【映画】「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」感想・レビュー・解説

個人的に一番興味深いと感じたのは、ラオスのムラブリ族に、タダで米をあげるオバサンだ。

タイとラオスにまたがる森に、狩猟採集民族として長く暮らしていたムラブリ族。彼らは最初、1936年~1937年にかけてベルナツィークという西洋人が初めて発見し、『黄色い葉の精霊』という本にして紹介した。その後80年代にタイで”再発見”されたそうだ。ラオスにもムラブリ族が住んでいるという噂は兼ねてからあったそうだが、そのラオスのムラブリ族に世界で初めて接触し、初めてカメラに収めたのがこの映画なのだそうだ。

この映画は、人類学的にもかなり貴重な資料と言っていいのだと思う。

で、オバサンの話だ。タイとラオスではムラブリ族の生活形態は異なるのだが、ラオスのムラブリ族(15名程度しかいないそうだ)は、今も森の奥で暮らしている。ただし、「少数民族」と聞いてイメージするような、裸に近い格好で槍のようなものを持っているスタイルではない。どこから手に入れているのか洋服を着て、ペットボトルやビニール袋に水・食料を入れ、鉄製の鍋で食事を作る。スマホで写真を撮ったり、イヤホンで音楽を聞いている者もいた。

森の中で生活しているのに、どうしてそんなモノが手に入るのか。それは、森を下ったところにある村とのやり取りがあるからだ。

しかし、ムラブリ族とこの村の関係性が、なかなかに不思議なのだ。

ムラブリ族の中には、この村に作ったモノを売りに来る者もいる。つまり、物々交換というわけだ。しかし中には、何もせず、何も支払わず、何とも交換せずにただ米を持ち帰るムラブリ族もいる。

映画に出てくる人類学者も不思議に思い、「どうして彼らの面倒を見るの?」と聞くが、上手く答えは返ってこない。映画後のトークショーでは、「何度か同じような質問をしたが、『それが当たり前のことだ』『私たちは持っているのだから、持っていない方にあげるのは当然だ』みたいな感じでよく分からなかった」と語っていた。

この点について、この映画の監督は、「個人所有という概念がどうやら無いみたいだ」という話をしていた。

なるほどなぁ、という感じがした。「個人所有という概念が無い」という感覚そのものを上手く捉えきれるわけではないが、しかし、そういう前提でこの場面を観ると理解はしやすくなる。

僕たちは、「それは誰のものなのか?」という考えがあまりに当たり前すぎて、普段意識することさえない。地球上に存在するもので「誰のものでもない」のは、「大気」ぐらいではないだろうか。「空」は「制空権」という形で国家がなんらかの権利を持っているが、「大気」は誰かのものではないだろう。そして逆に言うと、「大気」以外は個人・組織・国家が所有していると言っていいだろうと思う。

しかしラオスのムラブリ族も、彼らが森から下りて関わりを持つ村の住民も、「それは誰のものなのか?」という概念がない(あるいは薄い)。だからムラブリ族は、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言わずに、それが当然のことであるかのように米を持ち帰るそうだ。そして村のオバサンも、それに対して違和感を覚えているようには見えない。

こんな風に、疑いの目を向けることさえない「当たり前」を根底から覆し、解体してくれるという意味で、非常に興味深い映画だと感じた。

トークイベントには、社会学者の宮台真司も来ていた。彼が「定住者は非定住者を差別する傾向にあるが、ムラブリ族はどうなのか?」と人類学者に質問をする。タイ側のムラブリ族にはそのような差別が見受けられるそうだが、ラオス側にはあまり見られないという話をしていた。そしてその後、上述の「個人所有」の話が出るのだが、改めて宮台真司が、「定住者が非定住者を差別するのは『所有』という概念を持たないからだ」という通説に触れ、「所有の概念が薄いラオス側では非定住者に対する差別が存在しないのか」と、その定説の裏付けに感心していた。

そんな宮台真司は、「こんな人類学的ドキュメンタリーは観たことがない」と言っていて、なるほど、割と広範な知識を持つだろう宮台真司でもかなり普通ではないことをしているのだなと感じた。

