だったし、王位簒奪者でも無かった」と彼女は考えているのだ。そして、そのことをどうにか示したいという一心で、誰にも頼まれていないのに遺骨探しに没頭するのである。
公式HPには、「英国史上もっとも冷酷非道な王として知られるリチャード三世」「誰しもが『あのシェイクスピアが言うんだから間違いない』と思い込んでいた英国王室の歴史を覆した」と書かれている。実際、発掘から6年経った2018年、王室はリチャード3世を「王位簒奪者ではない、正当な王だった」と認めたそうだ。そこにも、フィリッパらの強力な働きかけがあったという。
ホント、知れば知るほど「とても現実に起こったこととは思えない、ぶっ飛んだ話」にしか思えない。
さて、フィリッパがリチャード3世の遺骨探しに没頭した背景がもう1つある。持病の筋痛性脳脊髄炎(ME)である。映画ではどんな病気なのか詳しく触れられていないが(持病のせいで体調が悪くなるシーンは幾度か描かれる)、調べてみると「全身の倦怠感、強度の疲労感、抑うつ症状」などが出るそうだ。原因不明、治療法も確立されておらず、健全な社会生活を送るのに困難をもたらす病気だそうだ。映画では、「ストレスを感じると悪化する」とも説明されていた。
映画の冒頭、会社員として働くフィリッパが、あるプロジェクトチームに選ばれないという場面が描かれる。フィリッパは当然名前を呼ばれるものと思っていたのだが、最後に名前を呼ばれたのは入ったばかりの新人だった。上司に掛け合うも暖簾に腕押し。彼女は自身の持病について上司に伝えており、この病気のせいで正当に認められないのだ、と考えている。
そしてだからこそ、「背中に醜いコブがあった(シェイクスピアがそのように描写しているらしい)」というリチャード3世の境遇に、自分を重ねているのだ。映画の中で、リチャード3世の功績についての小ネタが挟み込まれるが、「『疑わしきは罰せず』の原則の導入」や「印刷機が『悪魔』と考えられていた時代に印刷機を導入」など、「もっとも冷酷非道」という印象とは違う側面も見えてくる。しかし、シェイクスピアの描写と、「醜いコブがあった」という情報から、「どうせ悪いやつだったんだろう」みたいな捉えられ方になってしまっている。
そんなリチャード3世の評判をひっくり返すことは、自分が置かれている状況を覆すことにも繋がるのではないか。なんとなく、そんな希望も込めつつ遺骨探しに励んでいるように見えた(少なくとも、映画の中では)。映画では、フィリッパの家族の話も描かれるのだが、子育てを共同で行っているものの夫とは離婚しており、子どもたちもゲームに夢中で母親を「イカれ女」と呼ぶ始末。会社でも評価されず、持病も抱えている。そんな状況にあったからこそ、悪く捉えられているリチャード3世の名誉を回復させたいという想いは一層強くなったのだろう。
それにしても、リチャード3世の遺骨発見に至るまでの展開は、ムチャクチャの連続である。映画の核となる部分なのでこの点にはあまり触れないが、印象的だったのは、「専門家の主張に『NO』と言っている姿」である。映画の中で、幾度かそのような状況が描かれる。
何度も書くが、フィリッパは単なる会社員であり、リチャード3世に興味を持って勝手に調べているだけの「素人」である。もちろん、遺骨探しの過程で、本を読んだり専門家の意見を聞いたりしてちゃんと調査は行っている。しかし、最終的に彼女を突き動かしているのは「直感」だ。証拠も根拠も何もない、「なんとなくそう感じるんです!」という強い想いしかない。
映画では中盤ぐらいの段階で、「リチャード3世の遺骨は、社会福祉課の駐車場にあるのではないか」と示唆される。一応、フィリッパなりの根拠はあるのだが、言ってしまえば「直感に導かれてやってきた」だけである。ちなみにある場面でフィリッパは、彼女に協力を申し出る女性から、「あまり感情の話をしない方がいい」と忠告を受ける。「女はそれでバカにされるから」と。
さて、問題はここからだ。社会福祉課の駐車場は当然、公共の空間である。フィリッパが勝手に掘るわけにはいかない。というか、コンクリート舗装されているのだから、そもそも勝手に掘ることなど出来ない。だから、「許可」と「資金」を得る必要がある。
しかし、フィリッパには「直感」しかない。その状況で、いかにして発掘計画の実現まで漕ぎ着けるのか。この点もまた、映画の見所である。
さて、映画の中でもう1つ、「なるほど」と感じさせる指摘があった。発掘計画をプレゼンする過程で、「誰かの骨が見つかったとして、それがリチャード3世のものであるとどう判断するのか?」である。確かにその通りだ。500年前に亡くなった、まともに埋葬さえされなかった、「もっとも冷酷非道と呼ばれた王」の遺骨かどうかなど、科学的に断定出来るのか。この点についても映画ではきちんと描かれていて、色んな要素がきちんと絡まり合って実現した話なのだなぁ、と感じた。
映画的な演出として興味深いのは、「リチャード3世」が映画に登場することだろう。フィリッパの「幻影」として現れ、会話も交わす。「推し活」を推し進めるフィリッパの情熱を描くのに、非常に分かりやすい演出だったと思う。また、本名なのだと思うが、登場人物の中に「リチャード」という名前の者がいて、そのせいでややこしくなる場面もあって面白かった。
さて最後に。どうでも良い話だけど、僕は、主演のサリー・ホーキンスの「顔」が好きなんだよなぁ。僕は普段、あまり人に対して「顔が好き」みたいな感覚を抱かないのだけど、韓国女優のペ・ドゥナと、今回のサリー・ホーキンスは、とても「顔」が好みである。略歴を観て「『シェイプ・オブ・ウォーター』の人か!」と思ったけど、僕の中では割と、主演ではない役で出ている印象が強い。最近では、『スペンサー ダイアナの決意』に出てて、「やっぱりこの人の顔はいいなぁ」と思った。
まあ、「顔」の話はマジでどうでもいいが、とにかく凄まじい実話を基にしたメチャクチャ面白い物語である。これ以上の「推し活」は、今後現れないだろうなぁ。