【映画】「ノーヴィス」感想・レビュー・解説
なかなか狂気的な映画だった。
冒頭からずっと不思議だったことがある。主人公のアレックス・ダルが何故、狂気とも言えるような凄まじい練習に没頭するのか、である。彼女は、過酷な練習で知られる大学の女子ボート部に入部する。新入生説明会に遅れてやってきた彼女は、コーチのピートの「一人前に漕げるようになるには1万時間掛かる」という話を聞きながらぼんやりしている。だから、「どうして入部を?」というコーチの問いかけに気づかなかった。
他の新入部員は、「奨学金のため」「友達が出来るかなって」みたいなことを答えるのだが、アレックスは少し逡巡する。そしてその間に上級生たちがやってきて、アレックスへの問いかけは有耶無耶になってしまう。
そしてそれから、アレックスは凄まじい練習を重ねていくことになる。「奨学金のため」と答えた新入生ジェイミーは素質があるようで、コーチにもその才能を褒められている。タイムも、アレックスより良い。だから彼女は、ジェイミーに対抗心を燃やしている。
確かにそれも、「膨大な練習量」の動機の一因ではあるだろう。しかし、どう考えてもそれだけではない。彼女は、コーチたちから「ゆっくり休め」「すぐには上手くはならない」「頼むから休んでほしい」と言われても練習を止めず、「試験期間中は練習をしない」という大学のルールを破ってトレーニングを続ける。果ては、ボートをしまっている艇場の近くに住むコーチ・エドワードに頼み込み、朝5時からシングル艇に乗り込んで、9時半開始の授業ギリギリまで練習しているのだ。
まさに「常軌を逸している」と言っていいレベルだろう。
そして本作が実に奇妙なのは、「彼女がそれほど自分を追い込む、その動機が、全然描かれないこと」である。
本作は、映画『セッション』などで音響に携わったローレン・ハダウェイの初監督作品だそうで、そして本作の内容は彼女の実体験をベースにしたものだそうだ。その事実は鑑賞前から知っていた。そしてだからこそ余計、「これほど自分を追い込むには、何か理由があるはずだ」という感覚を持ちながら観ていた。にも拘らず、それが一切描かれないことがとにかく異常に感じられたのである。
そして少しずつではあるが、アレックスの中の何がそうさせるのかが描かれるようになる。ただそれは、理解が及ぶようなものではない。恐らく世の中の大半の人には共感できないんじゃないかと思う。
そして、そんな「共感を寄せ付けないだろう主人公」を中心に据え、展開的にも「共感」など全無視したような物語を作り出し、それでお金を集めて映画を作ったというのがなかなか凄いことだなと思う。
そんなわけで、アレックスはそんな共感できない主人公なわけだが、しかしそれでも、アレックスの必死さにはどこか惹かれるものがある。彼女が何に追い立てられているのか、あるいは、彼女が何を追い求めているのか、それは判然としないながらも、「人間に、ここまでの努力が出来るものなのか」と感じさせられた。
同じような感覚を昔、あるノンフィクションを読んでいて感じたことがある。『一投に賭ける』という、元やり投げ選手・溝口和洋を扱った作品だ。覚えているのは懸垂の話。普通に懸垂しているだけではダメで、「握力も腕力もなくなって、鉄棒を掴めなくなってからが勝負」みたいなことが書かれていた。しかし、鉄棒を掴めなかったら懸垂など出来ないだろう。じゃあどうするのか。彼は、布か何かで手と鉄棒を結び、その状態で無理やり懸垂を続けたという。今まで色んなアスリートのノンフィクションやドキュメンタリーに触れてきたが、彼ほど「やべぇな」と感じさせる練習をしている人はいなかったように思う。
そして、本作『ノーヴィス』にも近いものを感じた。本作はフィクションなわけだが、監督の実体験が元になっているらしいので、監督が実際にこういう経験をしたのだろう、きっと。ちなみに、先程名前を出した映画『セッション』も、アスリートではないが音楽学校を舞台にした「メチャクチャ追い込む」舞台設定の物語で、近いものがある。
ただ、映画『セッション』では「他者から追い込まれる」のだが、本作『ノーヴィス』では「自分で自分を追い込む」のである。前者の場合、「どうしてそんな状況に耐えるのか?」が焦点になるわけだが、後者の場合はやはり「どうしてそんなに追い込むのか?」が気になるところである。そして、それをしばらく伏せたまま物語を描いていくのだから、まあ変な話である。
とても印象的だったのが、アレックスが「みんな私に『肩の力を抜け』って言う!」と怒鳴っていたシーンである。客観的には変なシーンだ。どう考えても、「『肩の力を抜け』と言われてキレているアレックス」の方がおかしい。ただ本作では、それまでずっと「理由も分からないまま超人的に自分を追い込み続けるアレックス」を観させられてきたので、このシーンでむしろ「なるほど」みたいな納得感さえ生まれたりする。
