黒の深淵 vol.2 「japanという名の黒」◆池田 晃将(漆芸作家)
取材・文/岡崎素子
きっかけは、ネパールの10日間
―― 漆芸の世界に入ったきっかけを教えてください。
父の仕事が建築関係だったこともあり、高校では建築を学んでいました。3年生のとき、ボランティアで世界遺産の修復プログラムに参加する機会があり、ネパールに行ったんです。作業の内容は、歴史的建造物の保存や記録といったものでした。
そこで目にした建築様式の装飾性に、強い衝撃を受けたんです。
ヒンズー教の木彫りの像もあれば、仏教寺院、イスラム教のモザイクタイルなどもある。多様な宗教が混在していて、特徴的な装飾にあふれていました。窓枠や柱など、建築物のすみずみまで彫刻が施されているんです。
装飾が否定的に扱われるようになった時代に生きてきた僕にとって、まさにカルチャーショックの連続でした。
このネパールでの10日間が、装飾美術を志すきっかけになりました。
とにかく装飾的なことがしたいと思い、金沢の美術大学へ進学しました。最初の1年間はいろいろなものに触れて、それから専攻を決めるんですが、その過程で出会ったのが漆芸の螺鈿だったんです。
螺鈿の材料には、貝殻の内側にある真珠層を薄くはぎ取ったものを使います。その部分の発色する仕組みを利用するためです。構造色と言われるものです。
コンパクトディスクも、それ自体には色がついていないのに、光の加減でさまざまな色に光って見えますよね。同じように貝殻も、光の波長によって発色する性質を持っているんです。
現代的で、彩度の高い鮮やかな色を使いたいと思い、今は主に、ヤコウガイ、ニュージーランドやメキシコのアワビ、白っぽい虹色がきれいな日本のアワビなどを使っています。
一匹狼になってもやっていく
―― 制作に必要な機械は、ご自身でつくられたと聞きました。
螺鈿の厚みは0.08mmしかありません。コピー用紙とほぼ同じです。
そこで、3Dキャドで図案を設計し、極限まで薄くした貝にレーザーで刻印することができる機械をつくったんです。
刻印されたパーツは、とても細かいので手で切り離すことはできません。そこで一度水に浸して、超音波の振動を利用してばらばらにします。
機械の力を借りられるのはここまでです。
細かい断片の中から一つひとつ選んで、つまようじの先を使って漆の表面に貼り込んでいきます。人の手でしかできない細かな作業です。
レーザーの機械は、当時、まだ学生だった僕のお金にならない研究につきあってくれた、製作会社のエンジニアの方のおかげで完成したものです。こうした機器を使うことでデザインの幅を大きく広げることができました。
当初、機械を使うことには迷いがありました。伝統的な技が第一とされている世界ですから、その文脈からは外れてしまうことになりかねない。だったら、一匹狼になってもやっていこうと覚悟を決めたんです。それからは積極的に機械を取り入れるようになりました。
やっていることの本質的な部分は、昔の螺鈿と少しも変っていません。でも、新しい技術を加えることで、人の手技だけでは不可能だった風景を手に入れることができた。今までの歴史の中でつくれなかったものがつくれるようになるのは、とても意味のあることだと思っています。
今の時代の権力者は情報
―― デジタルなものを、モチーフにしているのはなぜですか?
工芸というと花鳥風月のイメージが強いですよね。自然をはじめ、和歌に詠まれた情緒的な光景などを描いたものが多い。燕子花などの植物や波を図案化した青海波のような文様を見て、日本らしい文化だと思っていましたし、自分も最初はそういうものをモチーフにしていました。でも、既視感がある。そのことが気になっていました。
日本の工芸は衰退しているといった声を耳にすることがあります。その最大の原因は、進化していないからじゃないかなと思うようになっていったんです。
技というより、何を描くか。どちらかといえば意匠的な部分の話です。
もともと装飾するということ、それ自体に興味があってこの世界に入ってきた僕にとって、これはとても重要な問題でした。
世界のどんな文明でも、建造物などの装飾を見ると当時の権力者の力や経済状況などがつぶさにわかります。そうしたものをつくるためには、完成度の高い技術も必要です。
アートの発展も、宗教の影響によるところが大きいと言われていますよね。威容を誇る建造物はどれも、神や王様といった絶対的な存在の力が働いてつくられてきたことはあきらかです。
建築もアートも、権力の存在なくしてはつくれなかったわけだし、その偉大さを象徴するためにあらゆる技術が駆使されてきたんじゃないでしょうか。
極端な言い方かもしれませんが、今の時代の権力者は、情報じゃないかって僕は思うんです。社会を制しているのは情報ですからね。
情報は、世界共通言語でもある。説明がいりません。和歌の世界を描いても共通語にはなりにくい。
情報を感じさせるデジタルなものをモチーフにするようになったのは、こうした理由からです。
もちろん日本独自の文化には誇りを持っていますが、今は世界が一つになっている時代です。
昔の作家にとっての世界観を今に置き換えるとすれば、それがデジタルではないかと感じています。
漆の黒はネットの海
―― 池田さんの装飾芸術において、漆の黒はどんな意味を持っているのでしょうか?
漆の黒は、貝の構造色を際立たせるのにうってつけです。
僕の作品では、最後に朱合という透明な飴色の漆を、全体に5回ほど塗るんですが、そうすることによって下から透けて見える黒は、ますますその透明感と奥ゆきを増していくように感じられます。
螺鈿との対比や関係性を考えるとき、漆の黒は、接着剤としての役割だけでなく、色としても大きな意味を持つものだと思っています。
僕にとって漆の黒は、ネットの海に情報が流れているイメージでもあります。これは、透明感のある漆の黒でなければ表現できないものだと思っています。
これまで、あたらしい技術にも挑戦してきましたが、自分がこうして立っているこの時代が、将来の伝統になるのかどうか、今は正直わかりません。どこまでが工芸の技の世界なのか、その定義もあいまいになっているように感じています。でもとにかく、できなかったことを可能にすることで、何とか工芸を前へ進めたいという気持ちでやってきました。
来年、ニューヨークで個展を開催する予定です。3月末に、ニューヨーク中のギャラリーがアジアの美術を取り上げる週間があるんですが、ちょうどその時期にあたります。
それに向けて、少し大きな作品にも挑戦していくつもりでいます。
ネパールに行ったときに受けた印象の中で、特に心に残ったのがイスラム教の装飾でした。イスラム教では偶像崇拝がいましめられていますよね。だから、神を描くことはできない。でも、神という超越的な存在にふさわしい空間をつくることならできる。この点に気づいて、とても興味を惹かれたんです。
そこに居るだけで、目には見えない圧倒的な何かの存在を感じる時空間って、たしかにありますよね。いつか、自分でもそういうものをつくりだすことができたら、素晴らしいだろうなぁと思っています。
その一歩につながるようなことがニューヨークでできないか、今、計画を立てているところです。
もともと海外から受けた影響をもとに、日本の文化の中で自分の技を磨いてきました。それを今度は海外へ発信したいという想いが強くあります。
どこまで伝わるのか、どんな反応があるのかわかりませんが、今からとても楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?