【映画】「ベネデッタ」感想・レビュー・解説
なるほどなぁ、やはりこういう映画を観るには、多少なりともキリスト教の知識がないとダメだろうなぁ、と思う。最終的には、「なんとなく何が描かれているのか(何を描きたかったのか)が分かった感じ」にはなれたけど、映画の中盤を過ぎた辺りでも、「何に焦点が当てられているのか」がイマイチよく分からなかった。
実話に着想を得た物語である。公式HPを見ると、17世紀に行われた修道女の裁判記録が元になっているそうだ。「着想を得た」という表現は恐らく、「裁判記録からはわからない部分は創作で埋めた」ということだと思う。
そもそも、この話がキリスト教の世界でどの程度知られていることなのか、それがわからない。僕はなんとなく、「キリスト教徒にはよく知られた話」なのかと思っていた。しかし、公式HPの監督のメッセージを読むと、少なくとも監督は、その裁判記録を見つけるまで、この話を知らなかったそうだ。となればもしかしたら、欧米でもさほどメジャーな話ではないのかもしれない。
また、これは僕の知識の無さの現れだが、「修道院」という存在の目的が結局良くわかっていない。冒頭で、6歳のベネデッタが両親に連れられてテアティノ修道院にやってくる場面が描かれる。そもそも僕は、「世を捨てた女性が出家する」みたいなイメージを持っていたから、幼い子供がやってくることもあるんだと驚いた。しかも両親が連れてくるのだ。またどうやら、修道院に入るにはお金が掛かるらしい。まあ、確かに生活を成り立たせなければならないから、何らかの形でお金は必要だが、なんとなく「キリスト教の本体」からお金が出てるみたいなイメージでいた。映画を見る限りは、修道女自身やその家族からの持参金や寄付みたいなものでなりたっているようだ。
みたいな感じで、そもそも「修道院」の存在がよく分かっていなかったから、物語全体の捉え方もなかなか曖昧になる。ベネデッタは、6歳の時点で既に、聖母マリアに熱心に祈りを捧げる感じだった。とても篤い信仰心を持っているようだ。そして冒頭では、「キリストの妻」みたいな表現も出てきたように思う。「修道女の中から、キリストの妻候補が選ばれる」みたいな解釈をしたのだけど、そういう感じなんだろうか?
やっぱり、ある程度はそういう知識がないと、余計な思考が混ざって、物語を上手く捉えきれない。僕としては、観るのにちょっと知識を必要とする映画かなと感じた。
もう1つ、これは映画を観る上で致命的だったなと思うのが、「ベネデッタの熱情みたいなものを上手く捉えきれなかったなぁ」というのがある。つまり、「ベネデッタは何故あそこまでの行動を取って、『自分は○○である』という事実にこだわったのか」という部分が、上手く理解できなかった。
それは要するに、「修道院にいる女性たち(あるいは男性も?)は、皆ベネデッタのような熱情を持っているのか?」という疑問に集約される。修道女たちの中で、特別強い思いを抱いていたのがベネデッタだったということなのか、あるいは、他の修道女とはまったく一線を画す熱情をベネデッタが持っていたのか。それによって物語の捉え方が大きく変わるなぁ、と思う。
前者であれば、物語はとても分かりやすい。つまり、「どんな手を使ってでも、この中で圧倒的なトップに立ってやる」みたいな動機になるからだ。しかし後者だとした場合、「じゃあ何故ベネデッタは、そのような強い熱情を抱いたのか?」ということになる。まあ、もちろんそれもなんとなくは分かるが、しかしこの点も、自分の知識不足によって理解が届かないところであるように感じた。
どうでもいいけど、シスター・フェリシタが、倍賞美津子みたいだなぁ、と思いながら観てた。