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読書記録『異常(アノマリー)』エルヴェ・ル・テリエ

はじめに

こんにちは、まるかみふるきと申します。

今日はフランスで110万部以上売れた大ヒット小説、『異常(アノマリー)』について語ります。
はじめに申し上げておくと、筆者は読解力不足や器量の小ささのせいで、この作品を楽しく読むことができませんでした。従って以下に記す文章は、この作品をすでに読んでおり、しかもこの作品が好きだという方には不愉快なものになる可能性が高いため、その点を大目に見ていただければ幸いです。

また、未読の方へ、当記事には作品のネタバレが含まれています。ご注意ください。

作品の評価の仕方は2通りあるといい

小説の面白さを数値化する時に、僕は2つの指標を使って表現してみることが多いです。
ひとつは、「客観的面白さ」で、言い換えれば「他人にオススメできるか否か」。
読み終わった時に、友達にもオススメしたくなるかとか、面白さを誰かに語りたくなるかの度合い。
もう一つは、「主観的面白さ」で、言い換えれば「自分に突き刺さった深さ」。
これはさっきの指標とは違うのかというと、まあ重なり合うことも多いのですが、他人には全然オススメできないけど自分個人にめちゃくちゃ深く刺さった!ということがあると思うんです。それは一般的、大衆的にウケる部分ではなくて、他の人ならなんとも思わずにスルーしてしまうような要素が自分のツボにハマったり、全く同じ経験をしたことがあって思わず感動したりとか、そういうポイントで面白いかどうか。

他人に勧められる度が高い作品は結構簡単に見つかります。みんなが面白いと口にしているものがそれです。割と、自分でも見てみたら面白いと感じる可能性は高いです。
一方、自分に刺さるものを探すのは容易なこっちゃないです。誰も見向きもしないもの、誰も語らないものがそれだったりするわけです。だからたまたま出会うとめちゃくちゃ嬉しい。客観的面白さが高いものと主観的面白さが高いものでは後者の方が遥かに価値が高いかもしれない。「この面白さは俺にしかわからないかもしれない」なんていう作品に出会うために人は読書をするのではないかと僕は思います。そして真に優れた作品というのは、多くの人にそう思わせるものなのだと思います。
という前置きをした上で、この『異常』はどのような評価になるのかというと、

客観的面白さ──★★★(3/5点)
主観的面白さ──★(1/5点)

あれ……?
110万部売れた本と聞くと、相当面白いんじゃないかと期待してしまいますが、実際に読んでみるとピンとこない感じでした。一体なぜなのか。

「なんか楽しめなかったな」という者の視点から、『異常』について語りたいと思います。楽しめた方とは気持ちを共有できない可能性が非常に高いので、そういう方は、すみません。
さて、この『異常』を読み終えてから細部は別にして大まかに感じたのは、この小説にはすごく名作っぽい点とあんまり名作っぽくない点があるなあということでした。
僕は楽しめなかったけど、全部が全部ダメとは思いませんでした。いいところ悪いところがまだらに存在するような印象を受けました。

いいところと悪いところ

まず作品の構成ですが、3部構成になっています。この小説はさまざまな人々に焦点を当てる群像劇的な構成で、第1部は短い章が次々に切り替わっていきます。まずこの第1部がかなり個人的には、うーんというポイント。
第1部の最後で「あること」が判明して、それまでに登場した無関係としか思われなかった人々がひとつの事件に関わっていくということがわかるという。こういう流れはすごくいいですよね。そそりますよね。

ただ、それまでがちょっとキツイ。何故かというと、小説って基本的に読み始めが一番筋力使いますよね。どんな主人公で、何が語られるのかを一つずつ把握して頭の中のテーブルの上に乗せて取りこぼさないようにしないといけない。読み進めていくうちに徐々に知っている人物だけになってストーリーも展開していってどんどんストレスなく読み進められるようになっていく、ということが多いと思います。最初は階段を苦労して登って、あるところからはスイスイ進んでいく滑り台みたいなイメージです。個人的には。

ところが、この小説は、やっと人物についてわかってきたところで、章が変わってしまうんです。そしてまた知らない人物の知らない場所の生活を一から把握しないといけなくなる。で、やっと「こういう人物の話なんだな」とわかってきたところで、何も起こるでもなくまた章が変わってしまう……。

つまり小説の最初のストレスがかかる部分を何度も繰り返す感じです。僕に読書筋力が不足しているせいかもしれませんが、それがちょっときつかったです。いつになったら滑り台を降り始められるのかと。
で、辛いなと思っているところで一部の最後に「おっ!」という展開がやってきて、救いのように思えます。それまでの反動でここがめちゃくちゃ盛り上がります。本の帯に書いてあるようなわかりやすい「面白さ」「意外性」はこの展開のことだけを指しているのではないかと思います。