そもそも、この映画が撮影されることになったきっかけも凄い。監督の金子遊が、ベルナツィークの『黄色い葉の精霊』を読み、ムラブリ族に興味を持った。そこでカメラを持って現地入りしたら、そこにたまたま日本人の人類学者が住み込みで調査を行っていたというのだ。

伊藤雄馬というその人類学者(言語学者)は、6ヶ国語を操り、日本語の次にムラブリ語が得意というなかなかの人物だ。彼は、タイ北部のフワイヤク村にあるムラブリ族のコミュニティに入り込み、「ムラブリ語の方言の差異を研究」という、マニアックなことをやっていた。そこに金子遊がやってくる。伊藤雄馬は、「タイのムラブリ族は、ラオスにいるらしいムラブリ族を『人食い族』と恐れてる」というような話をし、そんな面白い状況があるなら映画にしようと、出会って1日で企画が決まったそうだ。この時点では、ラオス側のムラブリ族は、その存在が噂されているだけで出会えていなかったのだが、その後金子遊と伊藤雄馬はラオス入りし、どこか森にいるはずのムラブリ族を探す。結果的に見つけることが出来たが、彼らは常に森を移動しており、定住しない。遭遇できたのは偶然だと言っていいだろう。

さて、タイのフワイヤク村の話に戻そう。ここには400人のムラブリ族が定住生活を行っている。元々森で狩猟採集生活を送っていた彼らだが、今は森から下りて、モン族の畑を手伝うことで生活している。彼らの話しぶりからは、少し前までは森にいたことが伺える。実際に金子遊が、「森に住んでいた頃の生活を再現してもらえないか」と頼んでやってもらっている。普段着ている洋服を脱いで腰巻きだけの格好になり、竹の先につけた刃先のようなもので地面を掘りクワイというイモを探す。「よく焼かないと痒いんだ」とクワイを焼きながら話をし、ナイフを上手に使ってクワイの皮を剥いて食べていた。

映画の中では、タイ側のムラブリ族に対して、「今の定住生活がいいのか、あるいはかつての森での狩猟採集生活がいいのか」というような質問はなかったし、そんな話にもならなかったように思う。ただ最初の方に、「村の方が暑い(森の方が涼しい)」「雨季は逆に村は寒い」と言っていて、もちろん慣れの問題はあるだろうが、森での生活の方が良かったことを示唆する発言もあった。しかし逆に言えば、その程度と言える。

印象的だったのは、タイ側とラオス側のムラブリ族を伊藤雄馬の仲介で会わせた際、タイ側のムラブリ族の老人が口にしていたこんな言葉だ。

【今はモン族の仕事を手伝って、暮らしぶりは良くなった。ただ、ムラブリ語を使う機会が少なくなっている。ムラブリ語を話すことだけが、ムラブリ族であることの証だ】

その一方で、ラオス側のムラブリ族に、森の麓にある村で初めて会った際、カムノイという青年(森で生まれたので年齢は分からないらしいが、20~30代だろう)は「ムラブリ語は話せない」と言っていた。伊藤雄馬がムラブリ語で話しかけても理解できなかったのだ。ラオス側のムラブリ族にも当然ムラブリ語を話す者はいるが、徐々にラオス語でのやり取りが増えていったということなのだろう。そのまま行けば、「タイ語しか話せないムラブリ族」と「ラオス語しか話せないムラブリ族」だけになってしまうのだろうか。

映画全体としては、彼らの生活を追ったり、身の上話を聞く場面がメインとなる。飯を作ったり、夫婦喧嘩をしたりと、「人間だよね」と感じる場面が多く映し出される。その中に時折、理解できない違和感が挿入され、それによって、僕たちが「当たり前」だと思いこんでいるものが決して当たり前なわけではないことが示されることになる。

トークショーで宮台真司が、「社会の中で生きるというのは、『ある設定を生きる』ということだが、同じムラブリ族なのに、『人食い』だと相手を怖がる様もまた、設定を生きているということだ」という話をしていた。僕たちは、自分がいる世界の「設定」を当然だと理解しているが、それは決して当たり前ではない。ロシアが(というかプーチンが)ウクライナ侵攻に至ったことに僕たちが違和感しか抱けないのも、プーチンが僕らとまったく異なる「設定」を生きているからというわけだ。

なかなか興味深い映画だった。


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長江貴士
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