見出し画像

平井功という詩人

平井功という詩人がいた。筆名は最上純之介。
26歳で亡くなった、夭逝の詩人である。天才と言われていた。

どうでもいいが、夭逝と使うと、精々が20代までなので、たまに40代の人とかで夭逝と書かれると変な気がする。
横光利一などは49歳で亡くなっているが、偶に夭逝とか言われているが、誤用の気がする。
26歳ならば、ギリギリ夭逝の天才詩人、と言われても可笑しくはない。

彼はアルチュール・ランボーと比肩されていて、ランボーも詩作と現実の商売の世界との狭間で揺れながら、最終的には37歳で没した。

画像1


平井功は日夏耿之介門下であり、日夏が大変に評価していた詩人である。
私家版で『孟夏飛霜』と『爐邊子殘藁』をものにした。
彼の詩集は世にはわずかしかなく、私家版ばかりで、出版社からの刊行はほぼないため、読むのが大変難しい詩人である。

然し、そこはインターネッツ、如何用にでも拾うことが出来るわけだが、彼の残した詩をまとめた本もいくつかは発売されてもいる。

限定100部のみの驕子綺唱は、定価6000円だけれども、今は大体1万5000円〜20000円くらいで取引されている。
この本の装丁は相当拘っていて、やはり本というのは電子に取って代わられつつあれども、特殊な装丁ではまだまだその魔力は健在だ。

画像2

以下は、『幸福』という詩の一部抜粋である。

私は私の幸福を思ふ
今日 こゝろは哀しみから遠く
すべてから遠く たつた孤(ひとり)
しづかな午後のひと時をたのしむ
窓玻璃(ガラス)にうつる樹立の影は
時折 風にゆれもするけれど
こゝろは唯さびしく微笑んで
気付かぬほどの幸福にひたる
誰ひとり眼にさへとめぬ幸福に……

この人はある界隈ではとても有名で、発掘されて、活字にされる表現者は幸福である。けれども、そのような幸福に恵まれない表現者も山といるだろう。
平井功にしても、発掘されたとて、知る人は今の日本に1000人2000人もいるのだろうか。
大勢の人に読まれるのか、少数のシンパに愛されるのか、そのどちらが幸福か、私にはわからないが…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?