カラサキ・アユミ 連載「本を包む」 第7回 「初めて訪れた神保町の記憶」
ブックカバーのことを、古い言葉で「書皮」と言う。書籍を包むから「書」に「皮」で「書皮」。普通はすぐに捨てられてしまう書皮だが、世の中にはそれを蒐集する人たちがいる。
連載「本を包む」では、古本愛好者のカラサキ・アユミさんに書皮コレクションを紹介してもらいつつ、エッセイを添えてもらう。
先日、美容院で髪を切ってもらっている最中に担当の美容師から東京に遊びに行った土産話を聞かせてもらった。
「その時、生まれて初めて神保町に行ってみたんですけど、びっくりしちゃいました。本当に本の街なんですね…!」
私が本好きというのを知っているのもあってその話題を出してくれたのだろう。初めてブックオフ以外の古本屋に入ってみたという体験談を楽しそうに語ってくれた。
自分にとっては既に馴染み深い場所や行為が、彼女にとっては未知の異界であり大冒険のように感じられているのがなんとも面白い。
さて、今目の前に広げているのは、その神保町の古書店街の中でも稀覯本(レアブック)を専門に取り扱う名店と謳われる玉英堂書店で、かつて使用されていたブックカバーである。創業は明治35年。100年以上続く老舗古書店だ。
このブックカバーを見ると私は姿勢を正し、厳かな気持ちになる。
まるで目の前に厳格な校長先生が座っているかのようにじんわりと肩に力が入る。そして、あの日の思い出も蘇る。
初めて自分が神保町に訪れたのは19歳の時だった。
おのぼりさん状態で口をあんぐり開けながら歩いていると、やがてただならぬ〝オーラ〟を発している店が視界に飛び込んできた。それが玉英堂書店だった。
「古本屋」ではなく「古書店」と襟を正して呼びたくなる佇まい。
店内には整然と棚に並ぶ古書の風景。それに重なり合うように自分の姿が入り口のガラス扉に反射して映っていた。
そのハイレベルな空間に入店するにはなんとも不釣り合いで未熟な顔が目の前に浮かんでいた。扉を押そうとしていた手を思わず引っ込める。
「この店を楽しむ為の知識や心構えが今の君には足りないよ」そんなささやき声がどこからか聞こえてきた気がした。
気後れした私は、豊潤なる古書籍の世界と対面することなくそのまま店の前を通り過ぎてしまったのだった。
あぁなんと勿体無いことを……きっと、当時の自分も美容師の彼女と同じく初めて目にする世界に圧倒されていたのだろう。仕方がないか……と、しみじみ苦笑いする。
ブックカバーに描かれた一冊の本は〝優れた書物を後世に受け継いでいきたい〟というこの古書店の信念を象徴しているようだ。
紙面から漂うこの緊張感は、きっと稀覯本に触れる瞬間のそれと同じような気がする。