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ゲド戦記はリトマス紙
『ゲド戦記』は必要以上に叩かれている。
2006年の7月に公開したスタジオジブリの『ゲド戦記』、は、アーシュラ・K・ル=グウィン原作のファンタジー小説で、その第3巻の『さいはての島へ』をベースに映画化された。それに、他の巻の様々な要素がミックスされている。
監督は宮崎吾朗で、初監督作、で、あるが、当時から、ずっと叩かれていた。
興行収入は78億円、78億円、と、いうと、大体、600万人くらいを動員したことになり、ウルトラにヒットしている。
もともとは、宮崎駿が原作に大変な影響を受けていて、映画化したいと言っていたが、ついにそのチャンスが訪れた時、宮崎駿に監督する気持ちはなかった。ル・グィンは、宮崎駿なら監督してもいい、と許可を出したのに、息子が監督する、而も、俺がちゃんと見る、的なことを言いつつ、放置である。
当時、Invitationという雑誌で、長々と、鈴木敏夫が公開前の『ゲド戦記』について語っている。プロデューサー、と、いうよりも、それらの言葉は監督のようでもある。逆に宮崎吾朗はあんまり表に出ていなかった記憶がある。
出来上がった映画は、テルーの唄の空耳から、『心オナニー』と蔑まされて、ディスられた。
確かに、抑揚のない映画だった。然し、それでも、スタジオジブリ、映像はとてもきれいだし、まぁ、確かに、目を見張るような演出や感動はない、ない、けれども、ちゃんとした1本の映画にはなっている。これが駄目なら、駄目な映画は山のようにあるだろう。
然し、この映画は、叩かれても良し、叩いても良し、そんな空気、そんな烙印を押されてしまった。
つまり、まぁ、相対評価で、通知表なら3か2のところを、1がつけられている、そんな感じ。
押井守は、初めての監督作品なら上出来、と、言っている。まぁ、若干の手心を加えたあるコメントかもしれない、しれないが、1本の映画、而もあれだけの大作を監督するのは並の神経では不可能である。
で、その抑揚のなさ、と、いうのは、この映画のいいところなのかもしれない。だが、2006年の夏休み、7月公開、何百というスクリーンで公開する、様々なタイアップをする、そのような映画ではなかった、ということである。
誰が観ても楽しい映画、面白い映画、大衆向け、そんな映画ではそもそもないのだ。然し、ヒットしている。この夏には、草薙くんと柴咲コウさんの『日本沈没』が公開していたなぁ。
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この映画、来週の3月7日に金曜ロードショーで放映される。どうせまた、『心オナニー』と馬鹿にされるのだろうが、然し、けれども、手嶌葵の歌は素晴らしいだろう。手嶌葵の声は美しい。以前、運転中にラジオからその美声が流れて、私はセイレーンの顕れを聞いたと思った。オデュッセイアである。
この映画、いじめの構図、が成り立っている映画でもある。そういう映画はある。この後、宮崎吾朗は、『コクリコ坂から』を撮る。これは、『ゲド戦記』よりも評価が高い。寧ろ、好きな人も多い映画だろう。カルチェラタンがいいのだという。まぁ、私も嫌いではないが、原作漫画とは似ても似つかなかった。絵柄が完全に80年代風味、であり、そして、これを宮崎駿は仲間と回し読みしつつ、映画になるのか議論した、のだという。
この、宮崎駿関連の本を読んでいるとよく出てくる、「映画になるのかどうか議論する」というようなニュアンスのやりとり、まぁ、こんな少女漫画でもそんな話をしているわけで、何か琴線に触れたのだろう。
つまり、こう、映画、と、原作、とは別物、という前提、があり、どうすれば映画になるのか、原作があるものは如何にそれを料理するのかが、監督の手腕を問われるところである。
で、ゲドとコクリコ、まぁ、ぶっちゃけ、どっちもどっちだが(失礼)、結局、ジブリには、駿、若しくは勲、を求める人が多いので、それ以外は、『耳をすませば』くらいだろう、米林監督の『思い出のマーニー』とか、私はジブリ映画で3本目くらいに好きだが、然し、これもニッチ、興行収入は35億円、なので、300万人観ていないくらいだろう。
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その前の、『借りぐらしのアリエッティ』は興行収入92億円である。これは、700万人くらい観ている。超大成功だ。2010年の映画、まだまだジブリで大量に入る時代、私は、マーニーに方が好きだが。『コクリコ坂から』は45億円だ。なので、400万人弱観ているくらいだ。まぁ、数字は大体である。
で、やはり、前作から売上が上がると、つまりは満足度が高く購買数が増える、下がる、と、いうのは、前作の評価そのもの、なわけである。例えば、『FFⅦ』は328万本、売れて、その後の『FFⅧ』は369万本売れた。然し、その後の『FFⅨ』は282万本に落ちた。無論、それだけが要因ではなく、時代の流れや、ライバルの有り無しでも変わる(『FFⅨ』は『DQⅦ』と激突したのだ…)、タイミング、世相……、然し、『ゲド戦記』は叩かれ続けている。
二世、の作品、と、いうものある。全てがお膳立てされている、それは逆に凄まじいプレッシャーだが、而も、親父はウルトラに天才であり、日本が誇る、いや、世界一のアニメーターの一人、不世出の大芸術家である。最高級と較べられるのは恐ろしいことである。
で、『ゲド戦記』に話を戻すと、声優はまた有名俳優が起用されている。岡田准一くんに、菅原文太さん、田中裕子さん、香川照之さん、と、大物揃いである。主人公の王子アレンが親父である国王を殺すシーンから始まるのだが、まぁ、ここは散々言われているように、父殺し、これは今作の全て、制作する意義そのものであるが、然しこの父殺し、まぁ、失敗してしまう、現実では。
範馬勇次郎、乃至はジン、みたいなものであり、息子を食ってしまうのだ。
まぁ、私が言いたいのは、『ゲド戦記』を、曇りなき眼で見よ!という、ひい様の言葉を思い出してほしい、ということだ。
私達は前評判、に毒されすぎている、あいつ、嫌なやつなんだぜー、それを信じて、知りもしない人に悪感情を抱く、まぁ、実際に嫌なヤツかもしれないが、相性、みたいなものもあるのでね、それに、やはり、いい所を見つけよう、というのも大事だ。
『ゲド戦記』は大きな飛躍はありませんけどね、地に足のついたようなね、こう、すごく真面目な人柄の見える作品ですよ。
こう、あの世界には、真の名と通り名があるじゃないですか。noteだってそうでしょう。真の名で書いている人はあんまりいないわけです。これはカミングアウトの映画なんですよ。
自分の名前で作品をさらけ出す、世に問う、これは大変なことです。とても偉大なことなんですよ。
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