目の前の直径1センチの円の中でもがき、苦しみ、絶望しがち
中間管理職の友人。
彼女の部下達が仕事での失敗をすごく落ち込んで、人生終わり、、、くらいの勢いで相談に来ることがある。と、話してくれた。
どうしても人は自分のできない部分や足りない部分をみてしまうものだと分かっては居るけれど、失敗したことはその部下が持っている能力のたった2割の部分であって、そこだけを見ないで欲しい。残り8割の出来る自分をの方を見て欲しい。とも言っていた。
それを聞いて、自分にも思い当たる節がありすぎる、、、とギクっとしながら、こうやって人の話として聞くと、冷静に自分のことも分かってくるから面白い。
わたしは、自分は出来ないことや足りないことで埋め尽くされていると思い込みがあるけれど、もし彼女が言うように、本当はわたしの8割が出来る部分や、もうあるもの、プラスの部分だとしたら、なぜ私は少ない2割のマイナスな自分だけを切り取って見てしまっていたんだろう??それじゃ、まるで自ら出来ない自分、足りない自分しかいない世界を見て、苦しむ道を歩いていくようなものだ、、、と、ハッとした。自分で自分の傷口に塩を塗るように。
傷ができるたびに、自分で自分の傷口に塩を塗りながら歩いている姿を想像すると、とても滑稽で笑えてくる。
一生懸命になればなるほど視座が低くなってしまう。目の前の直径1センチの円の中でもがき、苦しみ、絶望しがち。そんな時ほど、視座を上げて自分自身や世の中を遠くから見てみると、今苦しんでいることが、全体のほんのひと握りなんだ、と、少しこころが救われる。
わたしも世界も、もがき、苦しみ、絶望する小さな世界の外側に、実は可能性に溢れたもっと大きな大きな世界をみんな持っているんだよね。しんどくなったら可能性に溢れた外側の世界を見てみると、わたしもまだまだいける!って前向きな気持ちになれるのかも。
今日はそんなことを思った日でした。
おやすみなさい。