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美しい筆名

山村暮鳥というと、『風景』が思い出される。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな

Eテレなどのお歌の番組などを観ていると、たまに流れたりする。
山村暮鳥の筆名は、「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味を込めて付けられたのだという。
名は体を表す。筆名も然り。

本名で勝負する作家さんもいれば、ペンネームを使う作家さんもいる。ペンネームはもう一つの創作にもなり得る。自然と、本人の資質をくるんでいることもありえる。
名前、というものは、その人の個性により、名前そのものが変質する。意味が固着していく。そして、受け取り手も、その名前から様々な作者像を想像する。文字の羅列が神聖を帯びていく。
キリスト、という名前はそれだけで多大なイメージを人に与えて、村上春樹、という名前も様々なイメージを想起させる。

私の好きな小説家の津原泰水さんは、少女小説デビューの際には、津原やすみという筆名で、恰も女性作者のような筆名だった。
漫画家にはそういうことが多い。男性の名前でなければ、少年漫画は少年に読まれない、という話もある。
週間少年ジャンプ『ホイッスル』の樋口大輔先生は女性であるし、性別を偽って描くことが多々ある。
然し、女性の描く漫画はやはり感情の機微が繊細であり、心情の揺らめきに対して優しさ、そして客観的な冷たさがあり、男性作家の描く世界とは異なる夢を見せてくれる。
男女の区別、差異は確実に存在し、それは身体の作りが違うのだから当然であり、そこに蓋をしようとも必ず立ち昇る違いがある。忌まわしい芸術も、美しい夢も、それらの違いが生み出してきたわけであって、それはどうしようもない悲しみであり、喜びにもなりえている。

山村暮鳥という名前は、人から授けられた筆名だが、本人の資質を顕している。お洋服も、自分の拘りが意外と他者から見るとイケていなくて、自分は本当には自分を理解していない、ということもある。
然し、他者が似合うよと言ってくれたお洋服は、自分自身思わぬほどに人から評判がいいことが多々ある。
人間は、自分よりも自分を知ってくれている人たちに囲まれている。

ちなみに、山村暮鳥には大正4年に萩原朔太郎、室生犀星と設立した「にんぎょ詩社」という会社が出版した第三詩集『聖三稜玻璃せいさんりょうはり』の初版特装本がウルトラにレアな本である。
室生犀星が装丁し、限定50部(らしい)の本で、お値段はもちろん数十万円……。

世界中の稀覯本を集めたら国家予算に匹敵する説が俄に真実味を帯びてきた……。

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囈 語

竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨
姦淫林檎
傷害雲雀
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。


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