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400年前の人事評価基準が素晴らしい件

こんにちは。ぶーんです。

今日は、少し昔の日本にあった人事評価基準が素晴らしい件について。
新しい情報ではないのかもしれませんが、最近、Webサイトで出会ってとても考えさせられたので共有します。

少しでも多くの方に届きますように。

一番:何かに挑戦し、成功した者
二番:何かに挑戦し、失敗した者
三番:自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四番:何もしなかった者
五番:何もせず批判だけしている者

https://keiei.freee.co.jp/articles/c0300179

薩摩藩の人事評価の順番らしいです。
※ネットの情報のため、実際にあったのかは確認できていません。

普段から「他人事ではなく自分事で考えられる人間・スルーせずに手を差し伸べる、行動できる人間になりたい」と思っています。
一言でまとめて、つよい人になりたいと思っています。
(ちょくちょくnoteで書いています)

一番が理想に近そうです。
そこにたどり着くまでにどんな段階があるのかが非常に具体的であり、もやもやっとしていた「理想の自分にたどりつくまでの道のり」がスッキリしました。

成功できるかどうかは、どんだけがんばっても神のみぞ知るということもあると思います。
だけど、挑戦はやめたくない。
ごちゃごちゃ言う前にやる人でありたいです。

【余談-薩摩藩の人事基準が私に刺さった本当の理由】

つい先日の仕事で、挑戦をしていろいろ得て、表彰案件になりかけました。
しかし、今年度からルール変更という新展開によって阻まれました。

(頑張り・プロセスを表彰するはずの制度なのに、普段の頑張りなんかより尖っていることが重要らしい。)
※もちろん仕事は成果がすべてなのは百も承知ですが、職種の都合で成果が出にくいため、表彰制度があります。

仕事のモチベーションを上げたり、挑戦のハードルを下げるために、お給料ではあまり反映できないからこそ、表彰制度があると思っているのですが(私が知っている目的はそうだと思う)、企画している権力のある人は何をしたいんだろう?

賞を取るために働いているわけでもないですが(やけくそ)、
賞が取れそうになるほどのことができたんだって事実自体は嬉しいのですが、
よくわかんない力にもみ消されて賞を取れていないことには変わらないので。
結局は特に取り柄もない人間です。

(これ書くとマウント取ってる!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まじでマウントでも何でもないです。取れてないやつが負け惜しみかよって思われてもしょうがないのですが、この表彰制度おかしくない?薩摩藩だよあるべき姿は!って言いたいだけです。…ってこれも負け惜しみか。笑)

こんなことで悲しくならなくても良いのに、なんだかすごく燃え尽きちゃいました。
いつもだったら反骨精神でもっとがんばって見返してやる!って思うのですが、そんなにがんばって何があるのか?食べたいものを食べれれば良くない?って思ってしまいます。
そんなときに、これを見て、薩摩藩すごい!って思いました。
こうであってほしいと思います。切に。

ぺーぺーなので、組織を変えることはできません。
ですが、少なくともこの基準は自分の中で持ちながら過ごしたいです。

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