#9 無理して働きながら、帰り道には橋の上にたたずむ日々
こんにちは。気付けばもう9月。再来週にはお彼岸なんですね。今年は・・・というか今年も(?)無職なので、お彼岸の頃にはまた実家に帰ろうかなぁと思っているHaruです。一体どこを本拠として生活していきたいのか・・・暗中模索。五里霧中。とはまさにこれですね。
そんなHaruの振り返りうつ病日記の続きです。たまには明るい記事を書けよって感じですが、それはいつなんでしょうね(;^_^A
今日は無理して働いた結果、崩壊していく私のメンタルがどこまで落ちるのか。。。というまた結構落ちそうな話を書きます。
なので、
==注意:精神疾患と毎日一緒に生きている方で、この振り返り日記を見てくださっている方へ==
今日の日記は「引きずられて落ちてしまいそう」という方はここから先はお控えください。
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当時、私が通勤に使っていたのは、朝はタクシーでした。だって世界が変わったぐらいに「移動」というものが大変だったから。
でも帰りに使っていたのは公共交通機関でした。そして自宅最寄りではなく、いくつか手前の場所で降りては、そこから歩いて帰っていました。なんでわざわざそんなことをしていたのか。
その道すがらに橋があったから。
それだけです。
川の音を聞いて癒されたかったのが始まりのような気もするけれど、どうだったのかな。途切れることのない川の音というのは永遠を運んできてくれて、いつまでたってもそこを離れることが出来ないぐらい、引き付けるものがありました。「終わらない音楽」を聴いているような、ずっとここにいたいというか、そんなことをずっと感じていました。
仕事が終わった夜、それも秋めいてきて暗くなるのも早くなりだしたこんなような時期に橋に寄りかかって川をひたすら眺めてる・・・というか、もう見ていたのかすら分からない、そんな人が長時間いる、おそらくジョギング中の方とか、通行人の方の立場になると気持ち悪かったでしょうね、私。
最初は飛び込んでしまいたいと思っていたんです。どうやったらうまく落ちられるかなって。消えたくて。消えたくて。「砂の城」のようにサーーーっと風に吹かれてなくなっていくあんな風に。一瞬でこの世界から存在が消える。「あれ?Haruって存在してたっけ?気のせい?」みたいな感じに、「消えると同時に相手の記憶からも消える」というのを本当に願っていたし、「そんな方法はないものか」と考えてばかりで、とにかくずっと消えたかった。
「死にたい」じゃなくて「消えたい」なんです。
どっちもどっちに思われるかもしれませんが、この感情の違いは大きく違って。「死にたい」なんて面倒なことじゃなくて、「消えたい」んです。誰にも迷惑をかけずに。
この違いが分かるのは、おそらく希死念慮というものに苦しんでこられた方ならわかるかもしれません。
消えられないなら、100歩譲ってクラゲになりたかった。脳をもたないクラゲ。感情も、考えることもない、ただ漂うだけのクラゲ。クラゲになりたかった。そのおかげか、今もクラゲは大好きだし、川や海、滝や湖、ダムも好きです。見てるだけで癒されるんですよね。もう何時間でもいれる。水族館なら、クラゲだけの場所に5時間いても飽きないと思います。それぐらい好き。
消えたくなる日は、割と「この仕事が終わったら」というものに影響されていたような気がします。ちょっと大きめの仕事が終わると、「もういいよね」と、許してほしいような気持ちになって、そんな日はまずもって橋にいました。
でも、2時間ぐらい橋にたたずんで、結局何もできずに帰ってくるんです。
こんな生活を1カ月半ぐらい送っていたと思います。
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希死念慮に日々支配されていた私の生活は、まだまだ続きます。
果たして私が浮上してくるのはいつなのか・・・
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