HE FROM KOBE 貧民窟の詩人、その風土
私は、神戸が好きで、神戸の作家が好きなのだが、その筆頭は稲垣足穂、で、稲垣足穂は大阪は船場出身、明石、神戸、東京、明石、東京、京都宇治、と関西と関東を揺れ動いていたが、その彼が、『he from kobe』と評したのが、衣巻省三、タルホの超仲の良い友人の一人で、若干、利用されている感すら漂うこの男、その衣巻省三の著作である、『こわれた街』である。
稲垣足穂、猪原太郎、石野重道、そして、衣巻省三、は、タルホを語るうえでは欠かせない詩人たちだが、然し、一般的知名度は絶無と言ってもいいだろう。
私は、石野重道の300部のみの私家版『彩色ある夢』(タルホ装丁!)を、一度ネットオークションで数年前に競ったが、これは10万円を超えたのでそのときは退却、で、その後会えていない、し、衣巻省三の『こわれた街』もカバー付きなら10万を超えるのだが、これもウルトラにレア物でまだ入手機会にすら遭遇出来ず。前者は多分、現存で十数部だろうなぁ、下手したら、10冊以下かもしれん、コレクターが手放さんだろうし、後者も少ないだろうな。
で、その衣巻省三や、それから神戸詩人の竹中郁、などを書いた本、『神戸文芸文化の航路』は本年出版されたが、まぁ、神戸という街の持つなんともハイカラーな空気をまとった詩人たちの、大正昭和のモダニズムについて書かれている。
私は、この中では井上増吉という詩人は識らなかったので、その項を読みながら、うーん、世の中にはまだまだ私の識らないものが多く存在しているのだ、と己の無知を感じた。
井上増吉は本著でも述べられているように、モダンな港町である神戸とはまた違う、第一次大戦の後の繁栄の煽りを食った階層、底辺層の詩人であり、貧民街の出身だという。
彼の詩集、『貧民窟詩集 日輪はまた昇る』は、今では古書でしか手に入らない。
貧民窟詩集の序文に書かれた言葉は、強烈な印象を与えるが、然し、やはり、作品、作風、と、いうもの、は、この出自、境遇、時代、アイデンティティー、そして、何よりも自らの育った風土、これらを抜きには考えることは出来ないものだ。
宮沢賢治のイーハトーブは東北で、谷崎潤一郎のモダニズム文学は京阪神時代を経て、そして、中上健次は路地、風土と生まれは、作風と分かちがたく結びついている。
この、DNA的とも言える創り手に根ざした感性は、やはり、最終的には風土が重要であり、まぁ、FOODも重要ではあるが、何を食べてきたのかも、それも風土は関係しているのだ!
この井上増吉の詩は、『一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺』に収録されているという。私はまだ読んでいない。この本は買おうかな〜と思いつつ、やめたのだ。どうしようかな。
それから、川西英についても、竹中郁との関連で語られている。ここでは、『曲芸団』という詩を書いた竹中と、その曲芸に魅せられた川西英を通して、評論しているが、竹中郁が川西英のサーカスの版画を見て、新聞紙に寄稿している文章が掲載されていて、ピカソが阿片の匂いは良いものだ、と言ったのと持ち出し、川西英の芸術を阿片を嗅いだ如くと評していて、うーん、マンダム、と思ったものだ。
やはり、芸術は阿片であり、阿片的な頽廃、背徳、悪徳、は必要なのである、ある、が、然し、けれども、お前の芸術はまるで阿片だな、と言われたら、うーん、ウレシイやら、喜んでいいのか悪いのか、まぁ、R18的な、或いは、もう少し、年齢層を下げて、R15+、でも宜しいが、こう、なんというか、『雨の中の欲情』ってR15+で良かったのかな、どう考えてもR18では?と思ったね、で、R15+を調べると、『15歳未満の入場・鑑賞を禁止する指定のこと。PG12より刺激が強いものに加え、いじめ描写や暴力も審査の対象になる。また、放送禁止用語を使用した作品や暴力団もの、偽造犯罪を題材にした作品も対象となる。』と、あるんだけれども、然し、性的なものが強い映画だったので、R18+の『18歳未満の入場・鑑賞を禁止する指定のこと。R15+に加え、著しく性的感情を刺激する行動描写や著しく反社会的な行動や行為、麻薬・覚醒剤の使用を賛美するなど極めて刺激の強い表現が審査の対象となる。』が、やっぱり合っているのではないかしらん、と、思いつつ、まぁ、いずれにせよ、つまりは、やはり、阿片はR18+、なので、芸術はR18+、であることは間違いない。いや、そもそも、阿片は禁止では?という話はこの際置いておこう。
まぁ、この本、めちゃくちゃに神戸文学の広がりを感じさせるもので、よく、谷崎はんの阪神間モダニズム文学界隈は本でも出ているが、あれがメジャーなら間違いなくマイナーではあるのだが、然し、けれども、そもそも、芸術に、メジャーも、マイナーも、あったものではないだろう?
いや、あるか。普通にインディーズとかメジャーはあるわな。
然し、私が言いたいのは、精神のことである。精神的メジャー、精神的マイナー、そんなものあるのか、いや、ない!作りては、常に誰だって、俺が一番だ!俺に決まってんだろう!という、伊藤一刀斎マインドで闘う。つまりは、全員メジャー級、であり、この本に書かれた芸術家たちは、間違いなく、全員がメジャー級、なのである。
ちなみにね、川西英の版画は数万から十数万で買えますからね、気になる人は勝手に調べて勝手に買ってくださいね。私はそんなお金はもちろんありませんがね。