【映画】「かくしごと」感想・レビュー・解説
僕は、法律が変わるべきだとは思わない。もちろん、「より良くなる方向に変わってほしい」とは思っているが、しかし、本作の主人公・里谷千紗子が救われるような形の法改正はまずあり得ないだろう。それは、仕方ないと思う。
ただ僕は、個人的に、「里谷千紗子は正しいことをした」と思いたい。法律がそれを許さないことは分かっているが、法律を超えたところで「あなたは正しかった」と言える人間でありたい、と僕は思う。
そういう人がいなきゃ、救われない人間が山ほどいるだろう。
あともう1つ。これもよく考えることだが、僕は「家族」という言葉がもっと緩んだ概念であってほしいと思う。こちらについても当然、法律の世界は厳密さが要求されるわけで、法律の世界での変化を求めているわけではない。ただ、法律はともかくとして、僕らが日常会話の中で「家族」という単語を使う時ぐらいは、もっと幅の広い概念であってほしいな、と感じてしまう。
昔、『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』という本を読んだことがある。「特別養子縁組」の仕組みを国に作らせた菊田昇を扱った作品だ。彼は産婦人科医であり、「望まれずに生まれてきてしまった赤ちゃん」を殺さなければならない状況に憤りを覚えていた。当時は、医師が赤ちゃんの息の根を止めるのが一般的だったのだ。そして、そんな現状はおかしいと考え、法律違反になると分かっていながら、「望まれずに生まれてきてしまった赤ちゃん」を「望んでも子どもは持てない家族」に融通するという活動を始めた。彼のその決断に、彼が働く病院の看護師も協力し、さらに国全体を巻き込んだ議論を展開させ、最終的に「特別養子縁組」というルールを作らせたのだ。確か、彼は逮捕されなかったのではないかと思う。明らかに法律に違反していたにも拘らず、だ。
それが必要なことだと、誰もが分かっていたからだ。
そして、規模も状況も何もかも違っていることが分かった上で書くが、里谷千紗子がしたことも、菊田昇の行動とそう大差はないように僕には感じられる。もちろん、法律に違反している。しかし、その行動は正しかったのではないか? 少なくとも僕は、「菊田昇」という前例を知っているため、「里谷千紗子は正しかった」と考えたくなってしまう。
厳密な法律を作り運用しなければトラブルは解決出来ないし、だから法律はそのようなものとして存在すべきだとは思う。しかし、当たり前の話ではあるが、法律はすべてを解決するわけではない。「法的にはこれを解決と見做す」とされているだけであり、それは、関係者の納得をもたらすような「解決」と程遠い可能性もある。
みたいなことを、改めて考えさせられた。
物語は、作家である里谷千紗子が、山奥に1人で住む父親の元へとやってくるところから始まる。千紗子としては縁を切ったつもりの相手であり、久々の再開だ。しかし、父親は千紗子のことを覚えていなかった。認知症なのだ。千紗子がここにやってきたのも、「全裸に近い格好で徘徊していた」と聞いたからであり、彼女は介護認定が下りるまで父親の介護をし、それから東京に戻るつもりでいる。
そんなある日、市役所の福祉課で働く旧友と飲みに行った帰り、思いがけず少年を家に連れて帰ることになった。少年は記憶を失っており、自分の名前も分からないようだった。着替えさせている時、少年の身体からは虐待の痕が見つかる。その後、いくつかの状況を理解したことで、千紗子はこの少年のことを「自分の息子」だと偽って育てることに決めたのだが……。
本作を観た誰しもがきっと、「自分だったらどうするだろう?」と考えてしまうだろうと思う。しかも、里谷千紗子の立場だけではなく、作中の様々な人の立場でそんなことを考えてしまうはずだ。そして、正解は出ない。何故なら、正解など存在しないからだ。いや、すべてのきっかけとなった「事故」に関しては、正解はあると思う。そして、そこで正解を選ばなかったからこそ、本作のような事態が展開してしまったのである。
特段「これ」という何かがあったわけではないのだが、杏・奥田瑛二の演技は良かったし、あと酒向芳の演技が素敵だった。あと、監督の「関根光才」って字面には見覚えがあるなぁ、と思っていたのだけど、ドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』の監督だった。そうか、ドキュメンタリーもフィクションも両方やる人なのね。
物語のラストシーンが、とても印象的だった。そして、だからこそ、そこで映画が終わったことは大正解だと思うのだが、それとは別に、法律がどのような判断を下すのかは知りたいなと思った。