同じようなシーンとして、親しくなったある人物から「辛そうで観てられない」と言われた時に、「だったら見ないで!」と、こちらもキレ気味に返していた場面がある。これもどう考えても、アレックスの常軌が逸している。しかしこちらも、「確かにアレックスの立場に立てば『見ないで!』が正解かぁ」という、妙な納得感がもたらされたのである。全然共感できないはずの主人公なのに、彼女の狂気的な努力を観させられたからだろう、観ている側はいつの間にかアレックス視点で状況を捉える感覚になってしまうのかもしれない。
さて、そんなアレックスを演じたのはイザベル・ファーマンという女優だそうだ。公式HPによると、「撮影前の6週間、毎朝4時半に起き、1日6時間の水上トレーニングを行って、過酷な撮影に耐えられる精神と肉体を手に入れた」という。役者というのは本当に大変な職業だなと思う。
ただ、なんとなくの勝手な想像ではあるが、役者を含めたアーティスト側の人間はもしかしたら、アレックスに共感できたりするのかもしれない。アーティストというか、クリエイターというか、とにかく「『ここで終わり』という区切りが『締め切り』以外に存在しない世界」で生きている人の場合は、アレックスのようになってもおかしくないだろう。イザベル・ファーマンがどんな女優人生を歩んできたのか知らないが、ハリウッドで女優として成功するのは並大抵なことではないだろうし、「4時半起きで6時間の練習を6週間」という過酷なスケジュールをこなせた彼女もまた、アレックス寄りなのかもしれない。
さて、観ている間は全然気にしていなかったのだが、本作には男の登場人物は1人しか出てこなかったように思う。女子ボート部が舞台なのだから別に不自然ではないが、ここまで極端に女性だけの世界が描かれるのも珍しい気もする。そしてその上で本作は、全然「女の世界」という感じではない。もちろん「女性特有の陰湿さ」みたいなものは含まれていると思うのだが、それ以上に「アレックスの異常さ」の方が勝っているために、それが全然目立たない。
さて、あと1つ書くことがあるとすれば、「チームスポーツであることの難しさ」が挙げられるだろう。
本作では、1人乗りのシングル艇も出てくるが、複数人(10人弱ぐらいだろうか)で1つの艇を漕ぐものもある。そしてその場合はやはり、いかに皆でタイミングを合わせられるのかが重要になってくる。
そして本作では、殊更にそのことがクローズアップされるわけではないが、「個の能力を最大限に高めることで全体に寄与しようとすること」と「協調性も発揮しつつ全体に寄与しようとすること」が対比されている。もちろん、アレックスは前者である。
アレックスに「全体に寄与しようとする意思」があるのかはちょっとなんとも言えないところではあるが、彼女だってさすがに「チームプレイは重要」という意識ぐらいはあるだろう。ただそれでも彼女は、「個人の能力を上げれば、それが全体のプラスにもなる」と考えて突き進んでいるように見える。サッカーのような、個人技も重要になってくるチームスポーツでは、確かにそういう側面もあるかもしれない。
しかしボートの場合は、「全員が同じタイミングで力を加えること」が重要なわけで、個の能力の重要性もさることながら、やはり「協調性」も重要になってくる。
そういう意味で、タイトルの「ノーヴィス」が利いてくるといえるだろう。
公式HPによると、「ノーヴィス」というのは「新入り、初心者」という意味らしいが、スポーツの世界では「一定のランクに達していない初心者」を意味するのだそうだ。上級生たちが新入生を「ノーヴィス」呼ばわりするのだが、それは単に「新しく入った者」という意味ではなく、「私と比べて劣るお前たち」みたいなニュアンスが含まれているというわけだ。
そしてそんなことを言ってくる先輩と協調しなければならないのである。
アレックスには「努力しさえすれば何とかなる」みたいな感覚があり、その価値観をベースにひたすら自分を追い込んでいるわけだが、「協調性」においては「努力しさえすれば何とかなる」ものでもないだろう。特に女性同士の世界では、男には分からない微妙な感覚があるようにも思う。そういう環境においてはやはり、ノーヴィスは「失敗した」と言わざるを得ないだろう。
ただ、ラストシーンを踏まえると、アレックスとしてはそれで良かったという感じもしてくる。つまり、「アレックスは端から『協調性』を発揮するつもりなどなかった」と捉えるのが正解なのかもしれない。なかなか特殊な価値観を持った人物だと思うので捉えがたいのだが、彼女は彼女なりに満足していたのかもしれない。
いずれにしても、アレックスにはまったく共感できない(そう感じる人が多いはず)ので、そういう意味で「うーん」と感じてしまう人も多いとは思う。それはそれで、捉え方としては正しいと思う。僕としても「メチャクチャ面白かった」とはならなかった。ただ、なんとも言えない奇妙な魅力があり、惹きつけられたまま最後まで観てしまったこともまた確かである。実に変な映画だと思う。