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【廃寺宣告】③存続…でも後継者は不在、住職の負担大きく
※文化時報2020年8月5日号掲載の連載記事です。写真は無住職寺院ながら信仰が息づく山口県田布施町の浄土宗蓮池寺です。次回は11月26日にアップ予定です。
山口県田布施町の浄土宗蓮池寺と浄土宗寳樹寺は、無住寺院になっても、地域の人々が守り続けようとしている。浄土宗は住職を置こうとしているが、なり手がいない。関連寺院の僧侶は話す。「すべての責任を負うには負担が大きすぎる」
周りが理解してくれない
地域の人々に「いけでら」と呼ばれ親しまれる蓮池寺は、毎年4月17日の縁日に開かれる観音市で知られていた。観音市は、田布施町のある熊毛郡内で行われる長徳寺市、普賢市と合わせ、「熊毛の三大祭り」に数えられていた。
最盛期には、約50軒の露店が並び、遠方の牛飼いも集まる牛市が行われた。境内は数百人の人々で埋め尽くされた。地元の小学校は、観音市に合わせて授業を午前中で切り上げたという。
蓮池寺は、1024(万寿元)年に創建された七堂伽藍を備えていたが、明治の廃仏毀釈で堂宇が棄損された。数年後に復興されたが、小規模な堂宇を建立するにとどまった。地域の人々は、寺を盛り上げようと考え、1933(昭和8)年に最初の観音市を開催した。
檀家総代の藤山巌さん(82)は「振り袖を身に着けた青少年が、音頭に合わせて行列するのがクライマックスだった。特設の舞台で青年団がタップダンスを披露し、山ツツジが咲き誇る中で大人たちは宴会に興じた」と振り返る。
蓮池寺の観音市では青少年が扮装して行列した
高度経済成長に伴って若者たちが郷里を離れると、観音市は徐々に衰退し、昭和50年代には開催されなくなった。藤山さんは仲間とともに観音市を2003年に復活させたが、09年には見送らざるを得なくなった。老いた体では、思うような運営ができなくなっていた。
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