【映画】「ウクライナから平和を叫ぶ」感想・レビュー・解説
面白かったか面白くなかったかで言うと、あんまり面白くはなかった。ただ、この感想は良くないなぁ、とも思う。
「戦争」と聞くとどうしても、「戦場」がイメージされる。「戦う者たちの物語」だと思ってしまう。
しかし当然、「戦争」には、「戦わない者たちの物語」もある。この映画は、そちら側を切り取っている。
映画の冒頭で、2013年9月に端を発した、ウクライナ国内の「ルハーンシク州」と「ドネツク州」にいる新ロシア派が分離共和国を宣言するまでの流れがざーっと文字で説明される。早すぎてメモもなかなか追いつかなかったが、とにかく、「ウクライナ国内に、『ウクライナから独立したと宣言する地域』が存在し、ウクライナと対立を続けている」というわけだ。この辺りのことは、2022年のウクライナ侵攻の経緯にも関わってくる。
僕は、2022年のウクライナ侵攻について、このような理解をしていた。ロシアは、ルハーンシク州とドネツク州から「独立の支援してほしい」という要請があり、それに応える形で、その2州の独立を実現する「特別軍事作戦」を行っている、と主張している。そして、この主張を僕は「方便」だと思っていたのだ。ロシアがウクライナに侵攻する口実に過ぎないと。
しかしこの映画を見ると、必ずしもそうとも言い切れないように思う。映画では、ドネツク州に入り込んだ写真家(監督)が、市民に話を聞きながら写真を撮っていくのだが、ある女性が、「ウクライナに住むなんて信じられない。統一なんて絶対に無理」と、かなり声高に主張していたのだ。
もちろん彼女の主張は「一市民」のものに過ぎず、ドネツク州に住むすべての人が同じ意見だと思っているわけではない。しかし同時に、彼女の主張は、「一部の過激派だけの主張ではない」ことも意味している。ドネツク州において、「分離独立派」がどの程度支持を集めているのかは不明だが、少なくとも「少数派」というような規模ではなさそうだ。
となると、ロシアがいう「2州の独立支援のための特別軍事作戦」という名目も、決して「机上の空論」ではないのだという感じがしてくる。いや、だからと言って、ウクライナ侵攻を肯定するなどと主張するつもりはないのだが、映画を観てその辺りの理解が少し変わったような感じがした。
しかし、ここまで書いたところでこの映画の感想をチラ見してみると、どうやらドネツク州やルハーンシク州では「思想統制」が行われているとかで、「本心を口にすることが難しい状況」であるようだ。なるほど、確かにそれはそうだろう。だとすれば、先程紹介した「統一なんて絶対に無理」と強く主張していた女性の話も、受け取り方を考え直さなければならないかもしれない。非常に難しい。
映画では主に、「2015年のドネツク州」と「2016年のウクライナ」が描かれている。この映画の監督は、スロバキア人の写真家であり、2010年から旧ソ連の国々を巡って、ソ連解体後の貧困の中で生きる人々の姿を写真に収めてきた。2013年に内戦が始まり、ルハーンシク州とドネツク州には「国境」のようなものが設定された。2015年時点では、その「国境」を通り抜けることはさほど難しくなかったようだ。監督も、割とすんなりドネツク州へと入り込み、普通に市民に話を聞くことができている。
しかし2016年になると、監督はドネツク州に入れなくなった。なんと、「NATOジャーナリスト プロパガンダ担当」と登録されてしまっているようで、「国境」で足止めされてしまったのだ。そこでそのまま、ウクライナに住む人々に話を聞くことにした、という流れのようである。
これは僕の問題だが、正直なところ、カメラの前で語る者たちの話に、あまり関心を持つことができなかった。良くない。たぶん、もう少し真っ当な人間的感覚を持っていたら、共感なり同情なり憤りなどを感じると思うのだが、僕はちょっとその辺りの感情の動きが乏しかった。
この映画でのインタビュー映像は、いわゆる「バズる映像」ではない。生々しい、リアルな映像であることは間違いないが、しかしだからと言って、多くの人が見て「シェアしたい」「多くの人に見てほしい」と感じるようなものではない。そこが、情報の難しさだと感じる。
真実味が薄く情報としての価値が高くないのに「バズる」ものもあれば、リアルで生々しく情報としての価値が高いと言えるのに「バズらない」ものもある。そしてどうしても、前者の「バズる情報」ばかり僕らの元に届くことになるので、僕たちは「バズる情報」を基準に情報の良し悪しを決めてしまいがちだ。
たぶん、そんな判断になってしまっているからこそ、この映画で映し出される映像に「ピンと来ない」と感じてしまうのだと思う。本当なら、この映画で語られる話にこそ、僕たちは強く反応しなければならないと思うのだが、なかなかそうはならない。そういう難しさを感じてしまった。
いずれにしても、現在のウクライナ侵攻が唐突に起こったものではないということが改めて理解できたような気がするし、ウクライナ内部にややこしさの火種が残っているという事実は、戦争の終結の難しさを示唆しているように感じられた。