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書店パトロール69  鈍器はアルティマニアだけじゃない。

建築コーナーを見ていたら、鈍器を発見した。

磯崎新論シン・イソザキ論』である。なんと、700ページを超える大著!

磯崎新、と、言えば、私に馴染みが深いのは、京都北山にある、京都コンサートホールである。私はここで、ピアノの発表会をしたことがある。まぁ、子供の頃の話、であり、私は下手くそなので、ピアノが上手ければどんなに良かったことか!

で、磯崎新論、装幀もなかなか前衛的で攻めている、攻めている、が、値段が5,000円を超えるので、無論、手が出ない。然し、新、という名前に対しての、シン、であるわけで、うーん、マンダム、な、名称。

シン、と、言えば、「私、『シン』を倒します、必ず倒します」、と、いう、まぁ、ユウナの声が聞こえてくる。
シンは、台風のようなものだと、野島一成が言っていた。野島一成、と、いえば、『FFⅦ』や『FFⅧ』、それから、『FFⅩ』のシナリオだが、やはり、この時代は神がかっていると思う。
シナリオとして、完成度が高いのはやはり『FFⅩ』だろうが、かなりこねくり回して、台詞回しなども含みを持たせて練り込まれているのが『FFⅧ』、そして、野放図だが時代の空気を作品に落とし込んで過去最高のカタルシスを持たせる『FFⅦ』など、うーん、素晴らしい。マンダム。

『FFⅨ』なんかは、坂口博信氏がプロットを書いていて、その書き方が、起承転結で小ブロックのストーリーを作り、それを4回繰り返す、すなわち、①起 起承転結 ②承 起承転結 ③転 起承転結 ④結 起承転結、という16ブロック構成で作る、的なことを書いていて、そうすると、だいたいRPG1本の分量になる、と、うーん、確かに、ゲームシナリオはそういうのがあっているのかもなぁ、などと思ったものだ。
つまりは、ゲームにしろ、エンターテイメントの物語にしろ、起承転結は避けられない。特に、ゲーム、RPGは、プレイヤーにロールを振り、物語という報酬を与えるわけだし、そういう、小さな山をいくつも作り、全体像を整えるのは、まぁ、作劇の基本だろう。
 
で、磯崎新の横には、黒川紀章。黒川紀章のカプセル。これは一昨年の本。

すごい装幀だ。このカプセルホテル、一度は泊まってみたかったね。でも、あんまり『ブレードランナー』味はないんだよなぁ。然し、山の上ホテルはまた復活するようだけれども、いつまでも、あると思うな本と建物、であり、映画だってそうだ。映画だって、今は配信の時代、でもね、もう観られないものだっていっぱいあるのだし、ソフトだって馬鹿にできないんだから。
そんなことを考えていると、『教養としての西洋建築』なる本が。

なるほど、確かに私は無教養だ。なので、こういう、教養としての、と、いう、そういう、マウントを取るような、或いは、無教養な人間のプライドを無駄に刺激する本、初心者向け、という意味だろうが、このような態度を取る本を私は許せない。
私は激怒した。然し、この激怒、どこにも吐き出せないその激怒、然し、吐き出す、と、いえば、眼の前にあるこの本、そこの帯に書かれた、『青春が嘔吐している』という言葉。うーん、いいなぁ。こういう表現があると、もうそれだけで、サムズアップだね。

で、この本は、『ある地方高校生の日記』、と、いうタイトルの本。秋浜悟史の失われていた日記である。日記、と、いうものは、文学の原点であるし、日記、手紙、それらの持つアウラ、それには人格が宿っている。何せなまである。
まぁ、お化粧をしていないわけで、取り繕っていないわけで、手紙は相手だけ、日記は自分だけの、秘匿性の極めて高い文章であって、そこには、確かに青春が嘔吐していても可笑しくはない。
私は日記が好きだ。文豪が可愛そうなのは、死んだら晒される、と、いうところであり、ただ、文豪は、やはり、日記からして、既にポエジーにあふれている。
村山槐多の日記、タルコフスキーの日記、川端康成の日記、トラヴィス・ビックルの日記……。

日記は常に嘔吐している。心情が爆発している。秋浜悟史は戯曲を書いているので、そういう、戯曲とか、詩とか、美しい文章、芸術が日記に棲んでいる。ああ、私も日記を書こうかなぁ。でも、いつも3日坊主なんだよね。ピアノと一緒でさぁ。


 

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