第2幕でその問題への対応が描かれ、第3幕でそれまでに登場してきた各々のその後が描かれるわけですが、群像劇の面白さというのはさまざまな人物の意図や行動が絡み合って予想だにしない展開をするとか、あいつとこいつが手を組んだり対立したりして問題を解決していくとか、登場人物たちが交差していくとかそういうものだと思うのですが、この小説はそうではありません。さまざまな人々が描かれますがあくまでも個別に描かれます。つまりこの小説の舞台装置である問題に対する複数の個別のケースを取り扱っているだけで、彼らの間には関係性というものはそれほどないのです。そういうわけで群像劇的な面白さには欠けていると感じました。(なんで俺はこんなに偉そうに文句を言ってるんだろう? でもそう感じちゃったのだから記録しておく。)

いいところ悪いところのまだら模様は、例えば優れた文章表現と低俗な政治批判などがそれに当たります。

リモコンが電池切れになると、人はついボタンを強く押してしまう。人間とはそんなものだ。

金槌を手にしていると、しまいにはすべてが釘に見えてしまうものですからね

こういう一文が、凄くいいなと思うんです。場面に即しつつ、普遍的に「確かにそうだよな」と思わせる納得感があって。

一方で、トランプ大統領っぽい人物を登場させて、あからさまに馬鹿にするようなシーンを描くのですが、その露骨さは、正直下品なレベルで、全然面白くなくて、そこがウィットに富んでいたりすればまた違うのでしょうが、単に低俗だなあという感じで、その辺はひっかかりました。

読者が抱くべきではない最低の感想とは何か

小説を読んだ後、面白くなかったなと思ったとする。その時の反応の仕方はさまざまだと思うのですが、例えば怒ったり、こんなもんに時間を無駄にしたと嘆いたり、ありますよね。それはそれで正しい反応だと思います。
僕が思うに、一番最悪な反応は、「こうすれば面白かったはず!」と提案することです。
これは最悪中の最悪で、こういうことを言ってて本当に面白い提案をしている奴を見たことがありません。大概もっとつまらないか、的外れです。仮にその作品がつまらなかったとして、作者には作者の意図があって必然的にそれを描いているので、そこを読者ひとりがこうした方がいいと思っても、仕方がない。

僕は『異常』を読んで、まあはっきり言えばあんまりおもろなかったなあと思ったわけですが、「こうすれば良かった」とかは思いませんでした。
ただ、それでもどうしても言いたいことがあって、それはかつてライムスターの宇多丸氏が『スカイ・クロラ』の映画批評をした際に放った言葉。僕はその評論の仕方が大嫌いだったのですが、今は同じ言葉を言いたい。
「現実世界では起こり得ない問題を勝手に作って勝手に葛藤されたりしても困る」
これもすごくタチの悪い感想の一つです。こんなのは作品の批評をするときに言ってはいけない最たるものの一つだと思います。だって、全ての小説や物語は架空のものごとなのですから。でも、僕はそう思ってしまったのです。

ただ、例えばSFを例にとって自分の感想を擁護すると、SFにおける架空の出来事は、いわば舞台装置なのです。タイムマシンで過去に戻る主人公が描かれていたとして、「タイムマシンなんかこの世に存在しないんだからこの話には価値がない」とはならない。というのは、タイムマシンという舞台装置を通して、我々はより一層、過去を変えられないという事実と向き合ったり、胸に抱えた過去への憧憬や後悔を思い起こす。それは僕たちの心にとって価値のある働きだと思うんです。それに、舞台装置はただの舞台装置で、単にエンタメとしておもろいということでも価値はありますよね。ジェームズ・ボンドがハイテク秘密道具で状況を打開するとき、「そんなもの現実にはないじゃん」とか思わないわけです。
『異常』はその点において、作中の問題がこの世に起こり得ないというのはもちろん、それによって引き起こされる登場人物の精神的な推移さえも、そんなことは現実とはかけ離れすぎてて共感のしようがない、という感じがしました。ただでさえ、各人物の掘り下げがなく、表面をなぞるというか一面的な造形しかないから共感しづらいのに、その上でよくわからない問題と直面してよくわからない反応を示されても、ちょっと困るわけです。

その中でトランプ大統領イジリみたいなおもろないことされると滅茶苦茶気がそがれます。トランプを擁護したいのではないです。SNSレベルのノリの描写して、それ、面白いと思って描いてるの? なぜ、フランスで大ヒットしたのだろう? もちろん、良いものが売れるのではなく、フランスで何万部売れようがそれは作品の面白さを担保しないということは頭ではわかっていたのですが、それにしても、という感じです。

この小説の何が問題なのか? そんなことを一読者が分析してもなにも価値はない。だからあくまでも主観的な感想でしかないのでこの辺にしておく。
したがって、主観的評価は1。
客観的評価については、読むに値しないほどひどいわけでもないし、第1幕の最後に待っている盛り上がりについては確かにおもろかったわけで、客観的評価は3。率先して誰かにお勧めしたいとはおもわない。でも、こんなモン読むなとも言わない。

こんな読書感想文は世に出すべきではないけどさ

本を読んでハマらなかったからってその本の文句を延々書き連ねるなんて、よくないことだと僕も思っている。黙って本を閉じ、次の本をひらけばいい。
ただ、ネガティブな気持ちも僕の気持ちの真っ当な側面の一つなわけで、抑圧して見なかったことにするのもまた、よくないのではないかと思い、わざわざ記録しておくことにした。ごめんなさい。


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